第23話 雑賀の思考

 雑賀は自室の学習机で、今日の復習をしていた。

 

 来週には予備校の全国模試があるため、復習を重点的に行う計画だ。夏にあった模試ではそれなりに満足のいく結果となったが、今回の模試は前回のようにはいかないだろうと踏んでいる。

 秋の模試は受験を真剣に考えだした全国の高校二年生が受験するのだ。必然的に、受験者数が増え、その分自分の順位も下がってくる。

 雑賀は、自分が決して天才肌ではないことを自覚しているため、こうしてコツコツと知識を蓄えていくしかないのだ。


 今日の予備校での授業は「英文読解」だった。高校一年生まで、雑賀は自分の得意科目は英語だと自負していたが、二年生になってから大学の過去問などに目を通すようになってから、実は得意でもないのかもしれないと思うのだった。

 「得意」というのも、何を基準にするかは個人の裁量次第だが、雑賀にとって「得意」の最低基準は他の人よりも高い。

 

 雑賀が一年生の頃、天文部は現在よりも活発に活動しており、天体観測にもよく行った。まだその頃は、一年生は雑賀しかおらず、他の部員は全員上級生だった。だが、雑賀も元々、宇宙には興味があったため入部したのだった。

 せっかく高校生になったのだから、どこかしらの部活に入ろうと思ったが、どこの部も活動日数が多かったため、積極的消去法により、天文部へと導かれた。


 当時は、高校受験の雪辱を晴らす一心で、雑賀自身の気が狂うほど勉学に励んだが、一年の後期、つまり十二月頃から更科や小林たちが入部したため、次第にその狂気も冷めてきた。

 今では、どちらかと言えば、予備校よりも部活のほうが楽しいと感じている。

 天文部は自分にとって、自宅に次ぐ、第二の居場所だ――雑賀はいつしかそう感じるようになった。二年生になってからはエリの存在もあった。


 エリはいい子だ。エリは、雑賀がなりたくてもいまいちなれない、理想の学生像そのものだった。

 エリは勉学に多少の不安はあるものの、本人が思っているほど、絶望的なものではないではないのだ。雑賀は近くでエリを見てきたので、エリの学業レベルはかなり正確に測れる。


 エリには、周りの人から愛される、天性の素質がある。あの愛らしい容姿がそうさせるのか、あるいは、あの人懐っこい性格がそうさせるのか。雑賀は常々、エリのように生きられたら良かったのに、と考えたものだ。


 エリが天文部に入部してから、最初の一週間、雑賀はエリに対して秘かに敵対心を抱いていた。入学して間もない新入生であるにもかかわらず、エリには友人が多かった。

 廊下で見かけたときも、グラウンドで体育をしている姿を見かけたときも、必ずエリの周りには大勢の人がいて、エリは満開の笑顔だった。

 入学してしばらくは学校になじめなかった雑賀からすれば、エリは理解不能だった。「敵対心」というのは、ある意味での嫉妬だったのかもしれない。


 だが、そんな感情もすぐに消え去った。雑賀もエリの魔法にかかってしまったのだ。

 エリの瞳の奥に輝く光をみて、雑賀は囚人となった。知らず知らずのうちに、エリを目で探し、偶然、見かけた日には心が温かくなるのを感じた。


 雑賀にとってエリは憧れの存在である。そして、特別な存在でもある。

 最初はただ、遠くから見ているだけでよかった。けれど、あの狭い部室で同じ時を過ごしていくうちに、もっと近くで見ていたい、そばにいたいと思うようになってしまった。


 エリはみんなのものだ。みんな、エリのことが好きだ。エリは公共的存在である。けれど雑賀は、エリに群がる人々を斬ってでも、エリを私的なものにしたいと思ってしまっている。エリは誰のものでもないのだが。


 エリのことを考えると、雑賀は自分の中に狂気を感じるのだ。もしかすると、自分は依存体質かもしれないと思うほどだった。


 天文部の部員は、更科も沢口も小林も、雑賀の気持ちに気づいている。雑賀は誰にも悟られぬようにと振舞っていたにもかかわらず、あっさりと。更科にいたっては、エリも雑賀のことを同じように想っていると言う。

 雑賀もエリからの好意は少なからず感じとっている。だが、それは誰にでもエリがそう接するだけであって、雑賀だけが特別という訳ではないのではないか、と雑賀が思う。

 エリには、たとえ故意ではないにしろ、魔性な顔をもつ。エリは天性の魔女なのだ。

――結局、エリを魔女だとレッテルを貼ることで、自分を落ち着けている。雑賀はそんな自分が嫌になった。


「あー。もう寝よ」

 「英文読解」のテキストを閉じて、ベッドに潜り込む。全てが許される、至福のとき。


「メール……」

 雑賀はエリに「お詫びと訂正」のメールをまだ送ってないことに気づいた。

 ベッドから手をのばし、バッグの中をまさぐる。

 おもむろに取り出すと、画面には新着メール一件の文字があった。

「えっ」

 雑賀はエリからのメールに仰天した。


『雑賀センパイに今すぐ会いたい! 大好き雑賀センパイ(はあと)』


 携帯を握った右手が震えている。

 雑賀の名前は、雑賀宙。雑賀センパイというのは、雑賀のことだ。

「あっ、これ……」

 予備校から帰るときに、更科がいたずらで勝手に送ったメールと、文が同じであることに雑賀は気づいた。「エリちゃん」の部分を「雑賀センパイ」に代えただけのメールである。

 

 雑賀は更科に殺意を感じた。誰かを殺したいだなんて、雑賀には生まれて初めてだった。罪状は、もちろんメールの件を含むが、更科が予備校の教室で言ったことも強調したい。『今すぐ会いたい』の部分を見て、雑賀は自分で自分を刺し殺したいと思うような考えが頭をよぎったからだ。


 雑賀は、昨日の晩の自らの愚行も自戒しつつ、エリへの返信を打った。

『エリちゃん大好き(はあと)おやすみなさい。』

 エリからのメールで、雑賀はエリがあのメールを冗談だと受け取ったことが分かった。少し迷ったが、雑賀は冗談で返すことにした。

 画面に表示されている文に、一切の間違えはないが、エリはきっと、これが冗談だと分かってくれる。

 

 雑賀は再び自らの不甲斐無さについて考えてみたが、疲労から、思考が停止した。


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