第32話 ためいき

 テストがもう近いと気づいてから一晩がすぎた。

 あれから危機感を持って、慌てて教科書を開いて、テスト範囲を確認して、無事わからないことを確認してから、お布団に入ったのちの朝だ。とって清々し…………


「はぁ…………」


 いつも通り二人しかいない朝の教室で、大きなため息をついた。


「…………どうしたの?」


 左から聞こえる幻想みたいな声を、耳で感じながら俺は頭を抱えていた。


『むしろ無知の知というくらいだから、俺はむしろテスト範囲を知ってるのでは??』


「むちむち…………??」


『そうそう、むちむち。重要なのはむちむちであって、全てはむちむちでなんとかなる。だから、テストだって……』


「はぁ…………」


 そんなくだらないことを考えるのも馬鹿らしくなって、俺はふたたびため息をつく。



「…………野村くん、大丈夫?」


 それにさっきから左から幻聴が聞こえている気がする。俺は疲れすぎているのかもしれない。


 そのほんわりと優しい声は、まるで藍沢さんの声のような気がして、とても心地が良かった。


『でも、幻聴にしてはおかしくないか??』


「げ、幻聴??」


 隣で藍沢さんがビクッとしていることになんか気づかない俺は、首を傾げた。


 さっきから声が妙に生々しいし、そもそも勉強してないんだから、俺はきっちり八時間寝ている。それならば、可能性は一つしかなくて……


 俺はそっと左に目を向けると………………



「…………あっ、藍沢さん!!!!」


 予想はついていたのに、思ったよりも驚いてついオーバーにリアクションをとってしまう。そして、藍沢さんはなんだかとっても不満顔だった。


「幻聴じゃないし…………」


 そうボソッと呟くと、プイッと他所を向いてしまう。


「ご、ごめん……全然話を聞いてなくて……」


 しばらく窓の外を向いたままだったけど、ゆっくりと首を戻し、俺の方を向いた。


「…………なんか悩んでいるように見えたけど、何かあったの?」


「俺、悩んでいるように見えた?」


 彼女はコクコクと首を縦に振る。俺の不安は顔に出やすいらしい。俺は頬をパシンと叩き、藍沢さんに向かって笑顔を見せる。


「もう大丈夫だから。心配しないで?」


「本当に??」


「ホントウ、ホントウ」


 彼女は俺がそう言っても、ジトっとした目で俺を見てくる。まるで疑っているかのような目で。でも、俺が口を閉じていると、彼女は諦めたように目を逸らす。


「…………でも、何か悩みがあったら言ってね」


「わかった。ありがとうね、藍沢さん」


 俺はそう言ってから、藍沢さんに笑顔を見せた。それに納得した彼女は、前を向いた。だから、俺も前を向いて、ホッと息をついた。


 まさかあんなしょうもない悩みを話すわけにはいかないから。


 俺は藍沢さんにわからないように、小さなため息をついた。

 


* * *


 なんだかさっきから右隣でため息が聞こえる。


 私はチラチラと右側を見るのに、目が合うことなんてなくて、彼は完全に悩みモードだ。だから、私が声をかけても無反応。


 そして、やっと話してくれたかと思えば、笑顔で流された。そして、野村くんの心の声は本当の悩みを話始めた。


『まさか、勉強がわからないけど、教えてくれる人がいないなんて、相談できるわけないし………でもテストは近づいているし…………』


 そういえば、もうテスト? 私は机の下でスマホを開いてカレンダーを見ると、あと十日もないことに気づいた。

 私も完全に油断していて、そろそろやらなきゃなと思ったし、「ちゃんとテストを意識しているなんてえらい!」 なんて野村くんを褒めたくなった。だけと、次の問題発言ならぬ問題心の声で全てが吹き飛ぶ。


『でも、今回のテストで悪かったら本気で留年の可能性があるから、覚悟しろよって言われてるのにテスト範囲一切わからないし……』


 りゅ、留年……? 

 予想外の言葉に私は凍りついた。もし留年したら、来年は同じクラスにいられないってこと? 

 違うクラスの可能性はあるけど、学年が違うなんて……


 私は右を見た。彼はやはり頭を抱えて悩んでいる。


 ここはやっぱり私の出番! 彼を教えてあげて、私も二人っきりで勉強できて、ハッピー…………


 なんて想像してみるけど、それがすぐ現実的じゃないことに気づいて、ため息をつく。


「はぁー」


「藍沢さん??」


 私もそんなに点数よくない……


 私史上、最大の痛恨のミスだった。こんなことになるくらいだったちゃんと勉強しておけば良かった。なんて後悔は、時すでに遅くて、悔やんでも悔やみきれなかった。


 でも、野村くんの留年は回避しないといけないから、なんとしてでも教えなきゃ…………それなら、こうくんに教えて貰えばいっか! こうくん頭いいし。それも、三人で教えて貰えば、野村くんとも一緒に勉強できるし。


 よし、じゃあ野村くんに提案してみ…………


「はぁ…………」


「藍沢さん大丈夫??」


 その作戦全然大丈夫じゃなかった!! 


 どうやって、野村くん誘うの??

 あれから、もう一週間経ったけど、まだ恥ずかしくて私から誘うなんてできないし…………

 じゃあ、参加してみたくなるように仕向けてみるとか??


 例えば、こうくんがどれだけ教えるのが上手いかを野村くんの前で語ったら参加してくれるかな…………


 それもなんとなく癪に感じるなぁ……


 でも、テストは土日を2回挟んだ月曜から始まるから、余裕がある休日といえば明日からの土日しかない。要するに、誘うなら今日しかない。


 うーん、どうしたら…………


「あ、藍沢さん??」


 私はほんのり微かに聞こえる幻聴に、耳に焼き付けながら思考を放棄した。だけど、この悩みが昼休みになったらもっとめんどくさいことになることを、まだこの時の小春は知らなかった。

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