第5戦・作戦『勇者一行の赤裸々な日々』 ロリババア編
食の都グラトニーの大通り。
多数の飲食店が並ぶ往来には、昼食を求めて多くの魔族が行き交っている。ある人は仕事の疲れを癒すため、ある人は旅先での出会いを求めて、ある人は客の呼び込みに精を出している。
そんな平穏な通りには相応しくない黒で固めた漆黒の魔王は人々の視線を集めていた。魔王はそれを気にすることもなく『ある場所』を目指して歩いていた。
その場所は店と店の間にある何の変哲もない通路。店から出たゴミが詰まったゴミ箱に、清掃に使うであろう箒やバケツ、モップなどの用具がそのまま置かれている。
目立つものはないその通路に辿り着いて魔王は足を止めた。
――何故、魔王はそんな場所を訪れたのか、それは朝の頃まで遡る。
朝の光が差し込まない魔王城であっても、厨房から漂ってくる匂いが朝であることを知らせてくれる。
魔王は専用の食卓に腰掛けていた。超が付くほど長い机には、皺ひとつない真っ白なテーブルクロスが敷かれている。銀の燭台が室内を照らし、用意された食器が照り返していた。
傍らには大臣が控えており後は食事が運ばれてくるのを待つだけだった。
そんな室内に人影が侵入してきた。
「魔王様、お耳に入れたい事が……」
一切の足音を消して魔王の隣までやってきたのは、着流しが似合う四天王が禁戦ケラヴスであった。
「……お前が来たということは、よほど重要なことなのだな?」
魔王はナフキンを前掛けに、右手にナイフ、左手にフォークを持っていて食事の準備は万端だった。普通なら叱責を免れない場面ではあるが、この男の話は自分にとって必要だと判じた。
「拙者が調査を行っておりましたロリババアことアンネについて報告なのですが、本人が魔王様との会見を望んでおります」
「それをわざわざ我にか? 何があった」
「……拙者には判断しかねたのですが、魔力が魔族のそれでして、対面して只者ではないと感じた次第。魔王様に判断を伺いたく存じます」
「解った。ケラヴスの判断なら間違いない。我が出向いてやろう」
魔王の言葉にケラヴスは恭しく頭を下げた。食卓から去ろうとする着流しの男を魔王は呼び止めた。
「ケラヴス、何故、今のタイミングで?」
「今朝、思い出しました故」
隠し事をしない裏表のない部下を持って魔王は幸福だった。
ロリババアこと賢者アンネの呼び出しに魔王が応じて、何もない通路にやってきたわけであったが、そこには当然誰もいない。ただ行き止まりがあるだけだ。それでも、魔王は歩みを進めて奥へと進んでいく。
不意に音が消えた。
今まで大通りの喧騒が届いていたというのに、一歩踏み込んだだけでその一切が消失した。ただ音が消えただけではなかったようで、人の気配、視線もすべて消え失せて、突然目の前に童女が現れた。
汚れた灰のような色の髪をサイドで結った童女は、ピンクのワンピースにぶかぶかの銀色の外套を纏い手には小さな身体より長い銀の杖を持っていた。その童女は間違いなく、勇者一行の賢者、アンネ・サターナスであった。
「よく来てくれたのじゃ。やはり、あの男に言いつけて正解じゃった」
童女のアマルガムを連想させる灰色の瞳が魔王を捉える。魔王はそれが気に入らなかった様子で、血のように赤い瞳で睨み返した。
「貴様……何者だ」
魔王の冷徹な声を聞くと、アンネは声を殺して笑い始めた。
「随分と魔王が板についてきたの。昔はあんなにちんちくりんじゃったのにな」
自分と対峙する童女の態度に魔王は怒りを見せることなく、顎に手をやって眉を寄せて少し考えこんだ。
この童女があのような発言をしたことの違和感、結界の内に入った時に感じた懐かしさ、魔族特有の魔力、そして何より、魔王の直感が正解を導きだしていた。
「ま、まさか、アンネリーゼ伯母様!?」
魔王は導きだした答えに驚き声を裏返してしまう。
童女はその言葉が聞きたかったと言わんばかりにゆっくりと頷いた。そう、この童女、アンネは正真正銘魔王の伯母であり前魔王の姉である。サターナスという苗字はそのまま使っているようだ。
「な、何してるんですか。まさか、その歳になって子供の真似事ですか?」
動揺する魔王に灰の髪の童女は口の端を上げて不敵に微笑む。
「儂は人間に転生したんじゃよ。だから年相応じゃ。あまり年寄り扱いするでない」
魔王の知る伯母アンネリーゼは徒に転生などしたりしない。未婚ではあるが、人生を魔法研究に費やした人物である。それには相応の理由があるはずだ。
「何故、人間に転生を?」
「それはじゃな、長年の研究で全六属性魔法の解析はほとんど終えたのじゃ。じゃが、魔族という枷があるために、どうしても法術を会得することができなんだ。じゃから人間に転生し、全属性魔法に加えて法術まで操れる最強の賢者になったのじゃよ!」
魔王は実に伯母らしい考えだと納得したが、それでも解せぬことがあった。
