第11話 声

サブタイトル:声






老医師の見立てでは、そろそろ生まれる頃合いらしい。


しかし私は平常運転。重いお腹を支えながら、自分の足で執務室へ歩く。


付いてくる人員が軍関係者だけでなく、助産経験のある年嵩の侍女も増えた。医療関係者は四六時中付き添ってはいないが、彼らの待機所が近くに設けられている。


つまりはそれだけ私の出産に注意が払われているのだ。




「おはよう」


「「「おはようございます」」」


個人の執務室ではなく師団の執務室に入ると、既に仕事を始めていた者たちが起立して挨拶を返す。


「続けて頂戴」


その合図に彼らは業務を再開し、私は革張りの椅子に身体を預ける。


昔はこの偉そうな背もたれの椅子は不要だと考えていたのだが、革張りの椅子へ身体を預けた時の心地よさに安心感を覚える。


この椅子は良いものだ。




椅子の誘惑を振り払い、手にした書類に目を通すが、思ったほど内容が練られていなかったので、数か所チェックを入れる。


再提出の箱に放り込もうと手を伸ばし、書類をはじいた瞬間、腹部に痛みを感じる。


さらに違和感を覚えて下を見ると、スカートに染みが拡がっていく。


「あー、誰か、先生を呼んで頂戴。破水したみたい」


私のその言葉に、室内の者達の視線が一斉に集まった。


「本日の業務は終了。各々、打ち合わせ通りに」


副官の合図に、彼らは一斉に動き始める。


伝令役なのか二・三名が部屋を飛び出し、どこに用意していたのか、シーツがかけられた担架が運び込まれる。


「こちらに。ゆっくり横たわってください」


侍女の支えのもと担架へ横たわる。


「せーのっ」


反動もつけず静かに持ち上げられたのは執務室の男達だ。貴方達、練習でもしていたの?


「行先は分かっているな?先導する」


「「「はいっ」」」


侍女が先触れを出し、副官が通路を警戒。担架はひたすら揺すらぬ様に運ばれていく。


運ばれたのは私の私室。そこには出産の用意が整っていたのだが、陣痛に耐えていた私が知る由もない。


「「「せーのっ」」」


次は男たちの掛け声とともに、私は担架の上のシーツごとベッドに移される。

「ご苦労。全員退出!先生、後は宜しくお願い致します」


「はい、任されました」


老医師の言葉と共に、侍女の手によって扉が閉じられた。






「あの女の陣痛が始まったそうです」


「そうらしいな」


「上手く、行くでしょうか?」


「その為に前々から手配していたのだ。金も積んだ腕利きだ、間違いは無い」


どことも知れぬ場所で、二人の男が密談をしていた。






昼前に始まった陣痛だったが日は沈み、室内は灯りの魔法で照らされている。


汗がにじむ所はその都度拭かれていくが、それ以外の場所はそうはいかない。


だからと言って水分を控えられるはずもなく、病人用の吸い飲みが口元に差し出される度に、中身を飲み干していく。


「ひーっ、ひゅーっ、ひーっ、ひゅーっ」


大きく呼吸をするが、全然楽にならない。下腹部の痛みは続いたまま。


両手はシーツを握り締めていたが、思い出したかのように右手が胸元に上がると、首から下げていたロケットに触れるのでそのまま握り締める。


この中には、あの子の遺髪が入っているのだ。


普通ならば危険視される程の高齢出産。何かに縋りつきたい気持ちも理解してほしい。


こんなにも不安なのに、初産だったあの子の時、私はどうしていたのだろう。


「ひっ、ひっ、ひぐっ」


涙まであふれ出した時、ロケットを握り締めた右手が、温かな何かに包まれた。


(ははうえ!)


確かに何かが聞こえた。


「よし!頭が見えてきた!」


「もうひと踏ん張りです!奥様!」


「───すぅぅぅ、はぁぁぁ……」


どこからか勇気を貰えた気がした。




「おぉぉ、よし、よし、もうちょっとだ、出てこい出てこい───」


おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ


「男だ!」

「男の子です!」

「まぁ、元気だこと!」


“うおおおお!!”


