第7戦・敗北の四天王

 食の都グラトニー郊外の荒地に空気を揺らす咆哮が轟く。


「うおおおおぉッ!!!」


 赤い鱗の竜の戦士が巨大な斧を地面へと叩きつけていた。その一撃は空を裂き、地を断つ必殺の一撃、そこから発生した衝撃で粉塵が舞い上がり視界を埋めた。


 急ぎ駆けつけた現場を魔王は上空からその様子を見下ろして、遅かった、と顔をしかめた。


 魔王が飛来したのは大臣から、四天王の死戦アングリフが暴走したとの報告があったためだ。魔王は一切の命令をだしていないというのに、血気盛んな戦闘狂が勝手に勇者へ勝負を挑んだのだ。さきほどの一撃も勇者に向けたものであった。


 周囲に飛び散った砂の粒が地面に落ちて砂塵が晴れていくと、そこには信じられない光景が広がっていた。小柄な少女は自分より倍の身長があるアングリフの、さらに倍以上ある鋼鉄製の斧を片手で受け止めていた。それは物理法則を無視したかのように、斧の一撃を完全に無効化していた。


「ぐぬぬぬぅ……クソがぁぁッ」


 剛腕で斧を押し込み小柄な勇者を潰してしまおうとするが、ぴくりとも動くことはない。アングリフは歯を剥いて顔を歪めた様子からも全力を込めていることが解る。

 超重量の斧を片手で支えている勇者は右手に持ったショートソードを振り上げる。このまま振り下ろされればアングリフを袈裟斬りに真っ二つにしてしまうだろう。


「行くよ!」


 その一撃は無慈悲にも繰り出された。

 真空を切り裂き烈風が巻き起こり周囲全てを薙ぎ払い、石をも砕きすべてを砂に変えていた。

 その剣先から伸びた大地を断った傷痕は、どこまで伸びているのか測ることすら難しい。が、断ち切られたはずのアングリフの肉片はそこに残っていなかった。


「ふぅ、間に合ったか」


 魔王は瞬時に巨漢の竜人を宙に引き上げていた。ぎりぎりのタイミングで辛うじて最悪の事態を回避することができた。アングリフのあまりの重量に、魔王は顔を真っ赤にして宙に浮いていた。


「あ、魔王さん! その竜の人、こっちを襲って来たんだよ!」


 ぶりぶりと怒る少女ハナコは剣の切っ先を今度は魔王に向ける。

 ハナコの言うとおり、アングリフが勝手に襲いかかったのだ。すべての非はアングリフにあり、その上司である魔王には非を背負う義務がある。


「すまないな、ハナコ。此度の戦闘は我の不手際にて起きたこと。ここは魔王である我の顔に免じて剣を退いてはもらえないだろうか」

「むぅ……今回だけだからね」


 勇者は片手剣を下げて戦闘の意思がないことを示したので、それに対して魔王は礼をして返事とした。と、その瞬間、遠くから頭を狙った精密な狙撃があった。魔王はそれを難なく躱すと、部下を吊り下げたままこの場から退散していく。

 勇者の仲間が駆けつけたのか、遠くから誰かの舌打ちが聞こえてきた。



 魔王城に戻った魔王はアングリフを責めなかった。それどころか、一言もかけることはなかった。アングリフは筋肉で動くところがあるが、無能ではない。魔王が叱らずとも、今回の一件で打ちのめされたアングリフがもっとも理解していることだろう。



 翌日、魔王は気になることがあって魔王城を当てもなく歩いていた。少し気懸きがかりなことがあってそれをどう対処したらいいのか迷っていた。ふらふらと歩く魔王は中庭に差し掛かった。


「お? ケラヴスではないか。精が出るな」

「これは魔王様、お恥ずかしい姿を見られてしまいましたな」


 集中していた和装の男は剪定せんていばさみを片手に、鉢植えから伸びた松の枝を切っていた。

 人の気配に人一倍敏感なケラヴスが、自分のプライベートスペースに魔王が入ってきても気付かないのは珍しい。そこまで集中していたということだ。


「美しい盆栽だな。ここまで育てるには苦労しただろう」


 魔王の誉め言葉にケラヴスはばつが悪そうに微笑んだ。盆栽を趣味としていた彼だが、それを知られるのが気恥ずかしいらしい。


「いえ、むしろ仕事もせずにサボってこんなことをしているのは、お叱りを受けるべきかと」


 一瞬で真面目な面持ちになったケラヴスは、魔王に対して頭を下げた。謝罪をされた魔王であったが、逆に感心していた。

 命令の合間に時間をつくり、立派な盆栽を作り上げているのだ。誇りはしても、謝る必要などどこにもない。


「我にはここまで立派な盆栽を作ることはできん。どうやら剪定がへたくそでな、気が付くと枝が伸び放題だ」

「いえ、剪定とは間引きと同じ、不要なものを切り捨てるということ。おそらく魔王様はそういった見限るということが出来ないのでしょう。どんな部下も見捨てることはない、深い懐をお持ちのようですな」


 何も考えていない魔王はやたら深読みするケラヴスにとても申し訳ない気持ちになった。それでも、笑って受け入れるのが魔王というものだ。魔王は尊敬の眼差しに対して口角を上げて見せた。


