第29話 藍沢さん逃走中
「野村くんなんて知らない!!」
その椅子は大きな音を立てて、このクラスの注目が一斉に集まった。藍沢さんは、目を腫らしながら教室の外へと走っていってしまう……
誰もがポカンとしている状況の中、一番に反応できた私は、迷うことなく藍沢さんを追いかけた。
野村くんや(伊藤)康太は状況が分かってないだろうし、真っ赤に染まり上げた沙奈は…………まあ置いておこう。とにかく、たぶん私しか反応はできてなかったし、私が飛び出したのは正解だと思う。だから、暴走したら何しでかすかわからない藍沢さんを、とっとと捕まえて、宥めたいものだけど……
藍沢さんは、私を一目確認するなり、一目散に逃げ出した!!!
なんで!?
藍沢さんとはそれなりに仲が良かった……そう思っていた。それこそ、相談もしてくれたし、信頼されているのかもと思っていた。でも……
人間の本質は、いざと言うときにあらわになるのだとすれば、実は藍沢さんに嫌われていた??
そんなモヤモヤを抱えつつ、私は仕方なく、廊下を走って彼女を追いかけた。
藍沢さんが運動部に入っていると聞いたことないし、私は私でテニス部で鍛えた足には自信がある。だから、あっという間に捕まえられる。そう思っていたのに……
藍沢さん意外と逃げ足速い!!
彼女が廊下を曲がった数秒後、私もその廊下を曲がってみるも……彼女は遥か彼方にいた。私はその差にため息をつく余裕もなく、軽く息を切らし。再び追いかけ続ける。
その茶色い毛玉のような小さな体は、小回りが効くらしく、階段の踊り場のターンや、曲がり角で、かなり差がついているようだった。彼女もそのことに気づいているようで、ジグザグと走り回っている…………
っていうか、彼女はなんでそんな必死に逃げるの?
普段から運動しているようには見えない彼女は、だいぶ息を上げていて苦しそうにしている。それでも。私をみると全力疾走のごとく逃げていく。それこそ、捕まったら死ぬレベルの緊張感を持っていて、違和感を覚えた。
私は立ち止まり、その違和感について考えることにした。
息を切らしながら思慮すること数秒後、青ざめるような結論を弾き出し、私は死ぬ気で藍沢さんを追いかけた。
おいコラァ! 抜け駆けは絶対許さない!!!!
* * *
結果としては、雨降りしきる、外に飛び出そうとしていた藍沢さんを、ギリギリのところで昇降口で捕まえることに成功した。
私は藍沢さんの両手を逃げないように、がっしりと掴みながら、ゼェハァと息を切らす。一方、両手を拘束された彼女は、地面に座り込んで、激しく息を切らし、苦しそうにしている。
ジメジメした天候も手伝って、二人とも汗だくになっていて、後処理が大変だと思いつつ、彼女が落ち着くのを待った。
彼女の呼吸音が小さくなって、落ち着いたように見えると、私はできるだけやわからい声で尋ねた。
「藍沢さんは、なんで逃げたの?」
私はできるだけ笑顔心がけ、威圧感のないように心がけた。なのに……
「無心、無心、無心、無心……」
藍沢さんは突然、目をつむり、その意味のなさげの言葉をつぶやきはじめた。だから、私は……
「いたっ…………」
私はペチンと頭を叩いた。そこまで強く叩いたつもりはなかったけど、私の攻撃に驚いたのか、今にも泣きそうな顔をしている。だから、少し苛立ちを抑えて、優しく問うた。
「藍沢さんは、なんでそんなことしているの?」
口だけは優しくしたものの、怒りを隠すことなくにらんでいたから彼女の泣きそうな目はキョロキョロと動き始め、それでも逃げれないと悟った彼女は、ほんの小さな声——雨音に打ち消されそうな声で、つぶやいた。
「……だって、読めるんだよね……私の心?」
「はぁ?? 読めるわけないじゃん!!」
私は突拍子のない言葉に思わず大きな声が出た。散々逃げといて、捕まえてみたら無心を貫かれて、理由を聞いてみたら、私が心を読めると勘違い? 突拍子がないにも程があった。
「…………でも、私の言いたいことをぴたりと当てたり、こうくんと学食に行ったこと知ってたり、私の心読んでた……」
彼女の居心地の悪そうな、怯えたような目を見てふと思い出した。そういえば、癖毛の相談を受けた時「私の心読めるの?」とか聞いてきたような気がする。そして、私は冗談かと思って、「さあね」と流した…………
あれかぁ〜
「いや、あれは勘違いだって。言いたいことを当てたのは勘だし、学食の話は沙奈が話していたから知っていただけ。読めるわけないよ」
すると、藍沢さんはホッとしたように頬を緩めた。そして、私もホッと一息ついた。ついてっきり(伊藤)康太と仲良くなって、私のことが気まずいなんて悪い被害妄想をしてしまった。
「……ごめんなさい、坂本さん。疑っちゃったりして」
彼女は潤んだ目で見上げてくる、それはまるで上目遣いで、こんなの見せられたら許さざるを得ない。
「大丈夫、ちゃんと素直に言ってくれただけでも、嬉しいよ」
私は茶色いふわふわの髪に手をかけ、優しくなでなでした。こうみると、藍沢さんはほんと小さくて可愛い。まるで……
「こうやって撫でていると、藍沢さんって妹みたい……」
雨音にさえかき消されるはずの小さな声、そんな微かな声なのに彼女には聞こえたみたいで、突然顔を上げると、私に抱きついてきた。