聞き耳を立てていたのだろう。外から野太い歓声が響いた。




「おめでとうございます、元気な男の子です」


清潔な布に包まれた赤ちゃんを、私は左腕で支え右手でそっと髪を整える。


見ると赤ちゃんの頬がまだ汚れている。


「誰か布を。この子の頬が───」


皆まで言わずとも布巾が差し出されるので、手ずから綺麗にする。


その間も部屋は清められ、使った道具は搬出、代わりにベビーベッドを筆頭に新たな道具が運び込まれる。


「動けますか?汗で気持ち悪いでしょう、お召し替えをしましょう。王子をお預かりします」


そうだ、この子はこの国の王子なのだ。私の、私だけの赤ちゃんではないと言われた気がして、寂しさを覚える。


助産婦に渡そうと、何の気なしに相手の手元を見ると、指輪をしているのが見えた。


赤子を受取ろうとした手に指輪。普通は手の甲に向けるはずの石が手のひら側に回してある。


(ははうえ!)


その警告は、聞き覚えのある声だった。


ぞわり、と鳥肌が立つ。


オニキスの指輪を握り締め、咄嗟に防御壁を展開するも、相手の手をはじいただけで消滅してしまう。


出産直後の消耗で、いつもの一割未満の強度も出せていない。


穏やかな笑みのまま、助産婦はその手を伸ばす。はめている指輪は必殺の物なのだろう。


なけなしの魔力を絞り出し、それでも続けて防御壁を発動して、とにかく相手を近寄らせない。泣き続ける赤子の声は、誕生の喜びなのか生命危機の恐怖なのか。


それでも女は拳を振るい、次々と張り巡らされる防御壁を破壊するが、突破には至らない。


「何をやっている!やめなさい!」


他の助産婦や侍女たちが怯えて隅に寄る中、老医師だけが声を張り上げ制止する。


「どうしました?!」


そこへようやっと護衛の兵士が現れると、襲っていた女は距離を空け、観念したのか首筋に右手をあてがうと、牽制しあっているうちに崩れ落ちた。


「襲撃、いえ暗殺よ。右手の指輪に気を付けて!」


驚きで目を見開いた兵士は、念のため倒れている女の右腕を踏みつけ、首筋の脈を確かめる。


「……死んでいます。ご無事で何よりです」


「師団長へ報告。王宮の出入りを封鎖、協力者がいるとも限らないわ。安全確認に王宮内を隅々までチェック。走れ!」


髪を振り乱した元妊婦の指示に、数名の護衛を残して男たちが走り出す。


「指輪を回収して見せて頂戴」


今度こそ本物の助産婦へ息子を預けると、兵士から指輪を受取る。


差し出された指輪を見ると、石から棘の様に三ミリほどの針が出ている。下に向けると、針が滲むように濡れてくる。こうやって毒が補給されるのか。


しかし針を出しっぱなしでは危険だ。調べていると石の台座が回転することが分かり、回してみると石に見えていたのは三分割されたドーム状の金属で、回し切ると針はその中に収納されてしまった。


