第3話 はじめての仲間なんですけど!?

『ピエール・グラス―』によれば、財力があるものは、見栄のため、芸術品を真贋を問わずに買い集めることもあったという。ただ、阿呆の女神がいうことには、魔法に対して偽り辛いのがこの世界らしい。

『組合登録には、この結晶に触れ、レシートを表出し、受付で提示してください』

 市壁をくぐって治療を終えた僕は、女神の指示に従って目抜き通りの角地に聳え立った木造三階建てで『エテロワ市冒険者組合』と表札が付いた建物の前にのらりくらり歩いてきた。正面門には、二メートルほどの高さの白い結晶が置かれている。

 これはレシートと呼ばれる個々人の魔力適性や魔力などを記した紙を生み出す設備であり、偽ることができない性質のために、職業のエントリーシート代わりに使われているらしい。

 結晶に刻まれた謎の文字を読んだ冊子本の姿の女神は、早く手を触れろと言わんばかりに小刻みにガタガタと揺れた。要求通りに触れると、出てきた紙を読むなり、いきなり声高に僕を罵倒し始める。

『あー、ありえん雑魚。こんな酷いレシートここ十年でみたことありません。全属性に対する魔力適性がほぼ完全にないです。神にとことん嫌われたみたいな数値になってて逆に面白いところがあるので、私的には百点満点中二十点を差し上げます』

「下の上くらいにはマシだって話じゃなかったのか」

『転生に使った魔力が大きすぎて、思いのほかあなたの能力に割り振る力がなかったみたいです。ごめんなさい、申し訳ゼロ。女神ウッカリポイントも1ポイントほど加算しておくので笑って許しててててて』

「魔王を倒してとかなんとか言ってたのはこの小口か」

『あなたの脳に直接話しかけているんだから口なんてあるわけ、ってかふざけてるいる場合じゃないです。これだけ魔力適性がないと、先天魔法を含めてあらゆる魔法が使えないと思って良いです。過度干渉不可能の規定から、私がこの世界の人の心に言葉を飛ばすことはできませんし……。言語の問題もどうしようも……』

 露骨にしおれていく冊子本の女神を掴んだまま、僕はとりあえず足を進めた。

 手に取ったレシートと呼ばれる紙は、上着のポケットに入れておく。

 脳内にもうおしまいだーと繰り返し叫ぶ阿呆の声がけたたましく響くが、僕の方はまだ希望を捨てたわけではなかった。もとより魔法など使えなかったわけだし、対話で『言語』そのものに頼る割合は三割と少しくらいだという。それに、

「女神、お前。僕が指示する通りの架空の図書にも化けられるか」

『できますけど、それがどうしたというんですか?』

「僕の心の言葉をお前の本のページに表出し、相手方の発言をお前が翻訳して僕に伝えてくれれば、言語による対話自体はそう難しくないだろ。本の文字が書き換わる魔法くらいあるだろうから、それを使ったことにすればいい」

 ともかく、最初はこの方法で情報を集めて行こう。そう思った。

 のが、間違いだった。


『この野郎ブチ殺してやる――と言っています!』

「そんなもの見れば分かる!」

 レシート出してから三十分後、僕たちは怒れるガラの悪い青年三人組に追い掛け回されながら街の路地裏を走っていた。切っ掛けは、この路地の入口で彼ら三人が一人の少女を壁際に追い詰めて何やら突っかかっているのを僕が目撃したことだ。面倒ごとに巻き込まれないためにも、さっさと通り過ぎようとした僕だったが、そのとき、その少女が怯えた表情をしていて、かつ、市外で僕に白旗を投げてよこしてくれたのと同一人物だと気付いてしまった。

 そして、一瞬足を止めた瞬間に、さっきの話の『本の文字で意思を伝える』という部分だけ中途半端に憶えていた女神が、その姿を大判の本に変えて、勝手に開き、ページを青年たちに向けた。すると、彼らはにわかに激昂し、いまに至る。

「なんて伝えたんだお前、びっくりするくらいキレてるじゃないか」

『あら、知りたいんですか。なら、フローカモン!!』

 

 俺は使える 全属性

 お前らの相手 めんどくせー 

 でも 見逃し切れねえ その振る舞ッい

 三人揃って かかって来い オイ


 いえあ


「いえあじゃねえ!」

『仲間割れしている場合ですか、中級炎属性魔法が』

「うわぁ! 取り合えず元の普通の魔導書っぽいものに戻ってろ!」

 どうも、この阿呆の本はめちゃくちゃ雑に彼らを煽ってしまったらしい。背後から飛んでくる火の槍に結構な命の危機を感じながら、文庫本サイズに縮小された女神を抱えて路地を抜けると、足をもつれさせた僕は思いっ切り倒れ、そのまま人にぶつかった。

