九、記憶 -涙を流す私だけれど

 あの夏の日の夜、私の記憶は消えたらしい。


――功、レート、ハナちゃん…。


 どこかで聞いたことがあるような気がするし、メッセージのやり取りを見返す限り仲が良かったみたい。でも思い出すことが出来ない。


 まぁ、思い出せないことなんてたくさんあるし、無理に思い出す必要もないよな。忘れる程度のことだったんだ。

家族のことはしっかり覚えているし大丈夫。

 そう思いたかったけれど、少し気がかりだった。


 あの日発作が起きてから母さんが私の家に住み込み始めていた。

「家に居ても男ばっかりじゃぁやってらんないよ」と言いながら母さんは氷のカラカラという音を立てながら麦茶を飲んで笑っていた。

 それが本当の理由じゃないことぐらい小学生でもないんだから、私にも分かりきっていたのに。


 ふと失った記憶について何か母さんが知っていないか、気になってソファで本を読みながら尋ねた。

「ねえ、母さん。私って弟一人だけだよね。」

「うん、そうだよ?これ以上男が居たらもう母さんお手上げだよ~」

「ふふふ。そうだよね。」


 やっぱり私の記憶は失われていないんじゃないか、そう思った。きっと酔った勢いでおとうとって呼んだだけに違いない。そう思っていた。


 そんな時、母さんが口に詰めたお菓子を飲み込んでから、何か思い出したように話し出した。

「あ、でも最近朱音が弟二人と妹一人増えたんだーってなんか嬉しそうに話してたよ?私は産んでないけどねー」と面白そうに言ってまたお菓子を口に運び出した。


 嘘だ、私はそんなこと知らない。やっぱり私は記憶を失ってしまっている。

 少しショックを受けてそのまま本を閉じた。メッセージを一番初めから読み直していった。


 そこに『いつか私の持病でおとうとらの事忘れてしまうかもしれない。』と書かれていた。

それに対しておとうとたちは『その時はその時だよ、また仲良くすればいいんだよ』と返していた。

 私はそのことすら忘れてしまっていたけど、忘れられた人とでもいままで通り仲良くしてくれるんだ。と何故か安心してしまった。



 少し秋口に入ろうとしていた頃、功からメッセージが届いた。

『バレ姉。少し話聞いてもらえない?』

『いいけど、どうした?』

それから五秒として経たずに通話が始まった。通話越しの功の声はいつもより元気がなく疲れていた。


「実はさ――」


 学校で来週文化祭があるみたいで、今は準備期間らしく、功はクラスのまとめ役をしていて、忙しく疲れるというのだ。

 でもそれは功が自分から率先してやっていることだからそれに対しての不満はないみたい。

 話を聞いているとクラスの中に我の強い女の子がいて、その子がかたくなにクラス発表なんてしたくない。と言って功に文句をつけるみたいで、功はその責任もとならくてはいけないようで疲れが倍増している様子だった。


 私はそんな話を聞きながら何故か懐かしさを感じていた。


――うん。これだ。私が失くしていた記憶の正体は。


記憶のどこかに数マイクロとして存在していたわずかな塊。

 私は前もこうして功の話を聞いたことがある、憶測おくそくでしかないけれどこの感覚は確かなもので、前にも同じように話を聞いていた。

 数マイクロの塊が大きくなって失くしかけていたものをうっすらと取り戻している感じがした。

 功、レート、ハナちゃん。みんなとのやり取り、どういう関係だったか。


 まだ信じきれないけれど、確かに残る感覚…。それに名前を付けるなら「絆」とでも呼ぼう。

 記憶がわずかながらも取り戻していたその刹那せつな、功が口を開いた。


「世の中さ、僕が生きるには汚れすぎてたんだ。もっと、もっと綺麗な世界だったらさ…。」


 私が喜んでいる矢先になんてことを言うんだ。

「功…大丈夫いけるか?」

大丈夫いけるか?というのが私の口癖になっていた。

でもそれは本当に心配して言うのであって決して軽はずみな発言ではない。


「うんー。少なくとも今すぐに、は無理かな。」

「辛かったら学校休んでもいいんだからね?生きていればそれで――」

「バレ姉、僕思うんだ。生産性がなかったら生きていちゃいけないんだって。」

「功、そんなことないよ。生きてるだけで偉い。生きるってツライことだからさ」


 私だって病気になったとき、何回も生きる価値ってなんだろう、死にたいなって思ったことある。退院してもしばらくはそんな状態が続いてたし。


「生きるって本っ当にツライ!なんでこんなことしてまで産まれたんだろうって思ったこと、私にもあるよ。でもね、私は夢があったから、その夢を生きがいにできた。功だって来年レートのところに行くんでしょ?それが今の夢じゃんか」


 功は「うん。」とだけ声に出し少しは納得してくれたみたいだけど、どこか疑問を抱いている返事だった。

「夢ってさ、叶えたらその人はどうなるんだろうね。」

「新しい夢が出来るんだよ」

現に私がそうだった。病気になったときに優しくしてくれた病院の人たちに憧れて、医療従事者になるために専門学校に通った。そして今その夢が叶って、次は別の資格を取ろうと勉強もしているし。


「本当に?夢を目標にみんな頑張っているけどさ、その夢が叶ったらその後は虚無感があるんじゃないかな。あぁ、これからどう生きようって、目標、生きがいを見失ったみたいに。」

「そうなったら、その時は休憩するんだよ。だってさ『歩く』って漢字は『止まる』に『少し』でしょ?止まりながら少しずつ進んでいくの。人生生き急いで走ったら身体がもたないよ。だから歩くの、周りの風景も見ながらね。そして止まりっぱなしになっていないで、休憩したらまた必ず歩き出すこと。功は今走ってるよ」

「そっか…。ありがとう。僕が居なきゃ企画は進まないから、もう少しだけ頑張ってみるよ」

「よし、じゃあ頑張れ!大丈夫いけるか?」

大丈夫いける!」

功はすっかりいつもの功に戻っていた。


 その後功は、見事文化祭を成功させたみたいで、次は進路に集中するって言い頑張っていた。

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