「時にケラヴス、百戦錬磨のお前が勇者と戦って勝てると思うか?」

「無理でしょうな」


 即答、0.1ミリ秒という速さで、初老の猛者もさは答えた。


「実はですな、魔王様に秘密で勇者とり合ったことがあるのですが、小手先の技能ではまったく通用しませんでしてね。勇者は剣を振るえば虚空を裂き、真空を斬り、周囲に風の刃を振り撒き散らす……回避などできるはずもありません。隙を見つけて首に刃を叩きつけたことがありますが、傷ひとつもつけることができずに折れてしまいました」


 勇者の『脳筋理論』”筋力(STR)はすべてを解決する”は正しいと思い知らされる報告だった。力のアングリフが無理でも、技のケラヴスなら可能性はあるかと期待していた。

 魔王は痛い頭を押さえて苦虫を噛みつぶしたような顔で眉を寄せた。


「魔王様、勇者を討伐するのは現実的ではありませぬ。勇者をこちら側に引き込むなど、他の手を考えてみてもいいかと」


 勇者を引き抜く。それは魔王には考え到れなかったことである。異世界二ホンから召喚されたという勇者は、必ずしも地上界に思い入れがあるとは限らない。

 むしろ、今まで何も知らずに騙されていた、という可能性もあるのではないだろうか。何が真実かは勇者にしか分からないが、意外なところに答えはあるのかもしれない。


「成る程、考えておく。お前は盆栽の手入れに戻っていいぞ。なかなか有意義な時間を過ごせた」


 魔王がそう言うと、ケラヴスはまるで武士の様に深く頭を下げた。その様を見て魔王はその場を後にした。



 特に何も考えていなかったが、意外と面白い意見を聞けた。あまり気乗りではなかったが、ついでにもうひとりの四天王にも少し話を聞いてみようと、魔王は進路を変更した。


 魔王城には数多くの部屋が存在する。用務員室から宿直室、私室はもちろん客間も完備、おまけに広い浴場まで設えてある。そんな中でも大きいスペースを取っている部屋がある。それは、訓練室だ。


 扉を開いて訓練室に入ると、ねばつく熱気と汗臭さが魔王を出迎える。


 ここにはトレーニングに最適な用具が備え付けられている。バーベルはもちろん、鉄棒、ぶら下がり健康器具、ランニングマシーンもある。武術を鍛える各種武器と木人も揃えている。

 身体が鈍ったと思ったらこの部屋でいくらでも鍛え直せる。運動不足になりがちな城内勤務には最適な場所だ。


 男くさい室内で腹筋を繰り返し鍛えている赤い鱗の竜人はすぐに見つかった。近づいていくとこちらの気配を察したアングリフは立ち上がるとすぐさま頭を下げた。


「何か御用でしょうか、魔王様」

「そう畏まるな。普段通りでいい」


 緊張しているかのような大きな竜人は、魔王の言葉で少し落ち着いたように力を抜いた。

 昨日の出来事があって落ち込んでいるのではないかと心配していた魔王だったが、筋トレする程度の元気があって少し安心した。元気そうなアングリフに魔王も表情を和らげた。


「魔王様、昨日は勝手な行動をして申し訳ございません。勇者の実力を知りたくて、先走りました」

「いや、お前は充分に反省している。咎めるために来たのではない。ただ、お前の様子が不安だったのでな。この様子ならいらぬ心配であったな」

「……」


 いつもは大きな口で大声を出す騒がしいアングリフだったが、少しの間無言になった。それを不審がって魔王は眉を顰めた。

 やはり口ではああ言っていたが、相当ダメージがあったのではないか。力こそすべてという人物であったため、その自信を失ったのかもしれない。


「魔王様、オレは負けていません」

「は?」


 アングリフが放った言葉に、魔王は動揺する。昨日の戦いは誰の目にもアングリフが負けたと写っていただろう。そうだというのに、この竜人はそんな強がりを口にした。かなりのショックがあったと、魔王は優しい労わりの目で見つめた。


「生きている限り、オレは負けません。今回は負けましたが、オレは鍛錬でもっと強くなります。幾度負けようとも、勝つまで己を鍛えます。そうしていれば、オレは必ず勝ちます」


 心の底まで脳筋の思考で魔王は少し笑ってしまう。真面目に語っているアングリフに失礼だとは思ったが、これだけ思い切りがいいと馬鹿らしくてつい笑みが零れる。

 なんて、馬鹿馬鹿しい。それを本気で言っている目の前の竜人は馬鹿だ。だが、底まで突き抜けた馬鹿はすがすがしい。いつかそれを実現してしまいそうな自信を感じる。


「ははは! お前の言うとおりだ! 一度くらいの敗北が何だというのだ。もっと強くなり二度、三度と挑戦すればいい! よし、我もやる気が出てきたぞ! 共に己を鍛え上げるぞ!」

「はい! 魔王様! まずは腕立て伏せからまいりましょう!」


 大騒ぎしながら意気投合した二人は早速、鍛錬を開始した。

 まずは筋力。次に筋力。何にもおいて筋力だ。




「……二二〇六一……二二〇六二……二二〇六三……」


 魔王の腕は限界を迎えた。一万を超えてからもう腕が自分の意志で動かない。ただ、腕を動かすだけのマシーンになっていた。


「魔王様! 五万回にはまだまだ遠いですよ! そのペースだと日が暮れてしまいます」


 根性の男アングリフは五万回の腕立てを終えて、腹筋五万回に挑んでいるところだった。


「すまん、やっぱり我にはこの方法は無理だ……」


 その後、五万回の腕立てを終えた魔王は、もう二度とアングリフの鍛錬に付き合ってはいけないと、心に刻んだ。

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