第49話 要らない相談料

「…………はい、姉貴!!!」


 彼の言葉は、私のウソを貫いて、胸に締めつけられるような激しい痛みが走った。


 私はできるだけ表情の歪みを隠し、そのコインを彼に差し出す。


「はい、返すよ」


 彼は私の手と顔を見て、一瞬意外そうな顔する。


「えっ……いや、それは、あげるよ。相談料として貰っといて」


 たぶん彼は、コインが返ってくると思ってなかったのだろう。たぶん、いつもの私だったら彼の言う通りにすると思う。でも、今回は…………


「返すよ……さすがに悩んでる人から金を取れないって」


 私は「はいっ!」とさらに手のひらを差し出す。だけど、彼は無視してリュックを背負う。


「じゃあ、これから勉強しに帰るから。ありがとう!」


 私の手のひらに見向きもせず、彼は帰ってしまった。



 私は相談料だと置いていった、手のひらのコインを見つめる。

 彼は明るい表情をしていた。私の言葉で少しは気が晴れたのかもしれない。


 コインをギュッと握りしめる。手のひらは悲鳴を上げるほど痛む。


 彼が言った、”姉貴“という言葉が脳に響く。


 もしかしたら彼にとって私は気軽に相談できるような、姉のような存在に…………


「何もしてない私が、なに、人様に偉そうにアドバイスしてんだよ!!!!!!」


 コインはキーンと音を立てて、地面を跳ね、数メートル先に転がっていく。


 考えるたびに込み上げてくる、吐き気にも似た気持ち悪さに、私は耐えることが出来なかった。


 だけど、大型ショッピングモールの前、すなわちここは公共の場。

 

 突然叫んだ上に、地面にコインを投げつけたりなんかしたら…………


 もちろん、私は奇異の視線に晒された。


 どうでもいいや。そう思っていたけど、さすがに落ち着かなかったので、私は店内に逃げ込むように入った。


* * *


 苦いコーヒは、胸の内と同じ味がした。


 とりあえずカフェに入った私は、最大限の気持ち悪さをコーヒーで流し込んでいた。


 彼はあれだけ悩んでいて、それでも立ち向かおうとしている。それなのに私はしょうがないなんて言って放棄をする。そんな私が人にアドバイスなんてしていいわけがない。姉貴と呼ばれる資格なんかないし、相談料なんてもらっていいわけがない。


 何偉そうにコイントスなんてしてんの? 


 だったら、自分でしろよ!!


 わかったすればいいんでしょ!!!!


 私はヤケクソ気味に、高々とコインを弾く。見上げるだけ高く登ったコインは綺麗な軌跡を描き、手の甲に戻る。コインを押さえた手を離し、裏表を確認すると、そのコインを再び親指に乗せる。


 そのコインは四回も宙に舞った。


 ようやく見えたコインの数字面。コインの載った手の甲に、一粒の雫が落ちる。

 目を拭っても止まりそうにもないその雫に、私は顔を押さえた。

 それでも止まることはなくて、ただひたすら、自分の心の悲鳴を受け止めた。



* * *


 藍沢さんが伊藤の隣にいるのは嫌だけど、告白するのは何か違う……


 俺は教科書とノートを開き、シャーペンを持ってから、問題に向き合う。だけど、その都度頭の中でモヤモヤが脳を巡る。


 今すぐにベットに張り付いてしまいたい。


 だけど、家に帰ってから、一時間に一度のペースで背筋がぞくぞくと震えるような視線を感じる。

 おそらく末恐ろし妹に監視されていて、寝転びでもしていたらまたバトることになる。とても面倒ごとになるから、俺はこの体勢のまま悩んでいた。



 好きか嫌いかなんてまだわからないし、考えたこともなかった。もちろんキープがしたいわけでもないし、でも離れてほしくない気持ちもある。


 結局、目の前の勉強に集中できずに、思わず引き出しを開ける。もちろん面白みのあるようなものなんてなくて、ほとんどがゴミだった。


 バレたら妹とバトルだとか思いながらも、ついガサガサとあさっていらないプリントをゴミ箱に入れる。そして今度は右の反対側、左側の引き出しを開ける。


 こっちは大切なものを入れる場所で、ゴミなんかは溜まっていない。それでも、中のプリントを見てみると、学校のお知らせ関係のプリントの中に4つ折りのルーズリーフが入っていた。なんだろうと思い、ゆっくり開けてみると…………



