第30話 A4用紙二枚分の文字

「無理!! 私教室に戻れない!!」


 人がまばらな昇降口に、雨の音にも負けない大きな声が響いた。藍沢さんは絶対に行かないと言わんばかりに、地面にへばりつくかのように丸くなっている。

 

 もちろん、手を引っ張ってもびくともしない。感触的に、力比べでもしなければ動かないと思う。


 さっきまでは、藍沢さんが悩みを話して、私が宥めて、一緒に帰る流れだったよね?? どうしてこうなった??


「あ、藍沢さん? どうしたの?」


「…………ごめんなさい。坂本さんは教室に戻っていて」


 先程の叫びとは一転して、今度は申し訳なさそうな、力の無い声。彼女は俯いていて、表情はうかがえない。だけど、『教室に戻って』と言われても、流石にこの状況の藍沢さんを放っておくわけにはいかない。


「戻らないよ。どうしたの藍沢さん?」


 藍沢さんは、しばらく私の足元をチラチラと見る。それでも、動かずにいると、どこにも行かないことを悟ったのか、顔を上げてボソボソとつぶやきはじめた。


「教室に戻るのが気まずくて…………」


「ああ……」


 彼女はさっき教室中に聞こえる大声で「野村くんなんて知らない!!」叫んでいるから、気まずいのも当然だった。私がそうだったらと想像するだけでも、ゾッとするくらい気まずい。だけど……


「それに、野村くんと顔を合わせるのも……」


 もちろん、「知らない」なんて怒鳴りつけたんだから、本人と会うのも気まずいだろうし、私がいくら「野村くんは優しいから大丈夫」って、言ってもなかなか聞き入れてもらえないと思う。だけど……


「だから、教室に戻りたくないの?」


 ちょうど昇降口の正面にかかってる時計の長い針が一つ進んだ。あと、授業までざっくりみて三つくらいだと思う。でも、戻る時間を考えればあと二つが限界だと思う。


「戻りたくない……」


 彼女の声はどこまでも力無い。俯きがちの暗い表情も、本当に心が痛んでいることを示していた。彼女は嘘偽りなくつらいのだと思う。だから……


「じゃあ、もう二度と野村くんと会えなくていいんだよね?」


 突然の厳しい言葉と声音に、藍沢さんはびくりと私を見上げた。その目は、『嘘でしょ……』と、まるで裏切られたかのような驚きの目をしていた。


「そんなわけないよ!! おねえちゃんの意地悪!」


 彼女は泣きそうな目で私を見上げる。『もっと優しくして』と言った意思がひしひしと伝わってくる。さらにはおねえちゃん呼びで甘えさせてほしいと、心で叫んでいるのがわかる。だけど……


 そのとき、カチッと時計の針が一つ進む。


「じゃあ選んで! ここでうずまり続けて、もっと気まずくなるか? 私の手をとって教室に戻るか? はい、早く!」


 私はそうやって手を差し出す。彼女はその手をじっと見つつも、手はもじもじとしつつも、なかなか私の手には伸びない。


「はい、3、2、1……」


 カウントがゼロを刻む前に、かろうじて彼女が手を伸ばしたので、その小さな手をがっちり掴んで思いっきり引っ張った。


 その手は、さっきとは違い、引っ掛かることなく動いた。


「よし、急ぐよ!」


 私は藍沢さんの手をとって、廊下を走る。


 もちろん、もっと慎重に寄り添って宥めた方が良かったのかもしれない。でも、このまま時間が経てば経つほど、気まずさは増して行くだろうし、強引にも連れていく手をとった。もちろん、彼女の不安を解消したわけではないから、彼女は不安そうな声を漏らす。


 

「で、でも……顔見て話せないよ……」


 廊下を二人で走っている途中に、藍沢さん不安そうな声を出した。


「じゃあ、手紙を書いたらいいんじゃない?」


「で、でも、野村くんはスクランブルエッグが好きって……」


「じゃあ、卵焼きを今度あげたら? 沙奈は説得しとくから」


「わかった……」


 藍沢さんはそういうと、黙った。


 この二人は、勘違いやすれ違いは多いけど、逆に言えばそれだけお互いはお互いを意識しているってこと。だから、話せば何とでもなるし、仲直りできると思う。だから、こうやって強引に引っ張った。

 

 だけど、その一方で私は……

 

『何の関係もない、ただの片想いじゃん!!!』


 私は走りながら大きなため息をついた。



* * *

 

 俺は左隣の空席を見て、ため息をついた。

 

 俺は授業開始前、朝の時間に、何度もため息をついていた。最近は藍沢さんがくるのが遅くて、教室にひとりと言うことが多い。


 俺は、なんども何が悪かったのかを考えた。


『俺は沙奈に自信を持って欲しいと思って、沙奈の料理を褒めたけど、それで藍沢さんが怒ってしまった?』

 

『もしかしたら、藍沢さんには、私の方が料理が上手いというプライドがあるの?』


『でも、藍沢さんはそう言うタイプには見えないけど……』


 藍沢さんは、おとなしくて、そんな負けず嫌いなイメージはない。逆に沙奈は負けず嫌いそうだったから、昨日は褒めた。


 さらに言えば、藍沢さんは、昼休みギリギリで帰ってきた直後に、「ごめん」と一言つぶやいただけで、それ以降話ができていない。


 一緒に帰ってきた坂本さんは「ちょっと待ってあげて? これでも彼女なりに頑張っているんだから?」みたいなことを言っていたし、余計に状況がわからなくなっていた。


 その後、俺は何度も彼女と話す機会をうかがってみたけれど、気まずさから勇気が出なかったのもあるし、伊藤と仲良さそうにしている光景が浮かんでしまって、なかなか声をかけることができなかった。




