第16話 エリのクラスメイト、速水旬

 二時間の補修講座が終わると、窓の外はとっくに暗くなっていた。

 

 エリはノートや参考書をまとめて、お気に入りのキャラクターの小さなぬいぐるみのついたスクールバッグに入れた。


「ふーっ」と一息つくと、後ろから「二時間はきついな」と声をかけられた。

 同じクラスの速水旬だ。速水の成績は悪くないほうで、むしろ良いのだが、補修講座があるたびに出席しているため、すっかりエリの補修仲間だ。

 そして今日も、例にももれず「数学Ⅰ 基礎講座」に出席している。


「講座案内のプリントには一時間って書いてあったのに~。ミスった」

 エリは振り返って、角にまとめてあった消しカスの山を指で崩した。

 速水は散らばった消しカスを「あー、こら」と言いながら、再度集めた。


「山田Tの、『補足に補足』はいらないよな」

「でもその『補足に補足』がないと理解できない生徒がいるから。やっぱ重要だよー。山田T、万歳」

 速見が築いた消しカスの山を、再度指で崩す。速水は「あー」と言いつつも、おとなしくかき集める。


「分かんないなら、周りに聞けばいいじゃん。みんな、まぐれ受かりには優しくしてくれるよ、きっと」

 速見はエリの顔をちらりと見やった。

「ひどくないですかーっ。まぐれにも人権があります。それに、まぐれには忙しい皆さんにお手間を取らせまいという思いがあるのです」

 小さな非難の意味を込めて、エリは一人称を『まぐれ』とした。


「あー、いや、そうじゃなくてさあ。ほら、前に言ってた、天文部の先輩とか。まだ教わってるの?」

「うん。テスト二週間前の週は部活の時間に問題集の解説をしてもらってるの。雑賀センパイね。センパイ、すごいんだよ? 模試とかでバンバンA判とってて。私が自慢するのもどうかと思うけどさ。本当、説明も分かりやすくって、やっぱりきちんと理解してる人は違うんだなって思うよ」

 速水は「へー」と「すごいね」を使いまわして、雑に相槌を打っていた。


「そういえばさ、天文部って一年はエリしかいないんだっけ」

「そうだよ」

「じゃあさ、来年度からはどうするの? エリだけ?」

 エリは自分の席の消しカスを、速水の消しカスの山に足した。

 

 東光学院では原則、文化部は二年生の三月に引退となる。

「……正直、あんまり考えたくたいけど。そうなるね」

「新入部員とか募集するの?」

「一応、勧誘はするつもりだけど。でもさ、私一人しかいない、しかも天体観測とかほとんどやってないエセ天文部に誰が入りたい?」


「……俺は入りたい」

 補修講座という若干の緊張感のある時間が終わった、ゆるやかな雰囲気のなかで突然、空気が張り詰めた――と感じたのは、どうやら速水だけだったようだ。


「あっははは! 天文部を慰めてくれてありがとう」

「うん。どうだろ……」

「もう帰るか!」とエリは思いっきり伸びをして、スクールバッグのチャックを閉めた。


 速水の机に盛られた消しカスの山はエリがまとめてゴミ箱へ葬った。

「なんかさ、大量の消しカスを一気に捨てると気持ち良くない?」

「その快感を俺から奪ったわけだ」

「捨てたかった? ごめんね」

 エリはペロッと舌を出して、教室を出て行った。エリも速水も行き先は同じであるため、一緒に下校した。

 

 エリは講座が終わった開放感から、数学のノートを机の中に置きっぱなしにしていることに気づかない。


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