第三章
第4話 わたしの狂気を瀉血に込めて
お姉ちゃんの味蕾を歯で噛み千切って、花開いた血を啜る。
いつからか、お姉ちゃんの血液から私の味がするようになった。それはわたしも同じみたいで、お姉ちゃんいわく、わたしの血もお姉ちゃんの味がするみたい。嬉しい。
毎日毎日、食べる料理にお互いの血をまぜまぜした成果が出ているんだと思う。
血液を交換し合い、体の中で大好きな人と混ざり合う。最初はうまくいくのかわからなかったけど、ちょっとずつ、ちょっとずつ、わたしはお姉ちゃんに、お姉ちゃんはわたしに、成分が近付いていっているのがわかる。
お姉ちゃんの唾液の甘さと、血液の濃厚な甘さが混ざり合って、わたしとお姉ちゃんの境界を溶かしていく。
そんなことを考えながら、私は自分の舌を力強く噛むことで傷口を作り、お姉ちゃんに血を与える。
最初の頃のお姉ちゃんは、血をチョコレートに混ぜないと美味しく食べられなかったのに、いまではもう、わたしの血液を直接飲み干さないと刺激が足りなくなっている。
「妹の血、甘いね……」
「お姉ちゃんのも甘くて美味しいよ……」
わたしとお姉ちゃんの血液が口の中で混ざり合い、どろどろになった赤黒い唾液が、唇を離したわたしたちを繋げたままにしている。
真っ赤で、真っ黒に淀んだお姉ちゃんの瞳は、わたしの心をいまにも握り潰そうとする。
わたしの血を取り込むほどに、お姉ちゃんの心と肉体は穢れを溜め込んでいく。そのせいで社会生活がどんどん困難になっているみたいで、それが嬉しい。罪悪なんてない。
だって最初にわたしの心身を穢したのはお姉ちゃんの方なんだから。生まれた直後のわたしを抱き上げて、優しく撫でたりしなければ、わたしはこんなにもお姉ちゃんを求めたりしないんで済んだのに……
「ねえ、今年はどんなチョコレートをくれるの?」
欲望を隠せなくなって久しいお姉ちゃんは、いやらしく瞳孔を震わせ、可愛くおねだりをしてくる。
純度百パーセントの血液でないとお姉ちゃんは満たされない。だけど、バレンタインは特別な記念日だから、血液チョコを作ることに決めている。
だって、バレンタインがなければ、私たちをこんなにも歪な形で結び付けることは、きっとなかったから。
「今年もお姉ちゃんと一緒に作ろうかなって考えてるの」
「でも、それじゃ、物足りないよ……」
お姉ちゃんはわたしの血を食べ過ぎて、中毒症状を引き起こしている。それはわたしも同じ。いまさらお姉ちゃんの血を混ぜたチョコレートでは、満たされない。カカオとお砂糖なんて、お姉ちゃんの血液の味を思えば、不純物のようなもの。
だけど手作りチョコレートというクッションがあることで、超えられる一線がある。
わたしとしては、バレンタイン毎に、お姉ちゃんの理性の箍を一つずつ壊していくのを目標にしている。
最初の年は血を食べること自体を刷り込んで。二年目は血を味わうことを当たり前にして、三年目は血を求めることを当たり前にした。そして去年、わたしはお姉ちゃんに血を与えることに成功した。
だから今年はもっと、もっと過激なことをしないと……去年と同じことをしたって意味がない。
「安心して。ちゃんと考えてあるから……今年はね、二人で一つのチョコを作るの。それってすごく、興奮しない?」
一瞬、お姉ちゃんは何のことかわからなかったみたいだけど、すぐにわたしの意図を理解してくれた。
それと同時に、瞳から光が消えた。
※※※
今日は2月14日。妹と二人で家のキッチンでチョコを作っている。
去年までなら型は二つ以上あったけど、今年は手のひらほどの大きさをしたハート型の型が一つあるだけ。
側から見ると寂しいのかもしれないけど、それは違う。
最初は確かにあったはずの倫理は一年毎に崩壊し、いまの私は四年前の私とは全く違う。
人としての禁断を破り、最愛の妹の血液を求めてやまない、獣へと堕ちた私には、たった一つだけのチョコレートこそ、バレンタインに一番欲しいもの。
砕いたチョコレートをボールに入れて、二人で湯煎をする。
ここだけ見ていたらすごく真っ当な、バレンタインのお菓子作り。だけど実際は全然まともじゃない。湯煎の先に、血を混ぜる工程があるのだから、まともなわけがない。
しかも今年は、去年よりも更に酷いことになる……予定だから……
「よし、こんな感じでいいかな。それじゃ、お姉ちゃん、しよっか」
湯煎を終えた妹が、上目遣いで見つめてくる。
何百回とこの角度で妹の顔を見てきたけど、未だに慣れることができない。
そんな困惑をよそに、妹は前触れなく私の右人差し指を咥える。
その瞬間、鋭くて、だけどハチミツのように甘い痛みが脊髄から脳まで貫いた。
