第34話 雑賀の推察
放課後。
昨日は熱気を帯びていた天文部の部室も、今日は閑散としている。
雑賀は小説を読みながら、エリを待った。しおりを挟んでいたページから、十ページほど読み進めた頃、ドアをノックする音がした。
雑賀は、いつからこの部活にはドアをノックする習慣ができたのだろう、と下らないことを考えながら、「どうぞ」と言った。
エリは、小さなぬいぐるみのついたスクールバッグを右肩にかけ、持ち手を両手で握っていた。
「エリちゃん、電気つけてくれるかな。今日は曇ってるから、少し暗いね」
エリはドアの真横にあるスイッチを押して、部室の蛍光灯をつけた。
エリは、普段、沢口が座っている席に腰をかけ、雑賀に向かい合った。
「ありがとう」
「いえ」
雑賀は本を閉じて、ふっと息を吐いた。
「速水くん、入部しないんだね」
「はい。これから塾に行くみたいで、両立ができないと思ったらしいです」
エリは少し俯いて言った。声のトーンがいつもより暗い。
「そっか」
「でも、天文部の人たちはみんないい人だったから、雰囲気とかが嫌で辞退したわけじゃないって……」
雑賀は笑ってみせた。
「速水くんが入部を辞退したことは、寂しいと思っているよ。でも、それを責めることはしないから。エリちゃんが二年生に気を使うことはないんだよ。誰にだって、事情はあるからね」
「それならいいんですけど……」
エリはどこかすっきりしない顔で雑賀を見つめた。
「何か、ひっかかることでもあるの?」
雑賀がそう言うと、エリは静かに、声を殺すように、涙を流した。
雑賀には訳がわからなかった。なぜ、エリが涙を流さねばならないのか……
「エリちゃん? どうしたの?」
雑賀はショルダーバッグからポケットティッシュを取り出して、エリに握らせた。
「センパイ、私、最低な人間なんです」
「え?」
エリはポケットティッシュを目に押し当てた。小さな肩は小刻みに震えていた。
「どうしてエリちゃんが、最低な人なの?」
雑賀は「最低な人間」という言葉に胸が痛くなるのを感じた。
「私、シュンが入部したいって言ったとき、シュンが天文部にこなければいいのにって思っちゃったんです」
「――それはどうして」
エリは呼吸を少し整えてから答えた。
「私が、今の天文部が好きだからです」
「え」
「私、自分で自分をひどいと思って。シュンに申し訳なくって」
「それって、速水くんがエリちゃんのこと、好きだから?」
話がみえなくなってきたので、雑賀はストレートに訊いた。
「シュンが?」
エリはぐっと目を細めた。
「あれっ? 違うの?」
「どういうことですか」
「あの、間違っていたらごめんね。エリちゃんは、速水くんの好意に気づいていたんだけど、昨日、速水くんを蔑ろにするような態度をとってしまったから、エリちゃんは自分を責めているんじゃないかなって」
雑賀は自分で自分の言ったことに戦慄した。言葉にするととてつもなく気持ちが悪かった。
「シュンが私を?」
「いや、真意はわからないけど……」
固まってしまったエリはまだ言葉がでてこない様子だったので、雑賀は続けた。
「そのまま、聞き流してほしいんだけどね。速水くんは、エリちゃんが速水くんを好きにならないって気がついたから、入部しなかったんじゃないかなと……」
エリは理解不能といった顔をしている。
雑賀は握り締めた手の中が湿ってきたことに気がついた。
「今から、俺の推察を全て話すから、少し聴いてほしい。正直、エリちゃんにとって、気持ちが悪い話だとは思うけど、ごめんね」
「はい……」
雑賀はエリと目を合わせてから、瞼を閉じた。
「昨日、エリちゃんが付箋を拾ったとき、エリちゃんは付箋のメッセージは俺が考えたと思った。そしてエリちゃんは……エリちゃんは実は、俺のことが、雑賀のことが好きだから、雑賀が沢口さんのメッセージカードの『大好き』を読んだときに『私もです』と、暗に雑賀への好意をほのめかした。けれど、速水くんはエリちゃんのことが好きで、エリちゃん目当てで入部を希望していたから、その一連を見て、気分を悪くした。二年生は、雑賀が……雑賀がエリちゃんのことを好きだということを知っていたため、雑賀に加担するような様子もあった。そういったすべての状況を、速水くんは察したため、速水くんは天文部には入れないと思い、入部を辞退した……」
話が全くまとまっていなかったので、雑賀はエリに伝わったのかどぎまぎしていたが、エリが「そうですか」と答えたので、ひとまず安心した。一人称が「俺」だと上手に話せないと思い、途中から「雑賀」に変えたのは良かったかな、と雑賀は振り返った。
いつもなら聞こえるはずの運動部の声が、今日は天文部の部室には届かず、廊下を吹き抜ける風が扉を揺らす音だけが聞こえた。
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