第41話 話し合い

 後ろを振り返ってみると、さっきまで彼らが座っていた二つの机に、カバンは無かった。


 今日最後の授業。沙奈と合う約束の直前に、私は先生に呼び出しをくらった。


 用事は部活のことで、教壇の上でしばらく話し合い、ふと振り返って見たときには、野村くんと藍沢さんは既にいなかった。


 昼休みが終わってから——あの噂が流れてから、ちらちらと二人の様子を見ていたけれど、特に変わった様子はなかった。たぶん、藍沢さんは噂に気付いていなくて、まだ何も起こっていないんだと思う。

 

 私は険悪な雰囲気になっていないことに少しホッとしつつも、沙奈と早く話したくなって足がむずついた。


 先生の話を適当に切り上げると、荷物を片付け、足早で沙奈の元へと向かった。


* * *


「付き合ってるって噂はなんなのよ!」


 目の前に座る金髪美少女は、険しい顔をしながら私に迫った。私はあえて目を逸らし、手元のベージュ色のカフェオレにゆっくりと口をつける。


 今、沙奈と二人で、チェーン店のカフェに来ている。というのも、学校であんな話をすれば、誰かの耳に入り、変に噂が広がる可能性があるから、場所を移したかったっていうのもあるし……


 彼女は学校で私を見るなり、ちょうど今と同じように、興奮気味に迫ってきた。だから、落ち着いて欲しいとの願いから、時間を空けてみたんだけど……


 カフェオレの甘さを口に残し、私はため息をついた。そして、沙奈の方に目を向ける。


「どうも、勉強会の帰りに二人っきりを目撃されたらしいのと」


「と?」


「今日学食で一緒にいたところが、ラインでまわっていた」


 沙奈は眉間にシワを寄せ、険しい顔をする。そのかわいい顔が台無しになっている。


「それで、愛はどうしたのよ」


 詰め寄るように睨んでくるので、私はわざとらしく軽々と口にした。


「へえ、そうなんだ〜って言った」


 突然机がバンっと鳴き、沙奈は勢いよく机に乗りだすと、大きな声を出した。


「なんで訂正しなかったのよ!」


 彼女はそのままの体勢で私をニラむ。さすがに周りの注目も集めているから「まあまあ落ちついて」と座るように目配せをした。


 しばらくニラみ合いになったけれど、彼女は渋々といった感じで腰をかけた。


「納得のいく理由がなかったから、訂正できなかったの」


「そんなの、理由とかじゃなくて、本当のことを言えばいいじゃない! 別に小春は伊藤のこと好きじゃないって!」


「でも、その理由で、盛り上がっている彼女たちは納得いくと思う?」


「…………でも、他にあったでしょ。愛なら納得させることができるんじゃないの??」


 沙奈も苛立ちがあるのかなかなか引き下がらずに、だいぶ投げやりなことをいうもんだから、私は言ってやった。


「じゃあ、野村くんと藍沢さんを付き合わせてしまったら、噂も消えて楽なんだけど。沙奈はそれでいい??」


「…………」


 そういうと、沙奈はさすがに静かになった。彼女は注文したココアに初めて口をつけると、その茶色い水面に何が映るのか、じっとカップの中を見つめていた。そして、ちびちびと口をつけた後に、小さな声を聞いた。


「ごめん…………ちょっと、興奮してた…………」


 彼女はカップを見つめたまま、そう口にした。


 沙奈が興奮しているのは見るからにわかっていたし、何より藍沢さんのために怒っているように見えたから、責める気はなかった。だから、「いいよ」と言って流すと、本題を進める。



