第27話 望まれない救世主

【前回のあらすじ】

藍沢さん、無心を失敗する。



『梅雨入り三日目、連続で雨を選ぶとか雨雲はいったい何を考えてんの? そろそろ晴れとか雪とか、変化球とか入れないと飽きられちゃうよ。そうやって同じものを脳死で出し続けるからみんなから嫌われるんだよ。どうせお前なんて俺たちの気持ちもつゆ知らずに、なんとなくで雨を降らしてるだろう、梅雨だけに!』


 昨日の今日の昼休み。窓の外にムダな思いを馳せてみた。


 心の中で不満をいろいろつぶやいてみるけれども、もちろん雨は降り止まない。さらには、視界の隅に映っていた茶色のふわふわは、うつ伏せてしまい、ブルブルと震えてしまう始末。藍沢さんは俺の視界に入るのも嫌になってしまったのかな……


 もしかしたら藍沢さんは、そのくらい伊藤にぞっこんなのかもしれない。他の男は視界にさえ入れない、潔癖な恋、二人はそんな境地にたどり着いて……


 いや、考えすぎだ。その想像はさすがに盛りすぎだ。ここ連日降った雨で、思考がネガティブに寄っているんだ。このネガティブをどうにかするには……

 

 そこにふと、昨日の光景が浮かんだ。


 ——沙奈と藍沢さん坂本さんが、横並びでぶつぶつと、同じ単語をつぶやいていて……


 確かに異様な光景ではあったが、アレって、もしかして、思考をリフレッシュする効果があるの?


 正直、にわかに信じられない。でも、このもどかしい思いが消えるなら、わらにでもすがりたい思いだった。俺は大きく息を吸うと、その言葉を口から吐き出す。


「無心、無心、無心……」


 左隣の頬が赤く染まるどころか、湯気を立てて沸騰し始めたのに気づかない俺は、効果が実感できないままにボソボソと呟き続けた。


 『無心』の効果のほどは定かではないけれど、脳に響く感触が不思議と懐かしくて、何かを思い出しそうだった。えーと、この『無心』って前もあったような……


「の、野村くん、そろそろやめてあげたら? えーと、それをやったら、恥ずか死をしたくなる人がいるっていうか、なんていうか……」

 

 ふと右隣から声が聞こえて、俺は口を止めた。坂本さんは苦笑いをしながら、語尾を濁す。


「そうなの? まあ、いいけど」

 

 『無心』ってそんな恥ずかしいことなの? でも、昨日三人でやってたのに、恥ずかしいっていうのもおかしな話だった。それこそ、普段そういうことを信じなさそうな、坂本さんもやっていたし……


「そういえば最近、坂本さんはよくうちのクラスにいるよね」


 一週間前だと右隣は空席の方が多くて、坂本さんがいた日には、槍が降らないか心配になるくらい珍しかった。でも、ここ数日は毎日いる。そして、毎日いると言えば……


「そうなのよね〜おかげで私の席が無いのよね」


「へえ〜そうなん………………」


 俺は口を止めて彼女にジト目を向けた。でも沙奈は、ジト目を気にすることなく、俺の机の上に小さな弁当を置くと、前の席を引いて、向き合うように座った。


「サナモサイキンヨククルネー」


「うわ〜、すごく棒読みじゃない。いちゃ悪いかしら?」


「別にいいけど……」


 沙奈もよくこのクラスに来てる気がする。というか毎日来ている気がする。疎遠だった時期を考えれば、近くにいるのは嬉しいけれど、こんな俺なんかと一緒に居れば、勘違いされて、沙奈が困らないか心配になる。


 いや、それも勘違いか。やっぱり雨のせいで思考がネガティブに染められていた。


 たぶん沙奈は、俺を通じて、藍沢さんや坂本さんと仲良くなって、遊びに来ているだけだと思う。でもそれなら、俺っておじゃまってことにならない? 昨日だって結局俺の席も使って3人楽しそうにしてたわけだし。


「沙奈、じゃあ俺が席を譲るよ」


 下手に邪魔をしない方がいいだろう。そう思って腰を浮かせたとき、引き止めるかのようにガシッと腕を掴まれた。そして、左隣から手が伸びて、カッターシャツの裾をちょこっと掴まれた。


「それはダメ。絶対ダメ! 理由は決して言えないんだけれど、それはダメなの!」


「野村君のばか……」


 機転の聞いた行動をとったつもりが、むしろ二人にダメ出しされてしまった。二人ともはっきりした理由は教えてくれないし、藍沢さんに至っては悪態をつかれてしまった。俺はなんとももどかしい気持ちで、腰を落とした。


 そして、二人とも黙ってしまった。


 藍沢さんは俯きながら弁当と向き合っているし、沙奈も机の半分を占領する勢いで置いていた弁当箱も、今はよそよそしく、こじんまりとした範囲で広げている。


 無言の空間は居心地が悪くて、息が詰まる。こんな苦しい展開をなんとかしてくれるのは、姉のような彼女しかいない。


「さ、坂本さんは、なんで最近うちのクラスにいるの?」


 俺は助けを乞うように、彼女に話をふった。坂本さんだったらきっと、面白そうな予感やら、嫌な予感やら言って、俺をからかってくれるはず。きっとそうに違いない。

 

 だけど、俺の予想に反して、坂本さんの表情は明るくない。


「ま、まあ……諸事情あるのよ……」


 あの姉のような坂本さんが、珍しく歯切れの悪い回答をした。最近、坂本さんも妙な行動しているような気がする。もしかして坂本さんも雨のネガティブにやられてしまったのか?


 でも、これで突破口を塞がれたことになる。坂本さんまで、俯いたままちびちびとご飯を食べ始めてしまった。もはや集まらなかったほうが気が楽でよかった気もするくらいに、重い空気が漂っている。だから、俺は救世主を望んでいた。


 でも、やって来た救世主は、俺が最も望まない救世主だった。


「やあ、小春」


 そこにいたのは、さっぱりとした短髪に、中性的な顔立ちをしたイケメンの——伊藤だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る