俺たちは階段を上る

大人の階段って、いつ上るんだろうと度々思う。

三十代にもなって、そんなことを時々考える。

もう自分は大人なんだろうか、それとも子供なんだろうか。

もし大人なんだとすれば、いつ大人にされたんだろうか、自分で大人になったんだろうか。

でもそんなこと考えても仕方がないから、心の奥に押しやって、そしてまた気を抜くとひょっこりと出てきては押しやって、そんなことを繰り返している。


「んー……あんまりこの歌い方はしっくりこないな……」

そんな自分にとって、唯一の息抜きがカラオケであった。

好きな歌を好きな歌い方で歌う。

歌ったものを録音して聞いて、ここが駄目だとかここが良かったとか試行錯誤して練習しながら。

子供の頃の習い事みたいに、個室で一人きりで自分の歌と向き合うこの時間が、何よりも心地よかった。

「やっぱりここはもっと高く歌って……ん?」

そんな孤高の時間に、着信音が邪魔なノックをしてきた。

画面を見る。……仕事の連絡だった。

電話に出て話を聞けば、いつものやつの話だった。

今回入った新人がとにかく言うことを聞かず、正直言えば手を焼いていた。そいつのやらかし連絡が今日も来ていた。

幸いいまからすぐに向かわなければいけないというわけではないらしい。

連絡を済まし、スマホを机に置く。

……なんとも言えない気持ちが、心の底に沈殿していた。

はぁ、とため息をついたら、それこそ今日一日が終わってしまいそうだと思い、休憩がてらにトイレに行くことにした。

腰をあげると、足の関節が少し軋む音をあげた。

俺も年だなぁなんて呑気に思っていた。



🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️



トイレから出ると、通路に女の子がいた。

中学生くらいの女の子だろうか?

トイレに入るというわけでもなく、壁の方を向いてるその子は、なんとなくその肩が悲しんでいるようで。つい声をかけてしまった。

「……君、大丈夫?」

「えっ、あ……」

「いや、なんか泣いてるようにも見えたから、さ」

瞬間、声をかけたことを後悔してしまった。

三十のおっさんが、この年の子に声をかけるだけで、もうそれは犯罪だぞ?ともう一人の自分が無粋なツッコミを仕掛けてくる。

いやわかってるが、今そんなこと言うな。

目の前の女の子が少し怯えてるらしい態度をしてることも、より状況の不味さに拍車をかけていた。

「いや……大丈夫です、泣いてはないですから。部屋も18番ですぐそこなので」

お気遣いありがとうございます、と女の子は続けて会話を切った。

捕まらなかった安堵と本当に大丈夫だろうか、という心配が同時に出た。

けれど、本人が大丈夫といっているのに他人の、それも年の差リアルに法廷行きがとやかく問い詰めるものでもない。

分かった、とだけ告げてその場をあとにすることにした。


どのみち関わりようもないのだ。

自分の部屋へと歩を進める。

ふと後ろから気配がするので、チラリと見てみると、女の子も後ろからついてきていた。

この子も部屋に戻るようだった。

そいえば、18番の部屋って言ってたな。

俺が17番の部屋だから、隣になるわけか。

そりゃ同じ帰路をたどるわなと思い、そういえばと、隣の部屋っていうと、男の歌がめちゃくちゃ下手だったのを思い出した。

あー、あれも年が若かったからなのか、なんて自分の中で帳尻を合わせているうちに、部屋についた。

中に入ろうとドアに手をかけてふいに18番のドアガラスに目を見やった時に、いらないものを見てしまった。

背中姿の男の子が、後ろから足だけの見える女の子に覆い被さっていた。

……状況のしんどさを理解するのに要した時間は二秒であった。

この佳境に、後ろの女の子を放り込んでいいのだろうか?いやない。

咄嗟に振り返って、女の子を見た。

そして一言。

「お、俺の部屋で少し時間潰さない?!」



🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️



正直悪い癖だとは思っている。

何かあると一言言いたくなるというか、場合によっては首を突っ込みたくなるというか。そんな癖が自分にはある。

しかしまぁ、我ながら今回に関しては逮捕されても言い逃れができない気がしていた。でも、もうそこはどうでもいい。

俺の心の中はもう閉館だ。

閉店がらがら、さよならホームラン。

とりあえずもう法律を考えないようにした。

おっさんと少女が個室に二人きりという、なんともファンタジーな世界がそこにはできていた。


「あの……おじさんは」

「あっ、まって……お、おじさんはちょっとやめようか」

どう考えてもまずいこの状況で、おじさん呼びはもう俺の心がきつい。年齢的にはそうだろうし、連れ込んだ罪はこちらにあるが、もうその呼び方されるだけでますますこの部屋がそういう部屋へと化けてしまう。精神的HPが3だ。なんならもう1に近い。

「他の呼び方で頼む!!……えっと……んー、ま、まー……。マーカス!マーカスでここは頼む!」

「いいですけど……なんでマーカスなんですか?」

俺まぁまぁカスだから、というと、なんですかそれ、とからからと女の子は笑った

笑ってくれるくらいの余裕はあるらしい。そこに少しほっとしていた。


「さっきの二人は……彼氏と友達とか?」

「いえ、ただの友達二人です」

もう事態の説明はしていた。

というか説明せずに、部屋にいれるなんてことができなかった。色んな意味で。

「私を入れて三人で来たら、恋人二人きりでカラオケにいったことにはならないから、親に言い訳できるみたいで連れられたんです。でもだからってあんなこと……本当、勝手ですよね」

