第4戦・作戦『勇者一行の赤裸々な日々』 エルフ編

 魔界の夜は黒より暗く暗闇よりも黒い。真っ黒の絨毯を広げたような空には緑の星が瞬き、赤い月が浮かんでいる。

 光のないはずの闇に淡く輝く金色があった。風に揺れるその金色は人の髪で持ち主の耳は長く尖っている。夜風を受けて佇んでいるのはエルフのナディス・カッサトール、勇者一行の一人である。


 宿泊している宿屋『空腹のつどい』から抜け出して一人で人気のない林へやってきた。彼女の服装は半そでのシャツに皮の短パン。上から羽織る皮のベストは複数のポケットがありナイフや缶切りなどの便利道具が詰まっている。右手には一メートルに満たないショートボウを持ち、左手は腰に備えた矢筒の矢を掴んでいる。

 銀の矢じりに白木で作った矢を一本取り出してショートボウに番えた。弓を引き絞り矢を放つと、ヒュンと風を切る音を残して太い木に突き刺さった。


「……流石だな」


 そう言って木の陰から出てきたのは、夜の暗闇より暗い外套に身を包んだ魔王だった。ゆっくりとした足取りで漆黒の林から出てきた魔王は臨戦態勢のナディスと対峙した。


「何を言うか、魔王」


 ナディスは次の矢を弓に番えながら低い声で呟く。碧い瞳で睨みつけるエルフに対して闇の魔王は余裕の笑みを浮かべて見下ろしていた。


「私に気配を察知させてここまで呼んだのはあんたでしょ。ハナコを相手に勝てないからって一人ずつ殺そうって訳なの?」

「いや、前回も言った通り矛を交えるつもりはない。もし、そうだとしたら……貴様はすでに死んでいるがな」


 歯をぎりりと鳴らして魔王から発せられる覇気にナディスは耐える。魔王からしたらこの美しいエルフを嬲ることは造作もなく、すでに生殺与奪の権利を得ているのだ。

 圧力に耐えながらも引き絞った左手の指を放すと、自由になった白木の矢は空を突き抜け一直線に魔王を貫こうと疾駆する。しかし、真っ直ぐで正確な軌道は簡単に見切られ、矢じりが刺さる前に魔王に掴まれてしまった。


「躊躇のない素直ないい一撃だ、なぁ、『ゴブリンの嫁』よ……」

「……あ゛?」


 魔王の何気ない一言がエルフの美貌を一変させた。


「誰が何だって!?」

「ほら、貴様、実にゴブリンが好みそうな外見をしとるだろう? 金髪碧眼高飛車控えめな胸のエルフ、しかも太もも丸出しのなんとも言えない妙な色気。いろんな媒体でゴブリンに辱められてそうではないか」

「誰が、『ゴブリンの嫁』だぁ!!!」


 一瞬だった。限りなく光に近い速度で矢を番え引き絞り放った一撃は、動く暇さえ与えずに魔王の頭を撃ちぬいた。


「あいったーッ!」


 『絶対結界』に護られているはずの魔王の頭部に矢が命中して脳を揺らした。そのあまりにも鋭い痛みに魔王はその場にしゃがみ込んでしまった。


「あ、当たった」

「痛った! 何で? どうして? 我の結界は?」


 有り得ないことに魔王は目を白黒させて混乱した。以前の勇者のような筋力(STR)で強引に結界を破ったわけではない。魔王は纏まらない頭で必死にその理由を考える。


「知らなかったの? 魔族は元々エルフ。祖先が地上と魔界に住み別れて時代を経て別の種族となった。だから森の加護を享けたエルフの矢はお前の『絶対結界』をすり抜けることができるのよ」

「!!」


 自分も知らなかった事実に魔王は目を見開き驚愕を隠せない。


「え? そうなの? そんなこと我も知らなかったんだけど!?」

「嘘よ、バァーカ! そんな訳あるか! 食らえ食らえ!」


 調子にのったナディスは矢継ぎ早に矢を放って魔王が苦しむ様を楽しむ。しかし、そのうちの一本が魔王に掴まれてしまったことで、反撃は終わりを告げた。


「ああ、痛ったぁ……まあ、おふざけはここまでにするか。貴様、森の加護を享けたエルフであるのなら、何故勇者一行などという人間に手を貸す行為をする? エルフは人間どもに不干渉を決め込んでいたはずだ」


