第42話 バチバチ


 梅雨明けは一週間後の予報らしい。


 逆に言えば、まだ七日間も経っていない今の空からは無数の雨粒が垂れ落ちて、どんよりとした空色を描いている。


 また、テストまであと一週間もないらしい。


 逆に、まだ七日間経っていない今の俺には、全能感がみなぎって…………


 イマイチ眠れなかった朝。俺は登校する時間を30分ほど遅らせた。というよりかはベットの上で30分ダラダラしていた。


 打ちつける雨を見て学校に行くのが億劫になったとか、テストが近づいていて色々イヤになったとか、理由なんて色々後づけできた。


『そもそもを言えば、藍沢さんとの二人っきりの時間が嬉しくて、わざわざ早起きしていたわけで、誰かのものになってしまった彼女と二人っきりになるのは避けるべきだ!』

 

 なんて心の中で言ってみたりもする。


 でも、1番の理由は、昨日の別れ際の顔。寂しそうな悲しそうな表情が忘れられなくて、学校に行く足が重かったからだ。


 しかも、また無心を呟かなければならないから、謝ることさえできない状況で……


「ズル休みしようかな…………」


 俺はそうして、ベットの上で目を閉じた。



* * *


 教室に入ると、いつも以上に賑やかだった。いつもならば、誰もいない時間に登校していたから、違和感を感じつつも、席に近づく。


 窓の外は雨ザーザーだし、黒板は、昨日の当番が雑だったのか、黒板消しの跡がはっきりと残っていて、あまり綺麗ではない。時計は始業まであと10分くらいを示していて、『案外余裕じゃん』と一息ついて…………


『全く妹もひどいもんだよ。何もあそこまでして起こさなくてもいいじゃないか!』


 本当にズル休みしたかったのに、妹と激しくバトった末に、嫌々とここまでたどり着いた。朝から気疲れしていて、今日はぐっすり寝るかな…………



 なんて、頭の中では別のことを必死に考えて、その現実を誤魔化そうとした。


 もちろん教室の奥には藍沢さんがいるから、出来るだけ現実から目を逸らして、目の隅で自席を捉えながら奥に進む。だけど一つ違和感があった。


 よそ見をしながら歩いていたからか、遠近の感覚がおかしいのか、藍沢さんが少し前に見えた。そして、自分の席の前に立った時、また彼女も目の前に座っていた。


 俺は心の中で三度『無心』とつぶやいてから、重たい口を開いた。


「どうしたの、藍沢さん?」


 よくみると彼女の目にはクマができていて、何か疲れたような顔色をしている。


「それは私のセリフ…………野村くん。何かあったの…………?」


『無心無心無心』


「何もないよ?」


『無心無心無心』


「そんなことない!! お願いだから話して…………」


 必死な表情で訴えかけてくる彼女。そんな顔されると、どうしても口を滑らせたくなってしまう。だけど、ギュッと歯を食いしばり、冷たく口にする。


「そこ俺の席だから。移動してくれる??」


 たぶん彼女と目を合わせてなくて、他所を向きながら口にした。彼女が動こうとする気配は一向になかった。それどころか「野村くん」と力強く名を呼ぶと、振り向いた俺を睨みながら言う。


「私、話してくれるまで、離れないから……」


 その力強い視線に思わず目を逸らすけど、彼女は俺の方を見つめ続けていて本当に席を離れるつもりがないことを悟った。


 そして、この状況は非常にまずいことも悟った。


 もし藍沢さんの噂が既に広まっているとするならば、他の男である俺の席に座るのは、変な憶測を生むことにしかならないだろう。


 なら、この心の声を口にしてしまった方が楽なのかもしれない。


 藍沢さんとは気まずくなるかもしれないけど、藍沢さんの苦しみが減るなら、そっちの方がいいように思えてしまった。


「えーと…………藍沢さん…………」


 藍沢さんは真剣な眼差しでゆっくりと頷いた。

 何から話したもんかなと、悩んでいると、後ろから声が聞こえた。


 それは今、最も聞きたくない声で…………


「小春、おはよう! って、そんな席に座ってどうしたんだ? 小春の席はそこじゃないよね」


 彼は行った行ったと藍沢さんの腕を押して、窓際のいつもの席に座るように促した。彼女は動くのが面倒くさかったのか、すごく嫌そうな顔をしながら、しばらくは拒絶していた。だけど、諦めてくれないと諦めたのか、ゆっくりと腰を上げて、自分の席に戻った。


