第12話 藍沢さんの号泣


 目を覚ますと、部屋はまだほの暗かった。


 頭元を探り、目覚まし時計を確認すると、アラームの30分前で少しホッとする。


 いつもより早く起きた朝。これまでだったら、二度寝をして幸福を噛み締めているかもしれないし、コーヒーを片手に本でも読んでいるかもしれない。更なる上は、畳の目でも数えて…………それは生産性が無さ過ぎる! 日本のGDP下げちゃう!! 


 それでも、畳の目を数えることはあっても、早くに学校に行くことはあり得なかった。


 それなのに……

 

 玄関のドアをガチャと開け、「いってきます」と言うと、家の中から「いってらっしゃい?」と、さも意外そうな声が返ってきた。まるでニートが職安行ってくるっていった時のような……ってそこまで驚くことか?


 でも、驚く気持ちはよくわかる。だって、俺自身が一番わかってないから!!


 俺は納得だけを家におき忘れて、釈然としないまま学校へ向かった。



 * * *


 俺は椅子をズズッと引いて椅子に座ると、隣にカバンを掛ける。


 早く着き過ぎた教室にはほとんど人がいなくて、もちろん石原さんもいないし、左に茶髪がチラチラと見えるくらいのものだった。


 人がいない教室はとても静かで、いつもは喧騒に紛れて聞こえない音も聞こえてくる。チュンチュんと鳴く小鳥のさえずりだったり、ブーンと忙しそうな車のエンジンの音だったり、シクシクと悲しそうにすすり泣く声だったり……


 え?


「ちょっ、どうしたの? 藍沢さん!!」

 

 俺は慌てて振り向くと、目を腫らす藍沢さんに思わず声をかけてしまった。


「の、野村くん……」


 藍沢さんは涙顔を上げると、さらに瞳に涙を溜めながら見つめてくる。


「あ、藍沢さん?」


 見たところ藍沢さんの様子がどうもおかしい。俺を哀れむように泣いていて、なんだか目も据わっている。なんなら、首も据わっている。


 茶色い髪を前に垂らしながらフラフラと席を立つと、俺の目の前に立つと……。


「野村くんは死なないよね! なんかの病気とかじゃないよね!?」


 藍沢さんは机に乗り出し、ぐわっと感情的に迫った。その表情は逼迫ひっぱくしているようで、気が動転しているようにも見えた。


「まあ、特に病気とかはないけど……」


 俺がボソボソとつぶやくと、今度は興奮気味な声で「あぁ……良かった!!」とかみしめるように喜んでいる。なに? 藍沢さん故障中?


「ほんとに、どうしたの藍沢さん?」


 俺が声をかけてみても、藍沢さんは自分の世界に浸っているみたいで、反応がなかった。


 返事がない、ただの藍沢のようだ……じゃなくて、本当にどうしたの? バグってしまったの? 壁の中でレポートでも書いちゃったの? それはお店に行かなきゃ……


 なんて心配をしていると、藍沢さんは突然「はっ!」と我に帰ったようにビクッとする。

 

 そして、まるで錆びついたロボットのようにギギギと首をひねると、目があったとたんに顔が沸騰する。そして、倒れ込むように机に伏せた。


「藍沢さん大丈夫!?」


「恥ずかしい、死にたい、死にたい……」


「藍沢さん?」

 

 彼女はまるで壊れたロボットのように、「死にたい」とひたすらつぶやき続ける。


『なんか藍沢さん壊れてるんですけど!!』


 藍沢さんの呪いのようなつぶやきは、朝休みが終わっても止まることはなかった。



* * *


 藍沢さんは午前の授業中、ずっと朝の件を引きずっていた。顔を合わせれば瞬時に逸らされるし、かといって無視していればチラチラ見られるし……そして何より、坂本さんがなぜかニヤニヤしている。


『そもそも、朝の件、朝の件って言うけど、あれは一体なんだったんだよ!』


 俺のもどかしい気分は一向に晴れることなく、教室では昼休みが始まっていた。


 相変わらず、左隣を振り向いてもやっぱり目を逸らされるし、右隣を向いても坂本さんがニヤニヤしている。


『なんかよくわからないけど、藍沢さんと気まずいし、別のところで食べよう!』


 そう思い、机から一歩踏み出したとき、左手首が優しく包まれた。初めて触れた藍沢さんの手のひらはすごく温かくて柔らかい。


 突然触れた温もりにびっくりして振り向くと、相変わらず目を逸らしたまま藍沢さんがいた。彼女は小さな声で「これ読んで……」とつぶやくと、左手に持った四つ折りのルーズリーフを差し出した。


 俺はそれを受け取り、4つ折りを丁寧に開くと……


『文字多いっ!!』


 B5ルーズリーフ片面いっぱいに、かわいらしい文字が並んでいた。


「野村くんごめん! 本当に迷惑かけてごめん! でも、恥ずかしすぎて話せないから手紙で話すね……」


 で始まり、なんで朝早く来たのかから事細かく書いてあった。


 ざっくりまとめると、昨日見た映画で泣いて、それを朝まで引きずってしまい、家族に泣き姿を見られたくなくて、家から逃げるように学校にきたと。そして、俺に対しての奇行は全部映画に感化されて、訳もわからずにやったから気にしないで。とういうことらしい。


 そして、最後の一文には、


「どうしてもこの感動を誰かに共有したいから、もし良ければ映画一緒に行きませんか?」


 映画のお誘いが記されていた。


 この「誰か」が誰でもいいことを十分に解っていても、藍沢さんのお誘いが嬉しいことには変わりない。


 でも、手紙を読んでいる間、終始チラチラとした視線を感じていただけに、顔を合わせるのが恥ずかしい。だから、正面を向いたまま独り言のようにつぶやく。


「今日の放課後、映画いく?」


 すると左からは「うん……行く……」と聞こえて、右側からは「映画? 祐太が行きたいって言うなら、仕方なく行ってあげるわ!」と聞こえた。いつの間にか左右両方から声が聞こえて、藍沢さんもついにステレオ音質になったかと思いきや、左右で流れる音が違ったらそれはステレオじゃないんだよなぁ………


「沙奈!? なんでいるの?」


 右を向くと坂本さんはちゃっかり沙奈と入れ替わっていた。いつの間に!!


「いてもいいじゃない! で、映画行くんでしょ? 私も行くわ」


 断ってもついて来そうで、俺はしょうがないとため息をつく。


 そして、藍沢さんの方を向いて「って沙奈は言っているけど、どう?」と話を流す。


 すると藍沢さんは「大丈夫……」とだけボソボソと返事をくれた。


 だけど、口にした言葉の割には、藍沢さんはイヤそうな顔をしてるし、沙奈は勝ち誇ったような顔をしている。


 藍沢さんと沙奈ってもしかして仲悪い? 

 いや、ツバサの弁当を見た時すごく仲良さそうにしていたし……


 俺はふたりは案外似ているんじゃないかと思いながら、ふたりのにらみ合いをぼんやり眺めていた。

 

 

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