「上手く噛めなくて、痛かったよね。ごめんね、お姉ちゃん……」
痛みを堪える私を心配して、妹が甘い声をかけてくれる。
だけど妹の表情は、優しい言葉と声色に反して、醜く、妖しく、歪んでいた。そしてそれは、私もきっと同じ。
妹から与えられる痛み。妹の口元を赤く汚す、血の痕。それを見ているだけで、頬が緩むのを抑えられない。
「はい、お姉ちゃんもしていいよ」
そう言って妹は右手の人差し指を私の口元に差し出してくる。
頭ではこんなことをしてはダメだとわかっている……お互いの指を噛み切って、血を出し合って、混ぜ合わせるなんて……そもそも不衛生だし……
だけど自分を抑えられない、妹に、噛み切られる甘味な痛みを与えたい。歪む表情を見たい。
邪な感情を抑える方法を、私たちは完全に忘れてしまった。
妹の指を口に含み、牙を立てる……つもりだった。だけど思ったようの顎に力が入らない。全然、入らない。
人の皮を喰い破るのは、想像していた何倍も、何十倍も……それ以上に難しかった。
人としての理性が、獣のように牙を皮膚に、その下にある肉にまで、届かせることを躊躇させる。
頑張って歯を何度も何度も突き立てるけど、全然上手くいかず、人差し指の上を滑るだけ。
妹に痛みを与えるどころか、くすぐったそうにさせることしかできない。
妹にされた時はこんなことなかった。妹は一撃で、躊躇いなく、私の皮膚を喰い破ってくれた。
私は妹と比べたらまだまだまともな世界にいるということを、こんな所で自覚させられる。
どれだけお互いの血を飲ませ合っていても、わたしはまだ最後の一線を超えられていない。
私のずっとずっと前から壊れていた妹と比べたら、私は全然普通だった……
「もう大丈夫だよ、お姉ちゃん。ムリさせてごめんね。お姉ちゃんはそのままでいいんだよ」
何十回目のトライに失敗したと同時に、妹は私の口から指を引き抜いた。
その人差し指は私の唾液で濡れているだけで、血の一滴どころか、歯形の一つも付いていない。
妹はいつも私を噛んだり、傷付けることで血を飲んでいる。だけど私は、妹の自傷行為にいつも頼っていた。
大切だから。大好きだから。そんなありきたりな言葉を言い訳にして、妹の体に傷を付けることから逃げ続けていた。
妹の血を求めておきながら、傷付ける罪からは都合よく目を背けていた。
「これ使えばいいかな」
妹がチョコを砕くために使ったナイフを手に持って、人差し指へと向ける。
私の大切な妹に、私の代わりにナイフが傷を付ける。
それがなぜだか我慢できなくて……許せなくて……
私は自分以外の何者かに突き動かされるように、妹へ飛びかかり、目の前にあった中指を咥える。
そして思い切り牙を突き立てる。さっきよりも勢いをつけて。心理的にも、肉体的にも。
「痛っ……!」
その甲斐もあって、妹が痛みに声を上げた。それと同時に、私の口いっぱいに血のどろりとした甘さが広がる。
大好きな妹を傷付けた罪悪感……妹の痛みに喘ぐ悲鳴……どれも人として嫌悪しなければならないものであるはずなのに、私の心は踊っていた。
「……っへへ……やっとお姉ちゃんからしてくれたね……嬉しい……」
そのはずなのに、妹の中指を見た瞬間、急速に気持ちが萎んでいくのを感じた。
勢いに任せて噛んだせいで、中指が抉れている。骨が見えるほどじゃないし折れてもいない。だけど噛みちぎられたって、一目でわかるほどの深い傷が付いている。
妹のように上手に噛めなかったせいで、必要以上の痛みを与えてしまった。そのことに胸が痛む……ここまでしてしまったら、遊びじゃ済まない……
それなのに妹は嬉しそうにしている。それが怖かった。
私だったら、こんなにされたら怒ってしまう。いくら大好きな妹が相手だとしても。
妹が生まれてからずっと、時間にして十八年は一緒にいるけど、この子のことがよくわからない。付いていけない……
そのせいで私はいつも妹に振り回されて、気付くと取り返しがつかない場所へと引きずり込まれている……
「ほら、お姉ちゃん、まぜまぜしよう」
「あっ、うん……」
このままじゃいけない。そうわかっているのに、争うことができない。もう手遅れなんだと思う。妹の血が、私の体に馴染んだ時点で……
試しに自分の腕を切って、飲んだ私の血から、妹の味を感じるようになっていた時点で、全てが手遅れだった……
溶けたチョコレートが入ったボールが、私と妹の間に置かれる。
そしてお互いの傷付いた指を一つのボールへとかざし、二人の血液を注ぐ。
傷の深さが違うから、私と妹が一対三の割合で混ざり合う。
注がれる血の量が、私と妹の狂気の差を暗示しているように感じた。
「完成だね。お姉ちゃん」
「うん、そうだね」