 あまりに固い、岩のような感覚。僕がぶつかったのは、とてもガタイの良い覇気のある初老の男性だった。この都市の冒険組合長ですよと、冊子本が耳打ちするのと同時、背後、路地から走り出た青年たちがゆっくりと足を止める。話している言葉は正確には分からないが、何となく推測できる。組合長の男性が何事だと問うと、サングラスをして髪を染めたとても異世界人とは思えない風貌の青年が、事情を説明する。どう見ても先程の僕の失礼な振る舞いについて陳情している様子で、取り巻きの二人は、大きく頷いたり、声を出したりして賛同を示している。

 やがて話を聞き終わった組合長は、内容の真贋を問うというような圧のある目線で僕の方を見る。こんなにプレッシャーをかけられたのは久し振りだ。ひりつく空気。客観的に見て、僕と彼らの係争は、十割くらい僕たちに原因がある。僕たちが悪い。しかし、この大男に断罪されれば、やっと入市を果たしたこの都市から追い出されたり、魔法で以てボコボコにされたりするかもしれない。それはまずいから、僕は事実を使って嘘を吐くことにした。 

 いま余計なことをしたら、この世界はおしまいだと思え。脳で女神を脅迫して、大男にポケットから取り出した一枚の紙を手渡す。沈黙と共に、凛として変わらなかった彼の瞳が、驚きに小さく見開かれる。渡された僕のレシートを見て、ことを察してくれたのだろう。僕自身は魔法を使えないから、先程の青年が報告した内容は起こり得るはずがない。ついでに手渡した文庫本サイズの女神魔導書を軽く検分する男性だが、どうにか何もおかしなところは見つからなかったらしい。二つを僕に戻した組合長は、懲罰に値するというような、とんでもない圧のある視線で青年たちを睨んだかと思うと、こちらへ一礼し、一枚の紙を差し出して、彼らを何処かへ連れ去ってしまった。こうして、僕は一言も発することもなく無罪を偽証した。

『やーい、ざまあみろ、悪は滅びるんじゃい!』

「お前がこの都市一番の巨悪だろうが。こっちの事情がある程度落ち着いたら謝りに行くからな」

 危機が去ったことで調子に乗って脳内でやかましい女神を叱って、さっき貰った紙を見る。見たところで読めないので、女神に確認させたことには、これはエテロワ市の求人広告らしい。魔力がここまでない以上、冒険者組合に入って生計を立てていくことは現実的ではない。そのことを組合長の男性は慮って、これをくれたらしい。

『あー、私たちの華麗な冒険譚はここで打ち切りになりました。また新しいもうちょっと私のことをちやほや尊重してくれるまともな転生者を――』

「――召喚する魔力があるのか?」

『あったらこんなことになっとらんわい。バーカバカ、アホアホアホアホ、うんちちんち――』

「ちょっと考えるから静かにしてくれ」

 僕は一度死んで、女神と名乗る馬鹿女によって、この世界に連れてこられた。目的は、魔王を倒すため。この馬鹿がこの世界に飛ばしてしまった僕の世界の歴史ある著作が、みな魔力を得て強大な魔導書になり、多く魔王の手に渡ってしまったという。

 僕の蔵書も含めて文化的価値のある本が奪われてしまうのはとんでもなく由々しき事態であり、取り戻すのに協力しない理由はないのだが、それがこの阿呆の女神の間抜けに起因するものである以上、彼女自身に払うべき敬意はないものと考えている。

 さらに、この間抜けは転生に魔力をほとんど使い果たし、魔法が科学と同程度かそれ以上に生活の主軸を成しているらしいこの世界において、僕自身に一切のそれを与えなかったときている。前科百犯、十回くらいは電気椅子にかけてやっても罰が当たらないんじゃないかと考えられるほどだ。僕がまだ前向きでいることをありがたく思って欲しい。

 大通り、石張りの道の横に置かれたベンチに座って、考える。本は破れやすいものだ。取り戻すのは急ぐべきだが、急いでばかりもいられない。女神をつついて聞いたところ、この世界に持ち込まれた本は全て誰かに所有されていて、野ざらしにされているものはないという。いまはとにかく生計を固めて情報を集めることが重要だ。

