第6.5戦・勇者御一行の色恋話

 食の街グラトニーでも人気の高いお食事処『満腹亭まんぷくてい』は今夜も大いに賑わっている。昼の健全な飲食店はもちろん、夜の酒場としての顔も負けてはいない。

 一日の疲れを癒すために一杯飲みに来る客、有名店の味を一度は味わいたいという客、ただ単に美味しいから訪れる客と、様々である。

 店中が大いに賑わっている最中、勇者一行は四人掛けの広めのテーブルを囲んで夕飯を食べていた。


 活気ある店内において、空になったおつまみの皿をつまらなさそうにフォークで突っついている金髪のエルフがいた。眉を顰めてある一点を眺めていて、その様は不機嫌そうに見える。

 その視線の先には、ぼーっとして虚空を見つめるいかつい僧侶ジューディアと、その隣でスライムめしをがっつく子供っぽい勇者ハナコがいた。


 ナディスが気にしているのは、ハナコが口の周りにご飯粒を付けて食べ続けているというのに、いつもは口を拭いてやる父親役のジューディアが無反応だということだ。

 父親然としていたゴリラのような僧侶が、今夜は妄想に耽る穢れを知らない少年ようだった。いつもと違う食事風景にナディスは違和感を覚えていた。


「ねぇ、ジューディア。ハナコの口のまわり汚れてるわよ」


 鋭い眼差しをしたエルフの言葉で、ゴリラのような大男は正気に戻ったように慌ててハナコの口を拭く。それが終わると、ジューディアは髪のない頭を掻いて顔を赤らめた。


「いや、すまない。少し『彼女』のことを考えていたら、頭がいっぱいになってしまった」


 その言葉が衝撃的だったのか、ナディスは口を閉じるのも忘れて、手に持っていたフォークを落としてしまう。

 この大男の口から『彼女』という、女性を思わせる単語が出てくるとは思っていなかったのだ。ジューディアの巨体に似合わない照れたような仕草がとても気味が悪かった。


「なになに、ジューディアに好きな人ができたの?」


 口元を拭いてもらって上機嫌なハナコが屈託のない少年のような笑顔で訊ねてきた。その様子を見てジューディアが眉を上げて反応する。まるでそうやって聞いて欲しかったかのようだった。

 ただののろけ話だと解ると、途端に馬鹿らしくなってナディスは、手元にあったキメラ印のぶどう酒をあおった。


「実はだな。ゴリラのような俺は色恋沙汰に縁がないと思っていたんだがな、とても可憐で愛らしいロザリクシアさんに出会い、恋をしてしまったようなんだ。これはそう、神のお導きに違いない」


 もじもじと筋肉を動かすゴリラの話を聞いて、常にクールだったエルフが飲んでいたぶどう酒を思い切り吹き出した。

 から揚げを食べようと口を開けていた童女アンネへ、とばっちりといわんばかりにそのぶどう酒が雨のように降りそそいだ。


「ちょっと待って! ロザリクシアって四天王の絶戦じゃない! あんた分かってんの? 相手は私たちがいずれ戦う相手よ!」


 口元を手で拭いながらナディスが大声を上げる。

 ジューディアが好きになる相手など、山猿かメスゴリラ、あるいはチンパンジーぐらいが関の山だと思っていたのだが、とんでもない大物の名前が飛び出してきて冷静を欠いてしまった。


「でも、そんなに悪い人じゃないんじゃない? あたしも好きだよ魔王さん」

「ハナコも何言い出すの? バカじゃない?」


 とんでもない発言が飛び交い、ナディスが半狂乱になっているのを余所に、アンネはサイドアップにした灰色の髪から滴るぶどう酒をタオルで拭いていた。


「むー、魔王さん、悪い人じゃなかったじゃん。から揚げくれたし」

「いや、毒殺しようとするなんて、かなりの極悪人だからね! っていうか、どっから魔王出てきた!? 関係ないよね」


 魔王のどこにいい人要素があるのか、賢いエルフには理解できなかった。ただ、毒入りのから揚げを食べさせただけではないか。

 ナディスの大声にハナコはむくれて口の先を尖らせた。憤懣ふんまんやるかたないナディスの反応が気に入らない様子だった。


 地上界を征服できる実力を持っていて魔族でも最強と謳われる魔王は、もっと悪逆非道な人物で、どんなに卑怯な手でも使い勇者を殺しにかかってくる冷酷なイメージをナディスは持っていた。