忌々しいほどに精巧な作りの暗殺リング。


「もっと違うところに腕を振るいなさいよ……」


見知らぬ製作者に思わず愚痴りながら死んだ女を見ると、苦しんだ様子もなければ皮膚の色も変化していない。単純に心臓を止める毒だったようだ。


心停止。


そう言えば息子の死因もそうだった。


毒薬と毒針の違いこそあれど、これは偶然だろうか。




それよりも───


あれは確かにあの子の声だった。


二度も助けてくれた。


私と、あの子の弟を。


「───」


ロケットを握り締めてあの子の名を呼ぶが、三度目の声は聞こえず、握りしめた手を包んでもくれない。


───守ろう。


あの子が守ってくれた命を守ろう。


そして物心がついたら、今日の事を教えてやるのだ。死して尚守ってくれた兄の事を。






無事、王宮の封鎖は解かれた。


単独犯だったことに胸をなでおろし、単独犯がここまで侵入出来たことに不信を抱く。


誰かの手引きが予想はされ、目星は付いている。いわずもがな。


緘口令かんこうれいは敷いたが大っぴらに話せないだけで、陰で噂話が為されるだけの違いにすぎない。


それよりも驚いたのは、陛下がわざわざ見舞いに参られたことだ。


それも誕生の翌日、産湯に入れている最中にだ。


侍女達も驚き、畏まろうとするのを陛下が制する。


更には、次期女王でもある王女夫妻までやって来たのには驚いた。先触れ無しの来室に、侍女たちが平静を保てなくなっている。




「赤子はこうやって湯浴みをするのか」


「は、はい」


赤ん坊が侍女の腕に支えられ、専用のバスタブで産湯を使う。その周りを私だけでなく、陛下や王女夫妻が囲んでいる。緊張しない方がおかしい。


「優しくやればよいのか?どれ」


「へ、陛下、そんな恐れ多い……」


侍女から手ぬぐいを受取ると、二度三度なでるがすぐにやめてしまう。


「儚くて傷付けそうだ」


「お父様、わたくしも……まぁ小さな手」


王女はおっかなびっくり優しく撫でていく。


「王子様は幸せですね。王族の方々が手ずから産湯を使わせた御子なぞ、聞いたことがありません」


少し緊張が融けた侍女がそう評すると、赤子も自分たちも特別なものに思え、皆揃って微笑み合う。


「皆さま、後は私共にお任せいただいて、一息つきませんか?」


横から年かさの侍女の声掛けに、一同はようやっとバスタブから離れた。




「思えば自分の子供に、この様に接するのは初めてだ」


「平民ならいざ知らず、貴族ともなると乳母や使用人の仕事ですから」


王女の夫が合の手を入れる。


しかしこの男、公爵の血縁の筈。公爵の娘の子が王女で、その夫も公爵の血筋。家系図がどう絡み合っているのか良く分からないが、近親婚であることは間違いない。


子供が出来難かったのは、そこに原因があったのではなかろうか。


「しかし暗殺を仕掛けるとは許せん」


「本当に恐ろしいわ」


「ですが何度も暗殺者の凶刃を防いだとか。流石は側妃殿下」


こちらを思っての言葉なのだろうが、当たり障りなく相槌を返す。


用意されたお茶に手を付けないのは、右手のオニキスの指輪を左手で重ねて隠しているからだ。


陛下は問題ないとして、この二人は信用できるのだろうか。


これからの二人の地位を脅かす王子が生まれたのだ。彼女らの父親たちが一番疑わしいが、この二人も関与している可能性がある。


油断できないと思うと、左手の下の指輪の感触に意識せざるを得ない。




疲れから静かに長く息を吐いていたが、陛下に気付かれてしまう。何故ここまで私の様子を察せられるのだろう。


「慶事に水を差されたが、時期を見て国民にも発表する。待望の男児だからな」


「そうですね、私の家系は産めども産めども女ばかり。妃殿下が男児を産んでくださって胸を撫で下ろしているのです」


「もし彼女が女の子を産んだら婚約させませんか?そうすれば変則的ではありますが、王家の男子直系を維持できます」


───呆然としてしまった。


この夫婦は権力が欲しくは無いのだろうか。


「それも良いけれど、お父様にはもう少し頑張っていただくのは?祖父へは上手く誤魔化して時間稼ぎすればいいわ」


「男の私は政務に携わる為に備えてきましたが、彼女はそうではありませんでしたから。しかし私も王配教育をうけていますが───」


「「もう挫けそうです」」


まさに立て板に水。


「あなたたち、自重しなさい」


どっと疲れが出て椅子にへたり込んでしまう。


「とまぁ、彼女とはこのように合意に至っているのです」


「陛下、ご存じだったのですか?」


顔を上げると初めて見る申し訳なさそうな陛下の顔。また一つ息子の面影を感じてしまう。陛下、その顔はずるいです。




そしてお客様方はお帰りになり、力が抜けた私は冷めたお茶を一息にあおる。


裏付け調査は必要だが、王女夫婦は問題ないだろう。


今はまず体力回復に努めなければ。


大きかったお腹が縮んでいくせいで、腹痛にも耐えなければならない。


隣の部屋では泣き声が聞こえる。


やらねばならない事が山積みだ。








「油断しておりました、申し訳ございません。この責は如何様にも」


「甘くいていたのは私もよ。もう少し念入りにするか、監視を強めておけば……何れにせよ、今更ね」


報告によると、例の暗殺者は公爵の紹介で助産婦として雇われていた。仕事の経験と実力も備えなくては採用に至らないが、なにより公爵の紹介状の効き目が決め手になったそうだ。


それに伴い、公爵からは正式に謝罪が届いたが、その内容は形式的なものである。


“少しでも力に慣れたらと気を利かせたつもりが、敵対勢力に利用されたようだ。重ねてお詫び申し上げる”


とぼけた謝罪である。


私の暗殺なぞ、どこの組織もはした金では請け負わない。


それは現役時代に積み上げた“黒杖の魔女”としての実績があるからだ。ましてや鍛え直した第三師団も控えている。


依頼も前金を相当積み上げねば引き受けなかっただろうし、組織は暗殺の成否に拘わらず、ほとぼりが冷めるまで逃げ隠れ続けるのは間違いない。


結果として公爵と侯爵の証拠は出てこなかったが、周りがシロばかりだと彼らのグレーは限りなくブラックだ。


ならばこちらのやり方で心を折りに行くまでだ。




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