「あの噂を訂正するのは正直難しそうだから、今は様子を探ることにしたの」


 沙奈は返事の代わりに、ゆっくりと首を縦に振る。


「今のところ二人の間に変な様子はなかったら、藍沢さんは噂に気づいていないみたい」


「でも、そういう噂って、すぐ広まるわよね」


「たしかに。でも………………」


 私はそこで言葉を区切った。沙奈は真剣な眼差しのまま私を見る。


「それでいいんじゃないかな!」


 私がそう言うと、沙奈は不可解なものを見るような怪訝な表情をした。だから、すかさず説明を挟む。


「だって、この噂が広まったら、藍沢さんもだけど、伊藤にも広まるだろうから。伊藤は藍沢さんにコクハクスルデショウ——」


「ちょっと愛??? 空中だよ、かき混ぜてるの! 空中!! そこカップじゃないから!!」


「————そして、みんなの前で藍沢さんが伊藤を振ったら、いろいろ解決するんじゃない?」


 私はスプーンを手から離すと、カップの中に落ちずに、キーンと床に落ちる音がした。私は不思議に思いながら、机の下から拾って、紙ナプキンの上に置く。そして、目を上げるとなんだか哀れみの目をした、沙奈がいて……


「いや、沙奈、何? 話聞いていた」


「聞いていたわ。それで、愛も大変よね、ほんと…………」


「なんで今の話からそうなるのよ??」


「でも、言いたいことはわかったわ。つまりは焦った話じゃないから、しばらくは様子を見るしかないってことよね……」


「そういうこと」


 彼女は頭脳はさすがと言ったところで、落ち着いて話せばすぐに状況を理解してくれる。そんな頭脳明晰な彼女なのに、次に口にした言葉は、論点がずれていた。


「でも、愛も大変よね。今度は伊藤が誰かと付き合う噂が出ちゃうんだから」


 私はいきなりからかわれたと思い、反撃をする。


「その言葉、そっくりそのままお返しするよ。沙奈だって、砂田の対応大変よね…………それこそ付き合っている噂なんか出ちゃったら……………………ごめんごめん」


 途中からかなりの圧でにらまれていた。一応彼女の地雷だということは知っているから、ここくらいで撤退しておく……


「たぶん砂田は、幼い感じに見えて、めちゃくちゃプライド高いんだと思うわ。それこそ、俺が手に入れられない訳ない……みたいな……」


 ……と思ったら、珍しく話が続いたので、真剣に話してみる。


「まあ、あの容姿に生まれれば誰だって、プライドくらい持つでしょ。石原さんだって、そうだと思うし。もし野村くんがいなかったら、沙奈だってそう思っているかもしれないよ??」


 そういうと、沙奈は下を向きながら『うーん……』と唸った。


「でも、迷惑なものは迷惑…………だとしたら、野村くんに対する私の接し方も迷惑な可能性もあるわけよね…………」


 彼女はいっそう下を向いてしまう。話が逸れに逸れてしまっているけど、別に今はこんな話がしたかったわけじゃない。私は話を切り替える。


「まあ、今は藍沢さんの噂を解消してからじゃない? そうやって関係を進めていくのは? 今動いても沙奈自身もあまりいい気もしないでしょ?」


「確かに。じゃあ、今はテストに集中しなさいってことかしら」


「そういうことだね。まあ、沙奈はこれ以上頑張ってほしくないけどね??」


「何かしら、よく聞こえなかったわ? テスト勝負でもしたいのかしら??」


「そんな、無意味な殺生はやめてくだされ」


 そういうと沙奈は笑顔になって、二人とも笑い合った。


 

 とりあえず今は焦った話じゃない。だからこんな雰囲気で大丈夫だと思う。


 でも、もし藍沢さんが告白に頷いてしまったら…………


 私の胸は締め付けられたように苦しくなる。


 こうやって流されるままで。藍沢さんの好きな人を知ってるから、何もしなくていいのか…………


 私は無駄に不安になってくる……だけど…………



「まあ、今はテストだね!!」


 なんの脈絡もなく口にするから沙奈は首を傾げた。たぶん人には分からないくらいの方がちょうどいい。私は、彼女の不思議そうな顔を無視して、甘いカフェオレに口をつけた。


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