第27話 二時間目が始まるまで、あと……

 二時間目開始八分前。

 雑賀は一年生のフロアにいた。学年で、上履きの色が分かれているため、二年生の青い上履きは、赤い上履きのなかでは目立つ。

 

 エリのクラス、一年三組の前までくると、すぐにエリを見つけられた。

 エリは雑賀の知らない男子生徒と話していた。話している雰囲気からして、エリと雑賀の知らぬ男子は親しい関係のようだった。

 

 雑賀は手に持ったノートを一瞥し、踵を返した。

 ノートは放課後でも問題ないだろうと思ったのだ。

 

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 あと八分で二時間目が始ってしまう。

 エリと話しているとどんな話題でも楽しいが、時間という制限によって、速水はいつもエリと引き裂かれる。

 

 速水は視線を感じた。薄い色の茶髪の二年生。

 誰だろうとは思ったが、すぐにわかった。

『あれが雑賀か』

 エリから聞いていた特長と一致した。雑賀は左手に教科書や参考書を抱えており、右手にはノート一冊のみを持っている。


「どうかしたの?」

「いや、何でもない」

 先輩には申し訳ないが、速水は雑賀の存在をエリには教えなかった。

『また後で会いましょう、先輩』


「私、次、移動教室だから、また放課後ね!」

「また放課後に!」

 雑賀は一年生のフロアから消えていた。


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 あと五分で二時間目が始まってしまう。

 エリは急いで次の時間の準備をして、教室を飛び出た。

 次は東校舎の特別教室3B。ぎりぎり間に合うだろう。

 

 校舎内は走ってはいけないので、エリは外から回って行くことにした。遅刻の多いエリは、いくつかの最短ルートを活用している。教室から特別教室へは、昇降口から外にでて回ったほうが、正規ルートよりも一分短縮できる。

 エリの目論見はやはり正しかった。金属製の腕時計をちらりと見ると笑みがこぼれた。


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 雑賀は足早に特別教室3Aへと向かった。

 ノートは結局、渡せず仕舞いだったので、仕方なく一緒に持ってきた。


 雑賀は装丁が茶色のノートで、自分のノートは統一しているため、エリの水色のノートは目立つ。

「雑賀、らしくないノート持ってんな」

 彼は同じ授業の誰か。雑賀は話しかけてきた生徒の名前をど忘れした。

「これ、後輩のノートなんだ。ちょっと、色々とあって」

「後輩って、例のあの子?」


「そうそう」

 雑賀は思い出した。彼の名前は斉木だ。悪い人間ではないが、更科と同様、人をからかうことを趣味とする人間だ。

「添削でもしてあげてるの?」

 ニヤニヤと雑賀を見る。

「いや、忘れ物」

「なーんだ」

「残念だったな」

 雑賀はなぜか更科や斉木がいつも浮かべる、薄気味悪い笑みを、自身も浮かべていた。


「あのさー」

「何」

「それってあの子?」

 斉木が指差す人物。エリだった。


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 エリは完全に動きが止まっていた。

 特別教室3Bの前で、ノートと教科書を抱えたまま、廊下の向こうを凝視していた。

 こちらのほうに雑賀が歩いてきている。


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 雑賀は斉木に自分の教科書や参考書を押し付けて、エリの元へと駆けた。校内は走ってはいけないが、雑賀は気にならなかった。


「エリちゃん! これ」

 エリのノートを手渡した。

「どうして、センパイが持ってるんですか?」

「更科が見つけたらしい。さっき、教室のところに行ったんだけど、誰かと話してたから、渡しづらくて」

 たいした距離を走っていないのに、雑賀の心拍数は上がっていた。


「そうだったんですか? 気づかなくてすみません。わざわざ、ありがとうございます!」

 エリの笑顔に雑賀はほっとした。雑賀はなぜ自分がほっとしたのが、エリの笑顔を見たからではないことには、もう気づいている。

「大丈夫だよ。礼は秋人に言ってね」

「はい!」

 

 エリが何気なく、ノートをぱらぱらと開くと、小さなオレンジの付箋が落ちてきた。

「エリちゃん、何か落ちたよ」

 雑賀が拾い上げる。かがんだときに付箋の文字を読んだ。


『大好きエリちゃんっ』


 おそらく更科が書いたのだろうと雑賀は思った。雑賀の字を真似ているが、「ん」の書き方は更科のものだった。

 雑賀はその付箋をエリのノートの適当なページに貼り付けた。


「私、付箋とか使わないんです。誰かのがくっついたのかな」

「ごめん、適当に貼り付けちゃったから、後で探して、見てみてよ」

「りょーかいですっ!」

 雑賀はエリの後ろ姿を見送って、特別教室3Aに入った。

 

 斉木が雑賀の教科書をもったまま「何があったか教えろ」と言っている。雑賀は自分の教科書を奪い取って、「あとでな」とだけ言った。

 二時間目のチャイムは鳴った。


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