第9話 必中

サブタイトル: 必中





一週間もしないうちに噂は駆け巡った。


しかし第三師団内で、私を好奇の目で見る者はいない。いや、何というか、厭らしい視線ではなく、こう、ムズムズするような視線で見られている。


どうやら鉄面皮の第一席が、陛下の顔を見るなり泣いたばかりか、別室に連れられ慰められたと話が流れているらしい。




曰く、最近浮いた話も無かった陛下が、第二側妃に再び手を差し伸べた。


曰く、陛下が二日と空けずに第三師団へ視察に赴いている。


曰く、案内するのは第三師団魔導士部隊第一席の肩書たてまえを持つ第二側妃である。


曰く、その流れで毎回二人は夕食を共にし───。




「たった一回の事が、なぜ何回も行ったとなるのかしら」


「泥沼の後宮に、皆辟易へきえきとしていたのでは?」


副官の返答に、ため息が漏れてしまう。


「泥沼だったことは認めるけれど、最後のは一体なんですか?まるで毎晩、閨を共にしているみたいではないですか」


「噂には尾ひれがつくものです。諦めてください。それと───」


「それと、何?」


「噂の火消しに回るのは逆効果です。この手のものは、放っておけば新たな噂に視線が移っていきます」


彼の言葉にこの件については打ち切り、私は肺から嫌な空気を吐き出して、新たな書類に手を伸ばした。






第一側妃が王都を離れた。


療養の為と謳ってはいるが、事実上の離縁である。


鏡恐怖症を悪化させ回復の見込みの無い現状、時折響く彼女の悲鳴は遠くからでも聞こえ、王宮内でも問題になっていたからだ。


影口がささやかれ、よろしくない風聞も、大元がいなくなれば沈静化していくだろう。




また正妃も同様の措置が取られるはずだったのだが、高さを廃した屋敷等を一から用意するのは費用も掛かる為、今まで通り過ごしている。


今まで通りとは言っても、彼女は一歩も部屋から出てこない。けして幽閉などではない。引きこもっているのだ。


こちらは悲鳴を上げる前に卒倒してしまうので、静かと言えば静かである。


最近では空の高さにさえ恐怖を覚えるとか。そのうち目に付く高い位置のものに想像力をたくましくし、恐怖で心臓が止まってしまうのではなかろうか。




かく言う私の方は───陛下と会食の真最中である。


とは言え二人きりではなく、晩餐会に臨席している。しかも不本意ながらドレスを着用して、だ。


招待状を貰った時点で、陛下も参加と分かると欠席するわけにもいかず、ここ何年もドレスを誂えていなかった私は、軍服の第二種礼装で会場に到着した。


出迎えた執事は笑みを浮かべると、私を別室に案内し待ち構えていた侍女達に引き渡したのだ。


結果、シックなドレスに身を包み、化粧を施され、地毛と同色のかつらまで用意された私は、陛下の隣の席に案内された。


こうなることを危惧しての第二種礼装軍服で、その場合ならば末席に案内されたはずなのに、誰が手配したのか相手が一枚上手だった。


全員が揃うと最後に陛下が入場してくる。


衆人の注目を集める中、陛下は私が隣に着席しているのを確認すると、なんと薄く微笑みを浮かべた。


目が合ったから間違いない。


あまりの事に顔を反らすと、それに気付いていた者が二人おり、私と陛下へ交互に視線を移していた。


感情を隠して睨みつけてないのは流石だろう。


その二人とは、正妃と第一側妃の父親たちだ。この国の公爵と侯爵。将来の女王の外戚がいせきとして、また協力者として力を蓄えている二人だ。


面倒なことにならねばいいが。




その後も何度か夜会に招待されたが、その度に軍服の礼装で向かい、その度に用意されたドレスに着替えさせられた。


つまりは側妃としての参加を要求されているのだ。しかしそれならば別々の入場もおかしな話で、そのような真似をすれば二人の間が冷めていると公言するようなものだ。


にも拘らず、陛下は当たり障りのない問い掛けをし、私も無難な答えを返す。


となれば顔を窺わざる得なく、穏やかな表情には同等のものを返していると、同席していた者たちの雰囲気も柔らかいものなっていく。


なんともおかしな関係。不安定とも違う、ふわっとした状態。


だがお開きになると、別々の馬車で帰る先も違う。


そんな隙を突かれた。




「ふう」


「どうかなさいましたか」


付き添いの執事が訊ねてくる。


「慣れない場所で疲れたのだと思う。何度参加しても場違いだと思うもの」


「何をおっしゃいますか」


執事は否定してくるが、調子が今一つなのは確かだ。


“ブルルルル”


