第43話 先生が朝言ったことは、大体夕方には忘れている


「はい、席について! 朝のHRホームルーム始めるよー」

 

 担任の青木先生は、元気よく声を張り上げる。

 青木先生は若い女性の先生だけど、ビシビシしていて、皆いうことを聞く。だから、皆すぐに席に着く。


 そうしてHRが始まった時、私はもう一度左の方を見た。だけれど、野村くんの奥の席はやっぱり誰もいなかった。

 

 見間違いじゃなければ、教室で彼女の姿を見ているし、「どうしたの? テス勉で寝不足?」なんて会話をしたような記憶だってある。



「はい、じゃあ出席ね〜今日いない人は…………藍沢さんだけだね」


 先生は教室をぐるっと見渡してから、手元の出席簿をつける。


「藍沢さんはさっき体調不良で休むと連絡がありました。梅雨で体温調整が難しかもしれませんが、テストも近いから、体調管理に気をつけましょう」


 体調不良?? 


 私は大きく首を傾げた。確かに、寝不足で体調不良はあり得るけど、さっきは結構元気そうだったのに……

 

 私はもう一度左側を見る。今度は奥の空席じゃなくて、手前に座る彼の顔を。


「えーと、なんか連絡はあったかな…………あー、そうそう。今日の放課後はすぐに帰らないでね。少し用事があります。それくらいかな……」


 なんで藍沢さんがいないのか、理由はあきらかだった。


 だけれど、今は彼に話しかけるつもりはない。単純に時間がないっていのはあるけれど、藍沢さんが朝には来てたってことは、事故はついさっきあった可能性が高くて、彼自身も落ち込んでいる可能性が高い。


 とりあえず今はガマンだ。


 色々知りたいことをガマンして、私はテスト勉強に集中した。



* * *


 ふと左を振り向くと、外は相変わらず暗かった。


 ずっと降り続く雨粒は、あけることを想像させてはくれないし、打ち付けられたぐちゃぐちゃになったグラウンドが乾いて固まる様子だって想像できない。


 視線を雨粒から、隣の机に移す。


 普段は彼女自身に目が行っていていたから、その机を見るのは新鮮な感じがした。木目調の天板には、落書きのひとつもなかったり、側面のフックには何もかかっていなかったり。いなくても藍沢さんの席だと強く主張してきて、俺は無視できなかった。


 別に普段から話すことはないし、もはや誰かの恋人だし、いてもいなくても前を向いたらいつも通りなはずなのに、前に集中すればするほど、視界の外で寂しさが溢れてくる。


 そして、何度も何度も浮かぶ、『何で?』の言葉。


 確かに、そんな噂が立っているって知ったら誰しもショックかもしれない。人知れずに、プライベートが広まっていたら嫌かも知れない。だけど、もし俺が藍沢さんだとして、その時は坂本さんでも沙奈でも、誰かに噂のことを聞くと思う。


 知らないことが1番怖いから。


 だけど、藍沢さんは俺を睨んで逃げた。


 なんで?


 確かに嫌味は言ったけれど、恋人同士楽しくやっているなら、それくらいは受け止めてほしいし、藍沢さんがそんなことで学校をサボるような人にも見えない。


 なんで?? なんで???



 俺の頭は、次第にその事ばかりがぐるぐると回って、授業に集中できなかった。



* * *


 やっとチャイムがなって、教室はすぐに賑やかになった。

 

 午前の授業は、終わったと言うよりか、過ぎて行ったと言った方が感覚的に正しかった。勉強に身が入らなかった俺は、ただ授業を聞き流したり、テスト前の自習時間ををぼーっとして過ごした。


 そして、イマイチ食欲がない俺は、机の上に弁当を出しつつも、蓋を開けたり閉めたりしていた。


『別に今日は食べなくてもいっか』


 なんとなくそんな思考に至っていて、弁当をカバンにしまおうとした時、ふと前の方から声がした。


「あら裕太、もう弁当食べたのかしら、早いわね」


「いや、野村くんはまだ食べてないと思うけど……」


「そうなの? じゃあ、食べないのかしら??」


 最近の昼休みには珍しい二人組がいて、沙奈が前の席に腰掛けて俺の机に弁当を置く。


 でも、今は誰とも話す気分じゃなくて、視線を逸らすように机の下でスマホを見つめる。だけど、そのスマホもすぐに沙奈に取られてしまった。


「本当裕太、どうしたのよ??」


「どうもしてないよ」

 

 俺はそう言いつつ、彼女が握るスマホに手を伸ばす。だけど、腕も長い彼女はいとも簡単に俺の手をかわす。


「なんか変じゃない? 昼休みにご飯を食べないなんて見たことないわよ!」


 どうやら彼女からスマホを取り返すの無理っぽい。俺は仕方なく、机に顔を伏せる。


「あーあ、伏せちゃったよ??」


「だって、本当に様子が変だわ!!」


「沙奈は最近熱くなりすぎなんだよ…………それでね、野村くん」

  