「…………お姉ちゃん、ごめんなさい」
お姉ちゃん呼びに加えて、その最強の上目遣い。これはなかなかにまずい。なんだか変な気持ちになってきてしまう。もちろん、恋情では全くないんだけど、とにかく守らなきゃならない、姉心をくすぐるような……
「汗がうつるから……」
私は彼女を引き離そうと、肩を押す。だけど、彼女が離れることはなく、私の胸の中で「お姉ちゃん」とつぶやく。
でも、私はギリギリのところで理性を保つと、再び藍沢さんの頭をペチンと叩く。今度はわざとらしく「いった〜い」と痛がる。
「からかうのもいい加減にして、私怒ってるんだから」
「ごめん……」
これまでからかい顔の彼女が、ふと真剣な顔に戻った。ここが話どきだと思い、本題を切り出す。
「それで、なんで野村くんから逃げたの?」
たぶん、捕まえた直後に聞いたら躊躇っていただろう言葉も、いまなら躊躇なく話してくれる。
「だって、野村くんが沙奈ちゃんを持ち上げるから……」
逃げた原因は、まあ、そんなところだろうとは思っていた。でも、その嫉妬にしては、過剰な反応にも見えた。
「でも、野村くんはスクランブルエッグを褒めただけだよね、それも昔の話。そんなに悔しかったの?」
藍沢さんはその問いに、力なく首をふる。そして、小さな声で言葉を紡ぐ。
「あくまでも私の予想なんだけど……」
彼女はそんな前置きで、とんでもないことを口にした。
「野村くんって、沙奈ちゃんがこうくん狙いだと考えているの」
「ふぇっ!? ああ、いいいや、話を続けて」
私は極力冷静を装いつつ……
『沙奈まで康太なんて私に勝ち目は…………いやああああああああああ』
心の中で悲鳴をあげていた。
「野村くんは、沙奈ちゃんがこうくんと坂本さんをくっつけたがるのを見て、沙奈は坂本さんに嫉妬しているんじゃないかって……」
「な、な、そ、そそそんなことあるわけないよね……」
「うん、私もおかしいと思う。想像が飛躍しすぎているし、そんなことは絶対ない」
藍沢さんは確信があるのか、私のことを信頼してくれたのか、普段とは違うしっかりとした語気で話を続ける。
「だって、沙奈ちゃんは間違いなく野村くんを狙っているし、そもそも、こうくんと坂本さんも別にそんわけじゃないよね」
「ま、まままままままままままままままあね……」
思わず核心つかれて、私はアワアワとキョドる。だけど、彼女は別の方を向いていて、あまり気にしていなくてホッとした。
「あり得ないのはわかってる。でも野村くんはそう信じている」
「でも、その野村くんの話はどこで聞いたの?」
「あっ、えっと……そこは勘というか……なんというか……」
藍沢さんはとたんに口を濁した。だけど、私も口を濁しまくっているし、お互いに触れられたくない所だってあると思い、追求はしなかった。
「でも、沙奈ちゃんがこうくんのことを好きって考えている中で、沙奈ちゃんの料理を褒めるなんて嫉妬以外のなにものでもないよね……もしかして、私のことはもう見ていないのかも…………」
彼女は暗い顔をして俯いた。自信がないのか、語気もいつもどおり儚いものになる。
「そんなことはないと思うよ。だって、野村くんが沙奈の料理を褒めただけでしょ? 深刻になりすぎじゃない?」
「でも……」
「それにまだ停戦期間中でしょ? まだ焦る必要はないと思うよ」
「……も、もし坂本さんだったら……こんな状況でどうする……?」
「私だったら?」
とっぴな質問に、私は想像を働かせる。康太がもし他人のスクランブルエッグ……私で言うところの藍沢さんのスクランブルエッグを褒めたとして…………康太が康太で、康太が康太だから……
「坂本さんっ? 痛々しいからやめて!!」
彼女は必死に私の腕を押さえていた。その腕は、私の頭に向かっていて、まるで自分の手で、自分の頭を叩くような体勢になっていた。
「ああっ、質問の途中だったね。私恋愛経験ないから……ごめんね……」
私には恋愛経験がない。だから、恋のアドバイスなんて偉そうなことは言えない。
ただ…………伝えたいこともある。
「野村くんって誰にだって優しいから、勘違いするような行動も多いよね」
彼女は「うん……」とつぶやくながら、大きく頷いた。それも赤べこのように何回も。
「だから、ちゃんと話してみたらいいんじゃない? 勘違いの可能性もあるわけだし」
私はできるだけ優しく、諭すように言葉にした。彼女だって、深く俯いていて、ちょっと反省しているように見えて、ホッとした。
昇降口のあたりにも人が見えるようになって、そろそろ休みが終わることを告げていたから、私は藍沢さんの手をとる。
「じゃあ、そろそろ教室戻ろっか」
私は優しく手を握り、引っ張ろうとする。だけど、その茶色の毛玉は全然動く気がなくて……
「無理!! 私教室戻れない!!」
「あ、藍沢さん!?」
彼女は大きく首を横に振り、大きな声を出した。その声は人の少ない昇降口にはよく響き、あたりの注目が集まってしまった。
突然の出来事に私は唖然とするしかなかった。
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