二人の血液が混ざり合って生まれた、ハート形のチョコレート。
それはバレンタインに毎年妹が作ってくれていたチャコレートと比べたら、あまりにもシンプル。
生チョコでもなければ、中にシロップが入っているわけでもない。ただのシンプルなチョコレート。
だからこそ、歪さが際立つ。これまでは、自分の血だけをチョコレートに入れて渡していた。
だけどこれは違う。一つに、二人が混ざり合っている。いまの私たちのように。
「半分こにしよっか」
「そうだね、そうしよっか」
型から外したチョコレートを妹がナイフで綺麗に半分に切り分ける。
それを見ていると、なんだか私たちが半分に切り裂かれているように錯覚してしまう。
そ私たちは姉妹で、最初から分かれている。それが普通なのに、最近はそうだと思えなくなってきている。
本当は一つだったはずなのに、何かの不具合で二人に別れて生まれてきてしまったような……
「はい、あーん」
「あーん……」
姉妹で作ったチョコレートを食べさせ合う。そんな当たり前のことが、なぜこうも背徳的に感じるのだろう。
そりゃ、確かにこの年齢で一緒にバレンタインのチョコを作り合うなんて、仲が良過ぎとは言われるだろうけど……
そんなことを考えながら、チョコレートを噛み砕く。
調理を担当したのが妹だから、美味しさはいつも通り。強いて言えば、何か特別感を感じせれる仕掛けがないのが不満……そう思っていたけど、食べていくほどにそうじゃないことに気付いた。
いつも妹が作ってくれていたチョコには、血液が集中する箇所が存在することが多かった。シロップだったり、中の生チョコの部分だったり。だけどこれは、全体に満遍なく血が回っている。それも妹のだけじゃなくて、私の分まで。
そのことを一度意識してしまうと、気持ち悪くなってくる……だけど味は美味そのも。カカオの苦味と、砂糖の甘さに、血液のコクが加わって、調和が取れている。
そして味わっていくほどに、さっきまでの、自分の血液を摂取しているという嫌悪感も消えていった。なぜなら、このチョコからは私の味がしない。というより、いつもの妹の血の味しか感じない。だからこのチョコを食べていても、自分を意識することはない。できない。
それが意味するところは、私と妹の地には、味の違いはもうほぼ存在していないということ。この一年私は妹に血を与え続けていた。そして妹はこの五年間、私に血を与え続けた。
お互いの体に血を入れて、混ぜ合わせ、更にそれを与えて、混ぜ合わせ……混ぜて、混ぜて、混ぜて、そうすることで姉妹の血の成分がどんどん近付いていった。
そんなこと、常識的に考えたらありえない気がするけど、現実にありえている。
もはや私と妹の内側に流れている血液には、それほど大きな差異はないのだろう。そのせいで私は妹のことを、自分の一部だと認識するようになったのかもしれない。
「どう美味しい?」
「うん、美味しいよ。いつもと変わらない味がする」
そう感想をつ会えると、妹は嬉しそうに笑った。
※※※
今年のバレンタインも無事に姉妹の記念日になった。今日はお姉ちゃんがわたしを初めて傷付けることができた記念日。
そして、わたしとお姉ちゃんの血が、目に見える形で混ざり合った記念日でもある。
一つのチョコレートに、二つの血液。異なる血が混ざり合った、世界に二つとない特別なチョコレート。
わたしたちにしか美味しさがわからない、わたしたちだけのチョコレート。
わたしと違ってお姉ちゃんはまともだから、一気に理性の枷は壊せない。一年に一つずつ、丁寧に、ゆっくりと砕いていく。
だけどそんなお姉ちゃんのことが大好きだから、お姉ちゃんがお姉ちゃんらしさを保ったままでいられるように、ちょっとずつわたし色に内側から穢していく。
今日から来年のバレンタインまで、ゆっくりと時間をかけて、お姉ちゃんには私を傷付けられるようになってもらう。
そうすることで、もっと、もっと、深く、深く、わたしたちは混ざり合えるようになる。
わたしがわたしに与えた傷口から出る地では、やっぱりダメ。お姉ちゃんからの傷も、自分でつけた傷も、表面的には同じかもしれないけど、やっぱり違う。
こういうのは……そう、儀式だから。二人、生まれる時代も、肉体も分かれてしまった姉妹を一つに戻すための。だから本質的な部分こそ、こだわらないと。
そうやって毎年、禁忌を犯すことで、着実に一つへ近付いていけてるんだから、わたしはきっと間違っていない。
この調子でいけば、きっともうすぐ、本当の意味で一つになれる……よね? そう遠くない未来で……
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