 姿は見えないけれど、坂本さんの声は少し柔らかな口調に聞こえる。


「もう、単刀直入に聞くんだけど、藍沢さんに噂が伝わっちゃったの??」

 

『えっ! なんで知っているの!!』


 俺は思わず起き上がりそうになったけれど、こんな簡単に懐柔されたくなくて、意地を張って顔を伏せる。


「おーい、野村くん?? 聞こえていると思って話を続けるんだけど、あの噂ははっきりした情報源がないの」


『でも、火のないところに煙は立たないような気がするけど……』


「学食で一緒に食べているところとか、ファミレス一緒に帰ったところとか見られて、噂になっちゃったらしい」


『学食で一緒に食べたりとか、仲良さそうに帰っていたら、そりゃ勘違いするし、噂もたつよ……』


「だから、変に鵜呑みにしないであげてほしい。たぶん、藍沢さんも意図しない情報が流れるのは、嫌なことだと思うから」


『やっぱり、付き合っている噂が流れるのはあれだけショックがることなのか……』


 ……そうつぶやいてみるけど、その言葉にイマイチ釈然としなかった。普通はどこまで広がっているか気になるもんだと思うんだけど……


 なんて考え込んでいると、突然視界に蛍光灯の光が差し込んだ。


「早く顔あげなさいよ!!」


 沙奈はおでこの辺りを両手で掴んで、俺の顔を持ち上げる。開けた視界の先では、真剣な目をした沙奈と目が合った。


「噂は勘違いなんだから、ちゃんと小春と仲直りしなさいよ。じゃないと、倒しがいがないんだから」

 

 その声音は、いつもより真剣に聞こえた。それこそ昔を思い出しそうなほどに真剣な声。だけと、言葉の意味は分からなかった。


「倒しがい??」


 俺が首を傾げていると、坂本さんがこそこそ話すふりで、耳元に近づく。


「野村くん? 沙奈は藍沢さんが大好きだから。……そう言うことよ」


 でも、コソコソ話すフリなだけで、沙奈にも普通に聞こえていて、彼女は不満そうに坂本さんを睨む。


「べ、別に小春のことなんて好きなわけないわ! に、憎きライバルよ」


「ハイハイ」


 坂本さんは沙奈の言葉を適当に流すと、俺に向く。


「だから、今は野村くんも元気出して。そもそも、午前中ぼーっとしてたでしょ? ちゃんとご飯食べて午後から挽回しなきゃテストやばいよ??」


「そうなの裕太?? もし勉強困っていたら、言いなさいよ。教えてあげるから………………愛が!」


「って、私!? …………まあ、私か…………沙奈も律儀だね……」


「その目はやめなさい!」


 沙奈は坂本さんに向かって文句を言った。


 二人はお互いに怒ったり笑ったりしている。そんな彼女らはとても仲がいいんだなって思うのと同時に、二人と俺の間には大きな溝があるようにも思えた。


 さっきから三人で話しているはずなのに、まるで一人取り残されているような疎外感。二人の会話はもちろん理解しているし、意味はわかるんだけど、それでも何か足りないような虚無感。


 そんなこんなを感じて、俺は彼女らの言葉に対して、素直に耳を傾けることができなかった。だから……


「わかったよ! ちゃんと、弁当食べてから、午後はしっかり勉強する」


 思ってもいない嘘をつくことで、その場をやり過ごすのが精一杯だった。



* * *



 もちろん午後の授業は全く身が入らなかった。


 逆に坂本さんを不安にさせないために、勉強するふりに疲れ、結局見抜かれて、勉強をいくつか教えてもらった。でも教えてもらった内容も、イマイチに耳には入らない。


 そして、あまり勉強が出来ないまま放課後を迎えた。


 もう何も考えたくなくて、さっさと帰りたかった。だから、カバンを抱え立ち上がったところで、教室に担任の先生がが入ってきた。


「はい、お待たせ〜、すぐ終わるから! そこの野村くん、帰ろうとしない!」


 俺は瞬時に朝にあった話を思い出し、力なく座る。無駄に注目を集めたし、用事なら明日言えばいいじゃん。そんな若干の苛立ちが湧いたけど、次の一言で全てが吹き飛んだ。


「用事ですが。明日、みなさんお待ちかねの席替えをします!! まあ、テストの席順なんですけどね」


 この言葉にクラスの一部は盛り上がり、一部は「えー」と声を漏らす。そして、俺は唖然とした。


 テストの席順は、出席番号で、“の”と“あ”の二人は離れてしまうからだ。たぶん席が離れてしまったら話すこともないだろうから、謝るなら明日の朝しかない。


『なんてよりによって今なんだよ……』


 俺はしばらく、椅子から立ち上がることができなかった。


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