「伯母様ほどの魔族がどうして勇者などと一緒に魔界に弓を引くのですか? 父が愛した魔界に侵攻するなんて考えられません」
「あー、それなんじゃがな……」
伯母の語る話の内容はこうだった。
人間に転生した伯母は地上界の山奥で研究を続けてきた。そんなある日、伯母のもとに勇者一行が訪れた。村に蔓延する疫病を治療する薬の調合を依頼に来たのだそうだ。
結果として伯母は勇者一行の依頼を受けて薬を調合したらしい。
「まぁ、儂も手伝う気はなかったんじゃが、剣を喉元に突きつけて脅迫してきたもんじゃから仕方なく協力したんじゃよ」
「……伯母様の魔法でも勇者には敵わなかった。ということですか?」
伯母自身の話にもあったが、全六属性、火、水、風、土、光、闇、全てのの魔法を極めたうえに、法術まで行使できる彼女は、この世で最強の魔法使いのはずである。
それほどの偉業を成し遂げた彼女の実力は魔王すら凌駕するだろう。それでもなお、勇者の『チート』の前では無力だったということになる。
「ああ、そうじゃ。ほれ、以前、勇者のパラメータを確認したことがあったじゃろ。アレを思い出せ」
伯母の言葉に魔王は眉を顰める。勇者一行がゲートを抜けて魔界に来た際、たしかに魔法『能力解析』でその驚異的な数値を目の当たりにしていた。
基礎ステータス
筋力(STR)■$39)0
体力(VIT) 2800
知力(INT) 0
精神(MEN) 4500
俊敏(AGI) 1100
正確(DEX) 1200
あらためて思い出しても、筋力(STR)がとんでもないことになっている。これから戦う相手だというのに不安しかない。
「あんたが思い出して驚愕しているのは、筋力(STR)じゃろうが、本当に注目するべき点は知力(INT)じゃ」
そう言われて、魔王は言われた知力(INT)に注目する。その値は――
「おかしいですね。単細胞生物であるスライムでも10くらいありますよ。スライムより馬鹿ってことですか?」
「まあ、たしかに馬鹿じゃな。じゃが、それ以上に注目すべきはゼロであるということじゃ。魔法の抵抗力には知力(INT)と精神(MEN)に大きく左右されるのじゃが……ゼロなんてあり得ないじゃろ?」
そこまで聞いて、魔王はハッとした。
「つまり、目立たないので気にならなったのですが、そっちも『チート』の影響でバグっている……と?」
「その通りじゃ。勇者には一切の魔法が効かん。魔法しか能がない儂とでは相性が悪すぎるのじゃ」
魔王は口を開けたまま硬直する。まさに開いた口が塞がらないとはこのことだ。
勇者のその頭があまりにも悪いせいで、魔法を無効化してくるのだ。魔法での戦いを得意とする魔王にとっては相手が悪すぎた。これには勇者に敗北したのも合点がいく。
「はぁー? 何ですかそれ! 反則じゃないですか!」
「筋力(STR)がアレな時点で、反則もクソもないんじゃがの」
憤る魔王を宥めるように小さな身体のアンネが頭を撫でようと手を伸ばす。やはり、手は届いていないのだが、そうしてくれることに魔王は優しさを感じた。
「伯母様は勇者に脅されているのですよね。なら、我が魔王として伯母様を救出いたします!」
「いや……それは……」
魔王からみれば伯母は勇者に囚われていると同じであり、それを救おうというのは至極当然のこと。すべては勇者が悪いのである。
「いや、それなんじゃが、儂はこのまま勇者の側でいさせてもらいたいのじゃ」
「何故です? 脅されているのでは?」
「長いこと一緒にいたせいかのぉ、なんだか孫ができたような気がしてきて、放ってはおけんのじゃ。ハナコは馬鹿じゃけどいい子だし、儂を仲間だと信じておる。魔界に来てからは気の許せる仲間は儂を含めて三人だけ……せめて儂だけでも仲間でいてやりたいのじゃよ」
『チート』とかいう反則的な力を持っている勇者ではあるが、中身はただの十六歳の少女である。異世界から魔界にまで来て仲間はたった三人だけ。その寂しさは少女にとっては辛いことだろう。さらに仲間が減ってしまうというのはあまりにも酷である。それを魔王も解ってしまった。
「あー……勇者の側に付くのは解りました。ですが、手加減してくださいね。伯母様が本気を出したら魔界が壊滅しそうです」
「ふぉふぉふぉ。勿論じゃ。何といっても甥が治める世界じゃからの、壊したりはせんわい」
少女は歳相応の明るい笑顔で甥に言いきった。我がままな伯母に魔王は頭を痛めつつも笑って返した。
瞬間、街の喧騒が魔王の耳に届いた。目の前にいた伯母もその姿を消していた。
作戦『勇者一行の赤裸々な日々』の遂行中、勇者一行の重要な情報を掴んだものの、どうしたらいいのか魔王は頭を痛めた。
「さすがに、正体を誰かに言う訳にはいかんよなぁ……」
誰もいない通路にひとり立ちつくして、魔王は頭を掻いた。
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