第二章
第2話 私たちの気持ちを瀉血に込めて
「お姉ちゃんって、わたしの血液チョコ好きだよね?」
今日は2月2日。朝起きてリビングで妹と二人きりになると、突然そんなことを聞かれた。
三年前から妹は毎年バレンタインになると、手作りチョコをプレゼントしてくれるようになった。
その味は世界のどこにもない、滑らかでありながら癖のある味わいで……毎年その赤黒みは増していった。
妹の手作りチョコには彼女の血液が含まれていて、毎年その含有量は加速度的に増やされていた。
そんなことに私は気付かず、妹の血液の味に夢中にさせられていた。
「お姉ちゃんとして、さすがにそれを好きとは言えないでしょ……」
とはいえ、倫理的にも肉体的にも、妹に負担を強いる行為だからとても欲しいとはいえない。
好きだけど好きとは言えない。そんな複雑な感情が胸の中に渦巻いている。
「絵に描いたように肯定な言葉だよね、それ」
妹はそんな優柔不断な気持ちを見抜いてくる。
ハッキリとした言葉と、優しくもどこか蔑むような視線で。
「うっ……確かにキライじゃないっていうか、どちらかというと好きだけど……体に悪いし……」
「私が欲しいのはそんな言葉じゃないって知ってるよね?」
妹がグッと顔を近づけて、瞳を覗いてくる。私の欲望を刺激し、倫理観という鎖を壊そうとするかのように。
「お姉ちゃんは最近忙しくても、わたしとの時間を作ってくれたよ。そのお返しがしたいの。ダメかな?」
甘ったるい言葉に、上目遣いが合わさり、正気を保つことさえ出来なくなりそう。
子どもの頃からずっと過ごしたリビングのはずなのに、そんな慣れ親しんだ空間には感じられない。
ずっと一緒に生きてきた妹に誘惑されるという異様な体験が、朝日さえも妖艶なものに感じさせる。
「……やっぱりダメだよ。そんなことしなくても、私は妹のことが大好きだから。そんなことしないで」
そんな酔いそうな空気感の中で、私は辛うじて妹の頭が蕩けそうになる誘惑を退けた。
やっぱりこういうのはよくないよ。自分の血液を調味料にして好きな人を夢中にさせるなんて健康的じゃない。
私は普通に妹との関係を深めていきたい。半ば妹血液中毒になったいまではもう手遅れかもしれないけれど……
「そうなんだ。わかった! お姉ちゃんが嫌がることはしたくないからね」
妹はそう言って背中を向けた。
「じゃあ、今年は血液チョコを作らないから、今度の日曜日、一緒にチョコ作ろう?」
なんとか理性で乗り切ったと胸を撫で下ろした瞬間、妹は振り返ってそんな提案をした。
「普通のチョコレートをね」
何か思惑があることを隠そうともしない、声色と眼差しと共に……
※※※
「材料はこんなものでいいかな」
仕事のない日曜日。お母さんたちもいない、妹と二人っきりの日曜日の昼下がり。私たちはキッチンにいた。
妹が先んじてチョコレートやお菓子作りの器具を並べてくれてくれたおかげで、初心者の私でも簡単に作業ができそう。
「それじゃ、はじめよっか」
「そうだね」
ごく普通に始まったチョコレート作り。
妹の工程を続いて真似していく。チョコレートをナイフで切り刻んでボウルに投入していく。
「私の分も含めて湯せんを頼んでもいい? その間に次の準備をしておくからさ」
「それじゃ、やっておくね。上手くできるかわからないけど」
「最後にわたしもチェックするし心配ないよ」
そう言って妹は少し離れたところで、初心者向きではない異様に手の込んだチョコ作りを開始した。
「普通に進めるんだね」
そんな言葉が自然と漏れた。向こうにいる妹の作業を見ていても、血を入れようとするそぶりは見せない。
それどころか手慣れた動きで、速やかに完成に向けて走り抜けている。
このままでは工程がはるかに少ないはずの私の感性の方が遅いなんてことになってしまう。
かといって、初心者が焦っても良いことは何一つない。
丁寧に、丁寧に、一つずつ作業をする……
「っ……」
チョコレートをナイフで切り刻んでいると、指先に痛みが走った。
焦っていないつもりでも、どこかで焦りがあったみたいでほんの少しだけ血が流れている。
「バンドエイドつけないと不潔だよね……」
そう思って救急箱を取りに行こうと動き出した刹那、心の奥に押し込めていた願望が顔を覗かせた。
妹に血液チョコをあげたらどうなるんだろう……
別にこれは意図的な出血じゃない。“事故”で私の血が混ざるだけ。だからこれは、好奇心とか、そんなんじゃない。
妹の血液を何度も、何度も味わったことで、血液を食べ物に混ぜる行為への抵抗感が薄れたなんてことではない。
「っっっ……」
ナイフを持った右腕が、“事故”でさっきの傷口をもう一度切った。
さっきよりも多く流れる私の血液。これくらい入れないとさすがに気付いてくれないと思う。
でも、やるならたくさん入れた方が美味しいのかな?
妹の血がたくさん入っているチョコレートの方が甘くて、頭が溶けそうになったから。もちろん、チョコレートを作る技術が向上したことも要因の一つだとは思うけど、血の量もきっと味に影響している。
あぁ、ダメだ……一度始めたら歯止めが効かなくなる。どれだけ妹への思いを注ぎ込んでも、足りない。
これくらいじゃ、私の気持ちは伝わらない。そう思って、どんどんどんどん、チョコレートが赤黒くなっていく。
純粋だったチョコレートに異物が混ざることで、変な塊が形成され始めている。このままじゃ、美味しい手作りちょこじゃなくなるとわかっているのに、やめられない。
いまなら妹の気持ちがわかる。これは……一度始めたらやめられない。食べる方もクセになるけど、作る側もクセになる。
自分を食べさせるなんてあまりに人の道を外れているから、一度踏み外してしまったら、もう二度と戻れない……
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