「それはたしかに。店としても迷惑だしね」

ちなみに、俺は店員さんに通報する気は満々であった。済まんな、若人。ルールは守らんと駄目なのだ。君たちがルールを守らなかったせいで、今俺がファンタジーに直面してるといってもいいまである。そういう意味では俺の通報は正義の通報だ。と、しておこう。

「都合がいいっていうか……ほんと、参っちゃいますよね」

少し弱ったみたいに、またからからと笑った。

声をかけようとしたその時、隣から生々しい声が揺れて届いた。

……ものごっっっっつ気まずい。

幸いにもここはカラオケなので、BGMがてらに曲を流すことにした。

ここはしっとりした曲がいいだろうか、いやもういっそのこと隣のやつらを攻める意味で、くるみぽんちおでも流してやろうか、なんて考えながらデンモクで曲を選んでいると。

「あっ、さっき、からくりピエロって歌ってました?」

「え?」

頭の中が隣の若人に対する一揆しかなくて、不意に聞かれたその言葉に虚を突かれた。

「え、うん。歌ってたよ」

「じゃあ、それ歌ってくれます?隣で聴いてて好きだったので!」

……なんだかむず痒い。でも全然悪い気はしない。

「おっけい、わかった」



🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️



それからも女の子のリクエストを歌った。

オリオンをなぞる、曇天、などなど。

「マーカスさんって、歌が上手いんですね」

「んーん、全然よ、俺なんて。ほんと」

いやでもこう心に響くっていうか!と語彙を捻りだして褒めてくれる。

その様がなおのことむず痒くて、頬をポリポリと掻いてしまう。


歌う曲もなくなって、また静寂が部屋を包んだ。

「……」

「……」

特に気まずさはもうなかった。

この部屋の異質さにも、だんだんと慣れていく自分がいた。

大きな年の差がある子が横にいて、その子も悩んでいて、そんなことを考えていると、またひょっこりとあいつが心の奥からでてきた。

大人の階段って───

「いつ上るんでしょうね」

「え?」

俺の心に女の子が被さってきたみたいで、不意を突かれた。

「いつになったら大人になるのかなって」

「大人か……」

「色んな人の都合に振り回されて、でも無下にはできないし、かといっても溜め込むばかりで、自分だけで発散して自分一人で処理しなんてしきれずに爆発しちゃって」

ほんと嫌になります、と言葉を結んだ。

都合、振り回す。いつもの仕事のあいつが頭のなかにでてきた。

大人か、大人……。

「子供のときにそんな卑下しなくていいんだよ。自分のことをさ。大人になったからって、今までできなかったことが器用にできるわけでもないし」

何が大人なのかなんて、俺だってわかってないのに、こうやってつい一言言ってしまうのも、いつも悪い癖のせいなんだろうか。

いやだとしても。

悪い癖だとしても、それが小さな優しさになればいいなと祈りながら、俺は言葉を続ける。

「人の都合に振り回されて、自分の都合で人を振り回して、そうやって学んでいくんだから。だから、いいんだよ。自分一人でできないからって悔しがらなくて」

大人になったって、結局人の都合との勝負の連続なんだ。

自分の癖って都合も……きっとそうだ。

「一人でなんとかする挑戦はしてみてもいいだろうけれど、それで失敗したっていいし成功したっていいんだ。それが大人になるってことなんだしさ」

だから、いいんだよ、きっと。

「……もし一人でなにもできなかったら?」

「いいんだよ、それでも。なら人と助け合って生きればいいんだし」

みんな往々にそうしてるし。


空転とした雰囲気が17番の部屋を漂っていた。

この言葉は優しさとなって、この子の心に届いたんだろうか。

それすらも、空気と混ぜ合うようなふわふわとした雰囲気だった。



🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️🎙️



外から若い女子の声が響いてきた。

誰かが誰を呼んでいるようだ。

その声に、あっ、と隣の女の子が気づいたようにドアの方を見やる。

なるほど、隣の戦も終わって、片割れの子が探しに来たのか。

「マーカスさん、もう私いかないと」

「うん、いってきな。やっこさんももう事を終えたみたいだし」

外のパタパタとした足音が過ぎ去ったのを見計らって、女の子がドアに手をかけた。

「じゃあ私いきます!!……あ、あの!」

「ん?」

少しうつむいて、でもすぐに顔をあげて女の子が言葉を告げた。

「もっと練習してきます。人の都合とかに揉まれながら。いつかマーカスさんみたいなちゃんとした大人になれるように!!」

ありがとうございました!と続けて言いながら、女の子はこのファンタジーな部屋から飛び出ていった。


「……ちゃんとした大人かぁ」

ちゃんとした大人は多分中学生くらいの女の子とカラオケルームで二人きりにはなろうとしないだろ、と一瞬ツッコミが入ったが、今したのは迷子相談センターだ、と自分のなかでよくもわからない帳尻を合わせておくことにした。

迷子相談センター、か。

あのこは一体、なんの迷子だったんだろうな。

外からは女の子二人の声が聞こえてきた。怒ってるようなよくもわからないトーンであった。

大人になろうとしてるんだな、とその声にほほえましく思う自分がいた。

そんな中、スマホから着信音が鳴り響いた。現実がこちらを呼んでいる。

画面を見れば仕事の連絡だ。

電話に出ないといけない。

多分、またいつものあいつだろうか。


「……俺も大人になりにいくか」

そう思い、スマホを手に取り、着信に応える。

「はいもしもし」


俺たちは階段を上る。

大人の階段は、まだ上りはじめたばかりだ。

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