馬の嘶きと共に突然馬車が停止した。


「何事?」


「お客様です。前を塞がれました」


馬車の前の小窓が開き、慌てた様子もなく馭者が返答する。


「こういうのも久しぶりね。どこの手のものか吐かせるから───」


「分かっております。手加減ですね」


黒杖片手に馬車を降りると、剣を手にした無頼漢が十人ほど立ちふさがっていた。


人数差があるので余裕ぶっているのだろうが、私が杖を一振りすれば壊滅は一瞬だ。




「せ、せめて一太刀……」


依頼遂行に律儀な者が残っていたらしく、その男は最後の力を振り絞って小剣を投げつけてくる。


余裕をもって避けようとした瞬間、私は突如吐き気を催し、体勢を崩してしまう。杖で打ち払い損ねた小剣の切っ先は、腕をかすめ礼装は血で滲み始めた。


「奥様!」


「かすっただけよ。それより!」


指示通り難無く無頼漢どもは打ち伏せられ、執事の尋問が始まると、さほど時間を要さずに背景は明らかになった。


言わずもがな。これらの輩を差し向けたのは、侯爵の手によるものと判明した。


何故このタイミングで襲わせたのか、理解に苦しむ。ひょっとして陛下との様子を邪推して、警告のつもりなのか。何れにせよ距離を置こうと考えていた所だし、今後招待状が届いても体調不良を理由に断っていくことにしよう。


仕事もうまくごまかさないと。




などと考えていたにもかかわらず、今まさに陛下付きの医師に手当てと診察を受けている。


腕を吊って出勤した姿を、誰かが陛下の耳に入れたのだろう。それとも私の様子を見張らせている?


どちらにせよ偶然ではあるまい。


「きれいに手当てされておりますのう。念のため再度傷口を清めておきましょう」


そう評価した老医師は手際よく処置していく。


「それにしても、貴女ともあろうお方に傷を負わせるとは、相当な相手だったのですかな」


「いえ、そうではなく」


と、簡単に当時の様子を説明すると、老医師の片眉が動く。


「少し拝見」


老医師による診察が再び始まった。結果───


「……おめでたですな」


「!!?!」


絶句してしまった。必中も良いところだ。あれほど努力していた正妃や第一側妃が哀れですらある。


「このことは内密に」


「……安定期に入るまで、公にしないことにやぶさかではございませぬが、ご懐妊を陛下にお知らせせぬ訳にはいきませぬのう」


「くっ」


二の句が継げずに、手が彷徨ってしまう。


彼女たちはもう脅威ですらないが、今度はその父親たちが問題だ。また同じことを繰り返せねばならないのか。しかし今の私には力も権力もある。


図らずも宿ってしまった命。


今度は失敗できない。失敗するつもりもないが。




数日後、護衛が増えた。


私や師団側で手配した者ではない。


陛下が手配した者達、つまりは陛下直属の影の者だ。


同士討ちを避けるため、なんと挨拶にまで来た。表向きは私の秘書として配属され、寝室まで入れるように女性を寄越す念の入れようである。


こちらにもその手の人員はいるのだが、あの泣き腫らした夜を切っ掛けに、陛下の私を見る目が変わってきた、と思う。


いや、それは本当にそうなのだろうか。孕ませた義務、血筋を絶やさぬ為にやっているだけなのかもしれない。


妊娠が無ければ距離を空けることも出来たのだろうが、今となっては遅きに失している。


堕胎することも出来ないが、敵の襲撃に身を任せるつもりもない。


私は息子を思い出しながら、今はまだ平らなお腹をそっと撫でさすった。



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