第44話 ドキドキ要素の皆無の席替え

 学校に行って、まず目が合ったら、「藍沢さん、昨日はごめん!!」って言おう!! …………でも、いきなりだと変だからまずは「あの……藍沢さん……」って前置きをするかそれとも………………でも、そこで伊藤が現れるかもしれないから、そうなったら強引にでも…………


 席替え前日の夜、藍沢さんにどう話すか、しっかり悩みに悩んで、謝る光景を脳内でシミュレーションして、それでも眠れなくて、夜を明かしてしまった朝。


 俺はやっぱり学校に行きたくなかった。


 寝てないから頭は朦朧もうろうとしているし、それでも緊張感だけはひしひしと感じていて、胃を吐き出してしまいそうな胸は苦しいし……


 いっそ学校が、死者ゼロ人で爆発してくれたら楽なのになんて思ったりもするけど、どのチャンネルに変えても、そんなニュースはやってない。精々、市民の怒りくらいしか爆発していなかった。


 ただ、このままベットの上にいたところで、どうせ妹とバトルすることになりかねないし、それに今日を逃すと、一生このモヤモヤを抱えて生きる事になりそうでもある。


 俺はため息をつき、鈍い体を無理にねじって、ベットから降りた。そして、昨日とは違う、いつもと同じの、静かな教室へと向かった。



* * *


 1日ぶりに早く来た教室は、本当に静かだった。


 入った時には俺以外に誰もいなくて、ただ雨音だけがザーザーと響くだけ。かろうじて秒針が刻む音が聞こえるくらいで、他に耳に触れるようなものはなかった。


 だから、もちろん「おはよう」と口にしても、無駄に広い教室に吸い込まれて、雨音に流されるだけ。


 俺はとりあえず席につくと、外を眺めた。しつこいほど降り続く雨だけど、週間天気予報ではやっとオレンジ色の表示が出てきて、この雨模様も後ちょっとだと知らせてくれた。


 そして、その表示はテストまで後少しという要らない真実まで、知らせてくれた。


 いくら勉強会で挽回したとはいえ、そこから急ブレーキがかかってしまい、やばいことになっている。早いところ藍沢さんとの気まずさを解消しないと、テストが乗り切れる気がしていない。




 だけど、ふと、考える……




『この気まずさが解消されたら、俺と藍沢さんはどうなるのだろう…………』


 今は伊藤のものになった藍沢さん。だから、俺とはしがらみのような気まずさで結びついているだけで、もしこれが解けてしまったら…………


『なら、解決しない方がいい……………………いやいや、そんなことはない!』


 現に勉強に支障が出ているし、俺の心にはもやもやとしたものが渦巻いていて、いち早く取り除いて欲しかった。


 俺は、藍沢さんが来るまでシミュレーションを繰り返した。だけど、教室の人が増え始めても、周りの席が埋まってきたにも関わらず、藍沢さんは姿を現さなかった。



* * *


 始業がだんだんと近づいてきて、教室はざわざわとうわついていた。普段から、休み時間なんてもんはこんな感じだけど、特に席替えだからソワソワしているのかもしれない。


 でも、俺は別の意味でソワソワしていた。


『藍沢さん今日休みなのかな……だったら、もう謝れなくなっちゃう…………』


 教室に人が増えてきても、藍沢さんの席は空席のままだったからだ。 


 あと10分も無くなってきて、教室の入り口が気になり出した頃、藍沢さんはようやく姿を現した。

 

 昨日より濃くなった目のクマに、疲れ気味のその表情。彼女は、俺と目があうとすぐに逸らしてしまった。


 拒絶されている。そう感じたけれど、言うべきものは言わなければならない。


 俺は机の下で拳を握って、藍沢さんが座るのを待つ。


 ゆっくり歩いてきた藍沢さんは、カバンを机に置いて、椅子に座る。そして、カバンに触れることなく、ただ俯いてしまう。


 俺は数秒の間深呼吸した。あまり時間がないのはわかっていたから、ほんの数秒間、心のタイミングを待つ。そして、さぁ今だと、「藍沢さん」と声を出したタイミングで、別の声がかぶった。もちろん、今最も聞きたくない最悪な声だった。


