第3話 思考は自由であるべきです

【前回のあらすじ】

「消しゴムを拾ったら、藍沢さんの声を堪能したことがバレて、恥ずか死をした」



『無心 無心 無心』


 俺はひとつ前の授業で、藍沢さんの声でニヤニヤしているのがバレて恥ずかし過ぎて死にそうになった。でも、もう俺はそんな失敗はしない。俺はとにかく心を無にして、無心を叫んだ。


『無心 無心 無心』


 となりから冷ややかな視線を感じる。もしかしたら藍沢さんに嫌われたのかもしれない。だけど、まだ可能性はあると信じて、これ以上イメージを悪くしないように無心を貫く。


『無心 無心 無心』


 俺が心の中で無心を叫ぶ中、となりからやや雑にノートが飛んできた。なんだろうと思いノートに目を落とすと……


『思考は自由であるべきだと思いますよ!!』


 とキレイな文字で書いてあった。


『なんて哲学深い言葉なんだろう……って違うわ!』 


 もはや怪文書レベルの一文に、俺は藍沢さんの意図を疑う。


『もしかして藍沢さんは俺の心を読んで弱みを握りたいとか? それはさせない!』


 となりで首を振るのが見えたけど、俺はそれを無視して、かわいらしい文字の下に筆を加える。


『無心って最高だよな?』

 

 俺はそう書き込んだノートを隣に投げ返してから、再び無心を叫び始める。


『無心 無心 無心』


 藍沢さんはむくれて、つまらなさそうに俺を見ている。だけど、それを無視して無心を叫び続けた。


* * *


『無心 撫心 無必』

 

 ……が修行僧でもない俺の心中は、すぐに雑念に埋め尽くされていた。


 いかんいかんと気を取り直し、授業に集中しようと黒板に目を向けたとき、美しい黒髪のなびきが視界に映りむ。


『石原さんって、ちょうど真ん前にいるんだ』


 となりの人がビクッとしたのは置いておいて、石原さんはうるわしい黒髪を揺らしながら、クールに授業を受けてた。小さな顔に、大きな瞳、高身長で、超細身、それなのに出るところはしっかりと出ていて、ぱっと見はまるで芸能人だ。だから、俺の席から見える後ろ姿だけでも美しい。


『石原さんは本当に美人だなぁ。その後ろ姿を眺められるとか幸せすぎる』


 俺が華麗かれいな後ろ姿に、まさに釘付けになっていると、となりから"かちゃん"と軽い音がした。机の下を見ると鉛筆が転がっていて、仕方なくそれを拾うと手だけを左に差し出した。


 だけど差し出したはいいものの、受け取ってもらえる気配がなく、未だに手が遊んでいる。おかしいと思い鉛筆の先を向くと、藍沢さんの不満げな目と目が合った。


『え、なんで? 俺悪いことしたっけ?』


 藍沢さんは目が合うと、プイッと無言で前を向いてしまった。突然の不機嫌に理由は気になったけれど、話してくれる様子もなさそうで、釈然としないまま視線を戻す。そして黒板の方を向くと、やっぱり麗しい後ろ姿に目がいってしまう。


『石原さんやっぱ美人だ……石原さんとデートしたいな……』


 俺の脳内はいつの間にか妄想デートを描き始めていた。


『石原さんならやっぱり公園のベンチに待ち合わせして、俺が三十分早く行ったら、石原さんも同じくらいに来てて……そこから手を繋いでのんびりとお散歩デートでもしたいなあ……』


 "かちゃん"、"かちゃん"、"かちゃん"……


 となりから何度も木の軽い音がして、左を向くと、頬をいっぱいいっぱいに膨らませた藍沢さんと目が合った。彼女はとても機嫌が悪そうにしている。


 俺は首を傾げながら、とりあえず鉛筆を拾い、まとめて彼女に手渡した。だけど、またぷいっと前を向いてしまう。


『え、ちょっと? なんで藍沢さん不機嫌なの』


 何がいけなかったんだろう? 考えても考えても俺には全くわからなかった。


『女心は何回考えても難解だな……』


 俺は女心がわからなさ過ぎて、唸りこんでいた。


 だからだろうか、ハリセンボンみたく頬を膨らませていた藍沢さんがいきなり大きく吹き出して、クラスの注目を集め、顔を真っ赤にしていたことに全く気づかなかった。

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