第32話 入部届の行方

 朝八時。

 エリが学校に着くと、速水が廊下にいた。

 エリが「おはよー」と言うと、「うん」とだけ返して、一枚のプリントを渡した。


「入部してくれるんだね!」

 エリは手渡された入部届を見て、目を見開いた。

 そんなエリを見て、速水は喉の奥がかゆくなったが、いつもと同じ声で話した。

「俺、入部はしないことにする」


「えっ、そんな……」

 エリの顔は暗転する。 


「天文部の雰囲気はとてもいいと思ったんだけど、これから塾とか行かないといけなくなるから、やっぱり部活には入らないことにするよ」

「でも、秋人センパイとか、週に一日だけだし、これる日だけでも大丈夫だよ」

 エリの眉は八の字になって、瞳は潤んでいる。

「ごめん。先輩にもそう伝えておいてくれるかな」

「うん……」

 

 まだほとんど生徒のいない一年生フロアの廊下は速水に、この世界にエリと速水しか存在しないような感覚にした。だが、それがただの錯覚であるのことを、速水は知っている。


「俺さ、気づいたんだ」

「何に?」

「いや、俺もわからない」

 

 速水はエリに、入部届の処分を頼んで、自分の教室へと帰った。

 教室に入るまでずっと、速水は自分の背中にエリのまなざしを感じていた。

『いや、これも錯覚かな』

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