十一、恐怖 -この詩で唄で訴で

 僕は無事に大学入試に合格することができ、レートくんの近くに引っ越すことが決まった。アパートまでは父さんと母さんが交代しながら車で14時間程かけて送ってくれた。


「一人暮らしで困ったことがあったらすぐ連絡ちょうだいね」

心配性の母さんが僕の肩に手を置きながら言う。

「大丈夫だよ。」と両親の車を見送った。


車が見えなくなるまで手を振った。すぐに車は曲がり角を右折して見えなくなって僕は手を下した。

 いつかこんな日がくる。とわかっていてもいざ別れというものを目前にすると何故か寂しくもなるもので携帯のカメラフォルダを開いて来る直前に撮った家族写真を眺めてうるっとしていた。

 いつもは硬い岩の様に表情を変えない父さんが、この写真では笑顔で写っていた。

 父さん、こんな顔できたんだ…。


 余韻が抜けた頃再び荷ほどきに戻った。六畳しかない部屋のあちらこちらに積まれているダンボールに目をやり、どれから開けようか考えていた。


 アパートはベランダ付きだけれど、決して広いわけではなかった、でも急に知らない土地の知らない部屋、僕はとてつもなく小さくなった気分で、この部屋、ベランダから見える外の世界が巨人サイズにまで大きくなったように感じた。


 荷ほどきは夕方を過ぎても終わらなかった。どれだけ集中していてもお腹の空きは感じるもので、何か買いに行かなければ何もなかった。


 エコバッグを片手に玄関のドアノブをひねった。

 その先に広がる今までとは違う景色にまた戸惑いながらも、地図を頼りに近くのスーパーへと足を運んだ。道中に桜が咲いているのが確認できた。

この時期あっちではまだ咲かないのに、こっちはもう満開になっていることでまた時期の感覚がずれていることに気が付いた。


 スーパーで二、三日分の食料と、日持ちのする非常食品、飲料水など生活に欠かせないものを買い揃え、帰路に着く。


 さて、一人暮らしの初日は簡単にオムライスでも作ろうか、と思って必要な材料を台所の調理台に置く。

 そこまで進めて肝心な調理器具をダンボールから取り出していないことに気が付き、急いでダンボールを漁る。なんとか新聞紙に包まれた包丁、取っ手の着脱が可能なフライパン、その他に必要なものを取り出して、玉ねぎを切り始めた頃。