「こうくん…………今用事ないよ?」


「いいじゃん、用事なくても??」


 俺は二人が恋人さながらのやりとりを始めたの横目に、自席に座る。ほんのりとした温もりが残っていて、余計に寂しさを誘った。


「小春はテスト順調??」


「今は話したくない…………」


 隣では甘ったるいやりとりが交わされていて、俺は見たくもないと、思わず机に伏せる。


「何? 言えないくらいやばい感じ?? また教えようか??」


「いや、そうじゃなくて…………」


「じゃあ、秘密の特訓をしているから、点数はお楽しみってこと? それなら楽しみだね」


 二人は俺のすぐ隣で自分たちの世界を展開する。俺は愚痴でも吐かないとやっていけなかった。


『これが恋人同士のイヤイヤかよっ!!』


 さっきから藍沢さんがやけにイヤイヤしていた。たぶん恋人同士はそうやってコミュニケーションを取り合うもんだ。そうなんだと適当に思い込む。



「いや、ちがっ…………」


「それはそうと、小春。さっき野村くんに用事あったように見えたけどどうしたの? 彼ずいぶんぞんざいな態度とっていたけれど」

 


 彼はその言葉を少し大きな声で言った。いや、もしかしたら俺の方に向いて喋っているのかもしれない。それもこれも、顔を伏せているからわからないけど、俺に聞かせるように言葉を紡ぐ。



「ちょっと、野村くんと話したいことがあって…………だから、その…………」



「でも、彼とても話すような態度じゃなかったよ?? そんなことよりもさ、放課後また勉強会をしない?? 二人で」


 彼は強引に話を切り替えた。多分見せつけているのだと思う。お前のことは藍沢さんにとってどうでもいい、俺は藍沢さんと遊ぶけど。みたいな。


 ここで藍沢さんが多少でも、俺と話すことに触れてくれればよかったんだけど、藍沢さんは「うん…………」とだけ答えた。


 確定的だった。もはや俺と藍沢さん、藍沢さんと伊藤の関係はそこまでの壁ができているんだと、心に傷として強く刻まれた。


 そんなネガティブに汚染されていたからか、藍沢さんが口にした「…………だから、今はこうくん、どっか行って欲しい」の言葉は聞こえなかった。そして、何も知らない俺は、思いっきりグチを放つ。


『はいはい、どうせ噂通り付き合ってるんでしょ!! それくらい知ってるって!! だからと言って俺の近くで見せびらかさんでもいいだろ!! だいたい…………』



「で、放課後どこで勉強する?」


 俺がぶつぶつと心の中で口をぶちまけている中、ある異変に気づいた。二人がやけに静かになっているところだ。

 

『どうしたんだろう? 伊藤が機嫌を損ねるようなことでも言ったのかな?? まあ、もう、俺には関係ないことか。そんなことは気にせず、無心を貫けばいいだけの話。だ。無心を………………そう、無心を………………む、し、ん、………………を』


 俺は勢いのままガバッと顔を上げた。


 俺の目には、目を真っ赤に腫らした藍沢さんが映った。彼女は何も言わずに立ち上がると、教室の外に走って行ってしまった。途中、一滴、二滴と雫を落としながら。



「おい待って、小春!!」


 藍沢さんの後を、伊藤が追いかける。その間際に、一瞬俺をきつく睨んだ。


『うちの彼女を泣かせるなってか?? 知らないよ、そんなの!』


 心の中でヤジを飛ばし、彼を睨みながら見送ると、俺は少し首をかしげた。

 

『なんで、藍沢さんは泣いてたんだろう?』


『付き合っていることをそんなに周りに知られたくなかったのかな?』


『でも、泣くほどでもない気がするけど…………』


 俺が付き合っていることを知っていようが、知っていまいが藍沢さんにはさして関係ないはず。確かに、お隣同士で気まずくなるかもしれないけど、本当にそれだけ。それなのに、どうして泣きながら走って行ったのかイマイチ理解できなかった。


 でも、泣き腫らした彼女の顔をみて、俺の心は貫かれるような痛さを感じた。


『藍沢さんに謝らないといけない』

 

 でも藍沢さんは、放課後になっても教室に戻ってくることはなかった。


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