短編集【ページの先に】

ダイオード

嫌いというには、あまりにも

ピアノの上を、指が滑る。

指が沈むと、ポーン、と音が鳴る。その動きが連続して、ひとつの音楽と化す。

「あんまり、好きじゃなくて」

そういう君は、とても楽しそうに弾いていることに気づいていないのだろうか。

そっと微笑みながら音を奏でる君は美しい。テンポに合わせて体を揺らして、まるで君の体が楽器そのもののように音楽が響く。

君の手はボコボコで痛々しい。きっと、血が滲むほどの努力をしたのだろう。人目を浴びず、たった1人で。

だからだろう、君は、常に完璧さを求めている。「すごい」「頑張ったね」と言われるためではなく、ただ人を満たすために指を動かす。君を知らない他人を満たすためだけに動く、君の指。


悲しいね。


君のためにその指はきっと動いてくれない。今だって、君は人のために演奏している。


それでも、楽しいのだろう?

そんなに笑ってさ。


止まらない指はクライマックスを奏で始める。激しくピアノを弾き鳴らす。体が大きく揺れる。

ああ、そろそろ曲が終わってしまう。鍵盤に指が張り付いて、するりと撫で去る。ゆっくり、けれど深く沈み、羽のようにそっと離れる。

先程までの激しさとは打って変わって静やかに、曲は終わる。

息をするのも忘れて魅入ったので、呼吸をする。何度も聴いた曲。何度も強請って聞かせてもらった曲。何度も、魅入った曲。

それでも、聞く度に初恋のように脳が痺れてうっとりする。

呼吸を整えながら、君が尋ねた。

「どうだった?」

「すごかったよ」

ほんの少し、誇らしげな君が可愛らしい。

最高でした、なんて君は求めていないから。

たった一言、「すごい」で濁す。

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