ピンポーン


 インターホンが鳴って扉を開けた。そこには黒いパーカーに少しダボついたズボンを着た僕と背丈が同じくらいの男の子が立っていた。


「はじめまして!…でもないか、よう功!」

 …?はじめましてじゃない?僕はここに来てまだ一日も経っていないんだが。

そしてなぜ僕の名前を知っているのだろうか。不思議だと思った。

「えーっと…。ごめんなさい、誰…ですかね」

 失礼にならないように言葉を選んだつもりだったけど、それを聞いた男の子はショックを受けて少し泣きそうな顔をした。

「え…嘘でしょ?まさかまだメッセージ見てない??」

 なんのことかさっぱりわからなかったけど、僕は携帯を見た。


『今日、お泊りいくね!時間は夕方頃かな』

 四時間も前にレートくんからメッセージが届いていた。


「え…ってことは、レートくん!?」

 その問いに男の子は首を縦に振った。

 そうだ、レートくんにはあらかじめ住所を教えていて、いつ遊びに来てもいいと言っていた。荷ほどきに集中しすぎて全く気付かなかった。


「ごめん!メッセージ見てなかった」と謝るとレートくんは

「大丈夫、片づけ忙しかったでしょ?むしろ急に来てごめんよ」と逆に謝り返された。


「今ちょうどオムライス作ろうと思ってたけど、レートくんも食べる?」

「おっ!ほんとに?じゃあ大盛りでよろしく!」

言われたとおりに大盛りで作ると

「ちょ。多すぎね?」

「だってレートくんが大盛りって言うからー」

「実は俺ご飯家で食べてきたんだよね」なんて少し変なやり取りをした。


「散歩に行くか!俺がいろんな場所教えてあげる」

 言われるがままに僕はレートくんに着いて行く。

 レートくんは靴を履かずに駆け出して行った。外に出てみると景色がさっきスーパーに行ったときと何か変わっている気がした。

 まあ、まだ僕が見慣れていないだけだろう。


 レートくんは僕の事なんかお構いなしに勝手にどんどん進んでいく。

レートくんが角を曲がった時に一瞬見失いかけてしまった。次にレートくんを見つけた時、レートくんはさっきまで履いていなかった靴を履いていた。

 手ぶらで家を出たはず、不思議だったけれど、僕は変だなぁ。と思うくらいで何も疑うことはなかった。


 気付くと僕らは河川敷にいた。歩くたびに小石が足に少しの違和感を感じさせる。

「功、ちゃんとギターは持ってきたか?」

僕、ギターなんて持ってきて…。

 レートくんが言葉を発したあたりから何かを背負っている感覚が背中にあった。

その感覚に手を伸ばすと、ギターケースがそこにはあった。


 僕らは二人で川の流れる音を聴きながら歌を歌った。

 すると後ろの方から誰かが小石を蹴飛ばす音がした。ふり返ると微かな月明かりに照らされて誰かが立っているのが見えた。容姿はぱっと見女性で少しずつこっちに近づいてくる。


「ごめーん!遅くなっちゃった」そう言って姿を現したのはハナさんだった。


「ねえ、突然だけど知ってる?『歌う』って言葉は元々は『訴える』ってとこから来てるんだって、訴える、訴う、歌うって変化していったんだって。中学生の頃、亡くなった友達が教えてくれたんだ。」


そう言うとハナさんは手を振って去っていった。


「よし、功、行こう」

 レートくんは急に立ち上がりまた歩き出した。次に僕らの前に現れたのは駅だった。レートくんは改札をくぐってホームへと向かった。

 着いて行くと僕とレートくん、そしてもう一人髪の長いワンピース姿の女性が柱に寄りかかって本を読んでいた。


 その女性は僕らに気づき、本を閉じ近づいてくると

「レートはなんで生きてんの?」とだけ言った。

聞きなれた声と本好き、直感でこの人はバレ姉だと気が付いた。

 それにしても、なんでレートは生きてんの?なんて言うのか僕にはわからなかった。

 するとバレ姉は更に声を強くした。

「なぁ、なんで生きてんのって!!」


 この間はバレ姉はレートくんに生きていてほしくて、必死にレート、やめてって。って止めていたのに。

なんでだろう、悲しい気持ちが溢れそうになっている僕にレートくんは言った。

「I'm tired and sleepy. Tomorrow won't come more. Thank you all.」

そう言い終えると同じくらいに、駅のアナウンスが鳴った。

「まもなく電車が参ります。危ないので足元の黄色い線の内側へお下がりください」


「来たぞレート」

バレ姉がレートくんにそう言うと

「バイバイ」そう言って哀しい表情をしてレートくんは僕に手を振りながら線路に飛び込んでいった。


――僕がもっと早く、君に訴えていれば、こんなことにはならなかったのかな。さっき河でハナさんが言ってたみたいに、うたっていれば。

英文で遠回しに疲弊していたことを伝えてくれた時、僕は何もできなかった。ただただ文章の中身を知って、涙を流すしか、あの日に感じた無力感が押し寄せてくる。

君が大切だ。君を救いたいと、何もできないけれど。

それでもただ隣に居ることは可能だと。伝えていたら。

ちゃんと訴えて、訴えて…うたっていたら――



「レートくんっ!!」

その声で俺は起きた。功の声は泣いていて急にどうしたのか理解できずに動揺した。

「どうした、とりあえず水でも飲も」と俺はコップに水を汲んできた。

功は水を一気に飲み干すと、

「今、怖い夢を見たの。レートくんが、レートくんがさ…電車に飛び込んで……ねえ、レートくん。生きてる、よね…。」

「心配すんな、まだ死なないよ」

「本当に、本当に良かった。生きててくれて…」

そう言って功は人様の布団に入ってきた。


――ま、今日くらいはいいか。そもそもこの布団、功のだし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る