「小春、おはよう!」


 彼は、まだ教室の入り口にいるのにもかかわらず、俺の声を打ち消すかのように叫ぶ。


 最悪のタイミングで来た最大の障害物。でも、大丈夫! 伊藤が来ることは想定内。だから、シミュレーション通りにことを進めれば…………


 彼が教室に踏み込んで徐々にこっちに近づく前に、立ち上がってから藍沢さんに叫ぶ。


「藍沢さん! 聞いて欲しい!!」




  それと同時に  ガタン! と椅子の音がした。




 藍沢さんはいつの間にか、伊藤の方へ駆けていた。そして、まるで飼い犬に手を広げて待っているような伊藤の側を通り抜け、どこかへ行ってしまう。


 俺は見えなくなった藍沢さんを目で追いながら、崩れるように椅子に落ちる。


『流石に藍沢さんが逃げるなんて想定していなかったなぁ…………』


 俺は心の中で嘆いた。


『追いかけた方が良かったのかな……でも、俺のことが嫌で逃げた可能性だってあるし…………』


『でも、追いかけて欲しくて逃げたのかもしれないし…………』


 今一瞬のことを、後悔したり、もしもを考えたり…………脳内はぐちゃぐちゃとこんがらがっていた。そんな時…………


「…………おい、聞こえてるのか!」


 俺の耳に届いたのはその辺りからで、突然の声に思わず振り向き目を合わせる。だけど、声の主を見てすぐに後悔した。


 伊藤は俺のことを睨んでいた。それが妙に腹立たしくて、俺も彼を睨み返す。


 しばらく睨み合った後、彼はとんでもないことを口にした。だけど、そのとんでもないことは、とても意外なことでもあった。





「俺、テストが終わったら、小春に告白するから! 手出すなよ!」



 右隣ではドンガラガッシャーンと意味のわからない音がする中、俺は思わず「えっ!」と口を突いてしまった。そして、その後の続くはずだった「もう付き合ってるんじゃないの?」言葉を必死に飲み込む。


 だけど、半端になってしまった反応が、伊藤には煽りに聞こえたらしく、彼はさらに険しい顔で詰め寄ってくる。


「お前、隣同士だからってあんまり調子に乗るなよ! 今日だって逃げられてるだろ!」


 俺には彼の言っていることがよくわからなかった。だけど、藍沢さんが逃げたのが俺のせいにされてイラッとした。


「伊藤の方が逃げられてるんじゃないの? だいたい藍沢さんが逃げたのって、伊藤がいた時だけだし!」


「いーや、お前の方だろ。だいたいお前のようなやつが、小春に相応しいわけないから、お前が逃げられるのは当然のことだろ!」

 

「それを言うなら…………」


 伊藤がそう言うなら俺だって……と、反撃しようと思ったところで、前の方から、場違いな、元気な声が響く。

 

「はーい、まだチャイムなってないけど、席について…………はい、そこ、HRホームルーム始めるからケンカはやめてね〜! はい、ケンカ終わり! 伊藤くんは自分のクラス戻る!!」


 担任がそんなことを言うもんだから、クラス中の視線がこっちに集まってしまった。さらにはケンカと聞くと、なになにと囁き声も聞こえてくる。さすがにこの状況には耐え難いのか、伊藤は俺を睨むと、無言でクラスを出て行ってしまった。


「はい、みんなが席についたところで、席替えをします!!」


 先生がそう言うと、俺への視線は綺麗に散って、一気に席替えの話に切り替わる。


「嫌だって?? それは諦めてください! なんで、今かって?? それは、周りのクラスでも席替えしているみたいですし、一部要望があったからです! テストの環境に慣れると言う意味でメリットはあると思うので、がっかりした人も前向きに捉えてください! それで、昨日言ったと思いますが、引き出しと、横にかけているものを、整理しましたか? してない人は今すぐしてください」


 そうして、皆が片付けを始めた時にちょうどチャイムが鳴る。それと同時に、先生が口を開く。

 

「あ、藍沢さん……えーと、ギリギリセーフですね! はい、今から席替えをするので、机の中と横片付けてね!」

 

「えっ、せきがえ…………」


 振り返ってみると、藍沢さんは教室の真ん中あたりで立ち止まっていた。


「あっ、藍沢さん昨日休んでいたから、知らなかったんですね。テストの席順に席替えするので、急で申し訳ないんだけど、準備してください」


 彼女は先生の言葉を聞いているのか聞いていないのか、力なく頷くと、自身の席に座る。


 カバンすら開いていない彼女に、片付けるものなんてなくて、ただひたすらに俯いていた。その姿はまるで塞ぎ込んでいるようにも見えて、さすがに声を掛けることができなかった。

 

「準備できましたか? じゃあ移動してください! 時間あんまりないのでさっさと動いてくださいね」


 その声に従って、教室はざわざわと移動を始める。俺もゆっくり席を立つと、最後にチラリと彼女の方を向いた。藍沢さんの寂しそうな瞳と目が合ったあと、彼女はすぐに目を逸らしてしまった。



 そして、二人何も話すことなく、それぞれの席へと移動した。

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