 魔王を痛めつけることができて、腹の虫がおさまったエルフは手を止めた。それでも、怒りはまだ消えたわけではないらしく目を鋭くして魔王を睨みつけたままだった。


「何をとぼけている……魔王軍にエルフの里を焼かれたからに決まっている! 里の怨み晴らさずおくべきかッ!」

「ん……? まて、何か話がちが――」


 魔王が言葉を発している間にナディスは素早い手つきで矢を放った。その矢はいともたやすく掴まれてしまったが、ハンターであるナディスはポケットにある何かを魔王に放り投げる。

 瞬間、白い煙が噴き出し周辺を覆い隠した。その隙にナディスはナイフを放った。


 煙が晴れると魔王の顔にナイフが突き刺さっていた――ように見えたが魔王は歯で受け止めたそれを吐き出した。


「まったく、痺れ毒を塗り込んだナイフとは……我のことを悪く言えんだろ。しかし、我には『完全耐性』スキルがあるから、ステータス異常はまったく効かないのだが」


 ナディスが高速で投げたナイフは五本。左手には矢を掴み、右手の五指の間に四本のナイフを捕えており、残った一本は歯で受け止めていたのだった。


「くそっ、化け物め」

「もうそろそろ気は済んだか? 最初に言ったが、我は貴様と戦いに来たわけではない」


 ナディスは怒りの様相のままで眉を顰めた。結局、この魔王はここに何をしに来たのか聡明なエルフでも分からなかった。ずっと続けてきた戦闘姿勢を解いた。


「我はな、貴様のことを知りたいのだ。いったいどんな人物なのか……どのように生活をして、何を好むのか、どこが弱いのか、全てを知りたい」

「え!? な、何を?」

「それは当然、すべてを余すことなく赤裸々に……」


 真剣な面持ちの魔王に比べて、先ほどまで怒りで赤く染めていたエルフの頬に別の色が差し込んでいた。視線を少し逸らして身体をもじもじと動かしはじめた。それは恥じらう乙女のようにも見える。


「す、全てを知りたいって……ど、どういう意味? 魔王ってもしかして私をそんな目で……」

「……って違う! この恋愛脳め! そういう意味の全てじゃなくってな! 貴様の能力とかそういったものでな!」


 自分の放った言葉の意味に気付いた魔王はかぶりを振り手も振った。言動はともかく魔王は何もせずに立っているだけなら、どんな女性をも魅了する絶世の美貌の持ち主である。魔界最強は能力だけにあらずなのであった。


「ちょっと、そんな目で見ないでくれる!? ゴブリンの嫁のくせに!」

「誰が嫁よ! その言葉取り消しなさいよ! ってか、その呼び方二度とすんなッ!」


 自分のしてしまったことの後悔と恥ずかしさに、ナディスは次々と矢を放つ。そんな攻撃を魔王は上半身を動かすだけで余裕で回避していく。

 あまりの激しい動きに細身のエルフは体力の限界を迎え、呼吸を荒くして攻撃の手を止めた。


「……成る程、大体わかった。普段のように冷徹で明晰であればその分析力でこちらを的確に攻め入ることができる。だが、少しでも動揺すると冷静を欠き行動は単調になり周囲が見えなくなる。加えて恋愛脳。この程度なら、我の四天王が遅れを取ることは有り得ぬな」


 魔王はまったく消耗した様子を見せずに疲弊したナディスを見下ろしていた。ナディスは痛いところを衝かれたのか顔を歪め憎々しげに見上げてきた。


「目的は達した。これにて失礼させてもらおう。さらばだ、ゴブリンの嫁よ!」


 そう言い残して魔王は夜の闇に同化し消え去っていく。


「うっさい! ゴブリンの嫁って言うな!」


 最後に残った一本の矢を矢筒から引き抜き、夜気と同化した魔王へと引き放つ。


「あいったーッ!」


 何もない夜の闇から悲鳴があがった。

 ひとり残されたナディスは弓を握り締め虚空を見上げる。これからの戦いが熾烈になることを、これから先のツッコミが大変になることを予期しながら、静寂の夜の中に立ちつくしていた。

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