「文字多いっ!!」


 そこには大量の可愛らしい文字が並んでいた。


 そのプリントは「野村くんごめん! 本当に迷惑かけてごめん! でも、恥ずかしすぎて話せないから手紙で話すね……」で始まり、最後の一文には「どうしてもこの感動を誰かに共有したいから、もし良ければ映画一緒に行きませんか?」と書いてある。


 映画館に行った日のものだった。


 あの時、逃げようとしたら、手を掴んでこれを渡してきたんだっけ……

 手紙を読むときも、チラチラ見られてたから結構恥ずかしかったんだよね…………


 あの時のことはちょうど今体験しているかのように思いだせて、つい笑顔になる。でも、その思い出はすぐに消えてしまう。


 はぁ〜隣に藍沢さんがいたらなぁ…………


 後ろからは階段をのぼる音が微かに聞こえた。早く余計なものをしまって、勉強しないとまたバトることになる。


 そして、ドアがそろりと開いて


「クソ兄貴!!! 勉強しろ!!!」


 と聞いた時だった。


「そうか!! 隣か!!!」


「何言ってんの……って、何勉強道具しまってるのよ?? クソ兄貴やばいんでしょ??」


「ごめん、ツバサ!!! 行ってくる!!!」


「はぁ???? どこに?? 勉強は、ねえちょっと!!! 馬鹿じゃないの???」


 俺は勉強道具を詰めたリュックを背負って駆け出した。妹の罵声を背に。


 まだ彼女がいるかなんてわからないけど、それでも走るしかないと思った。


* * *


 俺はエオンにたどり着くと、まず外を探した。もちろんさっき座ったベンチを探したけど、そのどこにもいなかった。


 さっき出会ったのが午前中で、今はお昼も回って数時間は経っている。買い物とか済ませたらすぐ帰っちゃうだろうし、逆に坂本さんが、エオンでそこまで時間が潰せるような猛者だとは思えない。 


 不安を抱きながら、店内へと入る。


 一階をぐるっと回ってみたけれど、見つけることはできずに、続いて二階へと向かった。


 ちょうど映画館があるそのフロアは、やけに懐かしく見える。


『そうそう、ここで映画をみた後、沙奈が泣きついたから近くのカフェに行ったんだっけ……』


 懐かしさに浸りながらあたりを見渡す。


『そしたら坂本さんが来て二人を連れて行っちゃったんだよね。そう、そこにいるような坂本さん…………坂本さんっ!?』


 彼女はなぜかカフェで伏せて寝ていた。どういう状況なのか全くわからないけど、さっきと同じ服を来て、あのショートヘアーなら、坂本さんで間違いない。



「坂本さん?」


 彼女はピクリと肩を振るわせるとゆっくりと顔を上げる。よっぽど眠たいのか少し目が赤くて、指の跡が僅かについていた。


 目がゆっくりとあいて、俺とばっちりと目が合う。ほんの少しだけフリーズしたかと思えば、その刹那、彼女はまた伏せてしまった。



「坂本さん!?」


「野村くん、どうしたの??」


 坂本さんの声はくぐもっている。顔を伏せたまま喋ってんだから当然だった。


「坂本さんこそどうしたの?? 眠いの??」


「そ、そうそう! 私ちょっと眠くて…………だからこの体勢で話させて」


「寝る気満々だね!? 話聞く気ないでしょ?」


「あるある!」


 彼女はやれやれと言った感じで顔をあげる。わざとらしく目をこすってから、あくびをする。



「野村くんどうしたの?」


 彼女がやっと話を聞いてくれそうな感じになったので、早速要件を切り出す。


「お、俺に勉強を教えてください! なんでもするから、お願いします!!」


 躊躇することなく、足を地面につきそのまま頭を下げる。俺の行為に坂本さんは慌てる。


「ちょっ、なんで土下座してんの?? 顔あげて! 私が悪いことしてるみたいじゃん!!」


「お願いします!!!」


「いや勉強ならいくらでも教えるから!! やめて、その土下座をやめて!!!」


 坂本さんがそう口にしてから、俺はようやく立ち上がる。膝を払っていると、坂本さんは急に微笑む。



「ちゃんと、心は決まったんだね?」


 俺はゆっくりと頷いた。


「じゃあ、私も気合入れなきゃね!!」



 坂本さんと日が暮れるまで勉強をした。

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