 俺は雨空を見上げた。


『そろそろ晴れてくれないかな〜』


 なんて心で呟きながら、空を見上げていると、視界に影が映る。


「あ、あ、あの……野村くん…………」


 突然俺の前にたった藍沢さんは、手には細長い事務用の封筒を持っていて、その白い封筒を差し出してきた。


 俺は何が何だかわからずに、とりあえず手に取ると……


「昨日はごめん……それ、読んで……」


 俺は首を傾げながら、封筒を開けると……


『文字多いっ!!!!!』


『そして、相変わらずの可愛さ!!』


 A4の紙が2枚三つ折りになっていて、A4のレポート用紙びっしりと文字が詰まっている。


 要約すると、「昨日は私が色々変な勘違いをしてしまって、ひどいことを言ってしまった。別に野村くんは悪くないし、気にしなくて欲しい。」と書いてあった。また、「質素な手紙でごめんなさい、これには諸事情あって」とも書いてあった。事情っていうのは、伊藤との区別かと一瞬浮かんだけど、首を振り、一旦その思考を追い出す。


 読むのに五分くらいかかって、しっかり読み終えたあと、左を向くと、ふと目があった。だけど、目があった途端にすぐに俯いてしまう。でも、もうタイミングは逃したくなかった。


「俺もごめん!」


「えっ……そんな、野村くんは全然何も……」


「俺も昨日話そうと思っていたのに結局話せなくて…………藍沢さんは手紙でも話そうとしてくれたのに…………」


「いや…………私が、ひどいこと言ったのが悪かったから…………」

 

「それでも、早く話してれば解決していたし…………」


「で、でも……………………」




「はいはい! 泥試合はそこまでね」


 突然割り込んできたのは、元気のいい坂本さんの声だった。いつの間にか俺たちの前に二人の影が立っていた。


「朝から、悪いものを見たわ……」


 坂本さんの隣には、悔しそうな沙奈もいた。 


「あれ、どうして沙奈がいるの?」


「いちゃいけないかしら??」


「いや、いいんだけど…………」


 昼休みにはよく来ているけど、朝休みから沙奈がいるのは珍しいことだと思って、首を傾げた。けれど、藍沢さんは安心したような顔色で二人を眺めていた。


「で、藍沢さん。試食して欲しいものがあるんでしょ?」


 坂本さんがいきなり切り出すと、藍沢さんは小さなタッパーを取り出した。蓋をパカパカと留め具を外し、蓋を開けると、中には三つの卵焼きが入っていて、カラフルなランチピックが刺さっている。


「…………の……じゃなくて、みんなに食べて欲しいの」


 藍沢さんが小さな声でそういうと、真っ先に沙奈が黄色のランチピックを摘んで、丸ごと口に入れる。


「…………さすが藍沢さんってところね。まあ、私に比べればまだまだだけど、美味しいわ」


 藍沢さんは沙奈をじっと睨む中、沙奈は堂々と食っている。


 次に、坂本さんがかじりつくと、うんうんと頷いた。


「さすが藍沢さん美味しいわ。まあ、でも、私には敵わないけどね??」


 藍沢さんがビクッと反応し坂本さんに振り向くと、坂本さんはニヤリと口角を上げた。


 そして、残った卵焼きを手に取ってかじった。口には卵の甘さと出しの旨味がしっかりと広がる。決してパサパサしていなくて、噛んだ瞬間にしっとりとした感触が心地よい。


 基本が抑えられていて、派手な美味しさはないけれど、ちゃんと美味しい卵焼き……俺はふとした感想が、口を突いた。


「藍沢さんって、なんだかいい奥さんになりそうだよね……」


 俺は何気なくつぶやくと、残りを口に入れて味を楽しんだ。だけれど、突然静かになったような気がして、ふと見上げてみると…………藍沢さんが真っ赤になっていた!!


「野村くんの………………お、女たらし!!!」


「えっ? ちょっと?? 藍沢さん???」


 彼女は凄まじいスピードで、教室から出てしまった。突然の出来事に、俺は坂本さんの目を見るも、彼女は白い目で俺を見つめる。


「野村くん、わざとやってない?」


「な、何のこと??」


「今のは裕太が悪いわ!! ほんっと最低だわ!!」


「沙奈まで、なんで???」


 二人から白々しい目で見られ、沙奈に至ってはキッと睨んでいた。俺はその視線から逃げるように、空席となった左隣を見る。そして大きなため息をついた。


『やっぱり、女心は難しいな…………』





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いつも『となりの席の藍沢さんは俺の心が読めるらしい』をお読みいただきありがとうございます。

今話でちょうど30話になりました。もともと全部で19話くらいの想定だったので、想定の倍近く続いています。これも読者がいるからこそ続けることができたと思っており、大変感謝申し上げます。

これからどれくらい続くかは分かりませんが、これからもよろしくお願いします。


P.S. しれっとTwitterを始めたので、興味がありましたら私のユーザプロフィールをご覧ください。

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