 しかし、実際に会った魔王はどうだっただろうか。簡単に負けたり、すぐに見抜かれる変装をしたり、毒を盛るという姑息な手段を使ったり、どこか間の抜けた印象を覚えた。

 まるで、平和ボケして悪行を忘れてしまったかのようだった。


 自分の意見を受け入れられないナディスは、さっきからタオルで身体を拭いているアンネに視線を向ける。若干、嫌そうな顔をした童女だったが、渋々といった感じで口を開いた。


「……そんな言うほど、悪い奴じゃないんじゃがのう」


 裏切られたとばかりにエルフは碧い瞳を大きく開けた。

 ナディスは知らないが、アンネは元は魔族で、しかも魔王の伯母である。そんな彼女が甥のことを悪く言えるはずがなかった。少しはナディスが可哀想だとは思っていても口には出せない事柄であった。


「どんな相手であれ、最終的には敵になるのよ! 何で、みんなはそんなに危機感がないの!?」


 まるで魔王に丸め込まれているような気がしていて、ナディスは焦っていた。どんなにみんなが日和ひよっても、故郷を焼かれた自分だけは気を許してはいけない。そう、自分に言い聞かせていた。


「しかしのぉ……お前さん、以前、深夜に魔王と二人きりで逢引あいびきしておったじゃろ」


 アンネの言葉に聡明なエルフは記憶を探った。そんな馬鹿なことがあるわけがない。魔王と二人だけになった覚えは……覚えはな――あった。

 三日ほど前、魔王の気配を感じて宿を抜け出したことがあった。そこで屈辱的な目に遭わされたこともハッキリと覚えている。


「あ、あれは、ちがくて……って、なんであんたが知ってるの?」

「いや……あれだけ大声で騒いでいたら、誰でも気づくじゃろ……」


 勇者と僧侶は気付いてはいなかったが、アンネには筒抜けだった。ナディスは痛くなってきた頭に手を当てた。どんな言い訳をしたら受け入れてもらえるのだろうか、と。


「そうじゃ、確か『嫁』というワードが聞こえた気がするのぉ」


 冷静さを欠いていたナディスだったが、違う、そうじゃないと、叫んでテーブルを思いっきり叩きたい衝動を我慢した。

 何故なら、『嫁』の言い訳をするとどうしても、『ゴブリン』の名前が出てきてしまう。それを知られることは、エルフとしてのプライドが許せなかった。


「なーんだ。ナディスがさっき言ったの、あたしに魔王さんを取られたくなかったから?」

「だから、そうじゃない!」


 ニヤニヤとハナコがこ憎たらしい笑顔をナディスに向けてくる。このこの、と言わんばかりに届かない肘を突き出してきた。

 ただの勘違いだと言いたいが、『嫁』というワードが邪魔をする。何て呼び名を残していったのかと、ナディスは魔王に対して新たな憎しみを覚えた。


「大丈夫だ。結婚式では俺が神父を務めてやるからな」

「だから、ちーがーうー! どうして微妙な優しさを見せるの? というか、あんたは結婚する側じゃないの!?」


 全方位から魔王との関係を弄る言葉をかけられて、ナディスには冷静さの欠片も残っていなかった。


「しょうがないのぉ……結婚式には儂も参列してやるのじゃ」

「しょうがない……って、どういう意味なの? 同じ仲間なのに、結婚式に参列するつもりなかったの!?」


 パーティーの仲間三人から、あれやこれやと声をかけられて、そのたびにナディスは怒り、怒鳴り、憤慨ふんがいした。


「あー、もう、あんたたち、私の言うこと聞きなさいよ!!」


 発狂寸前のエルフは、これから先の魔王討伐への道のりは険しいと、骨の髄から思い知らされた。

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