 とはいえ、研究と軽い接客のアルバイトしかしたことのない僕が上手くやっていける職業がこの世界にあるだろうか。そう思っていると、騒がしい光景が目の前を揺らした。街の衛兵らしき二人の男たちが、少女を冒険者組合会館に縄で縛って連行するところだった。見間違いではない、路地裏で青年たちに絡まれていた、あの魔導書売りの少女だ。大通りを往く人々も、足を止めてざわついている。尋常ではない様子に疑問に思っていると、女神の声がした。

『あちゃー、あの子は何かの事情で奴隷身分だったみたいですね。前の持ち主だったキャラバン隊の人たちがいないので、冒険者組合管轄になるっぽいです。冒険者にはなりますが、奴隷身分と組む人なんていないんで、実質ソロですね』

「ソロだと、大きく何か困ることがあるのか」

『当り前じゃないですか。非常識な人ですね。冒険者っていったら四人組が普通ですよ。魔物はほとんど白旗で許してくれますが、魔力の弱い素人がソロで冒険に行ったら、運が悪けりゃ野生動物の餌ですよ――って、西町さん?』

 野生動物の餌。そう言われては、黙っていられない。僕はあの少女に助けられた借りがある。何より、彼女は、キャラバン隊の人間がいなくなったのちにも荷馬車を放さずエテロワ市に入った。それは、危険を顧みず、抱えた魔導書を、本を護り切ったということだ。いまの僕自身の力量で手に負えるかどうかは関係ない。無謀だろうが何だろうが、そんな尊敬に値する人物を、見るからに悪い状況に置いたまま逃げ出せるような人生を、僕は死ぬまで歩んで来はしなかった。

 組合長に魔法が使えない証明をした手前、こんな公共の場で本に文字を浮かべて意思表示をすることはできない。何でもいい、あの子を助けたいから、この場で一番効く言葉の発音だけ教えろ。脳内で女神に指示し、立ち上がる。そして、会館前へ走り、少女を連行する男二人の前に立ちふさがった。僕の転生した先の肉体はおよそ中学生程度の少年で、本来であれば互角か、こちらが少し高いくらいだった目線は、完全に大きく見下ろされる形になる。全力で凄んでみるが、体格とまだ幼い顔立ちのためにまるで迫力が出ていない。

 男たちが邪魔をするなというばかりの威圧で僕を睨む横で、少女は屈んで、いま少しだけ彼女より身長の低い僕に目線を合わせ、穏やかな調子で口を開く。

『あぁ、きみか。無事でよかった。助けてくれたんだろう、路地ではありがとうね。でも、あんまり無謀なことをしてはダメだよ。危ないことになるといけないから、さぁ、早く離れて』

 女神の翻訳によって彼女の言葉が耳に入る。いまの僕より一つ二つほど年上に見える彼女。その頬に乾いた涙と、殴られたような傷跡を見て取って、いよいよ僕は熱のような感情と共に決意を固めた。やれ。脳内で指示すると、女神はある文章を繰り返して言う。全力で力を籠め、言霊でもって圧倒する勢いで大きく反芻する。

「女神エテロワって、超やばマジエロ可愛くてガチ恋不可避だと思いませんか」

 眼前の少女の表情も、警備兵の表情も、周りの人々の表情も、同時に凍り付いた。僕も一瞬遅れて固まる。言わされた言葉の方向性を悟らない方が無理だ。

『何でもいいって言われたんで、一番効く、この都市の全ての人々が共感するような台詞にしましたが、反応がおかしいですね、ちょっとこれ不敬ですか?』

 終わった。およそ全てが終わった。転生してまだ若い僕の、社会的な何かが、この大通り、大衆大注目の中で、全て終わった。叫びを上げる、と同時に、この世界に来てからたまりにたまっていた僕のストレスメーターが爆散し、良心と倫理観が煽りを受けて吹き消えた。もはや何物をも殺すというような勢いで冒険者会館に乗り込んだ僕は、半分くらい中指を立てながら、僕のレシートを冒険者登録受付の男性に思いっ切りぶん投げて突っかかった。

「僕をこの街の冒険者として認めろ、『はい』以外許さんぞお前」

 幸運にも、魔力と冒険者組合加入の関係性は慣習的な形であり、法律に詳しく定義されてはいなかった。僕は文庫本サイズの女神をこれ以上ないくらいの怒りの腕力で握りしめ、人間性を置き去りにして早回りする脳と口に自らの全てをかける勢いで対話を続け、魔力適性のない僕が良く生きて行く他の道を提示しようとする心ある職員たちを軒並みこてんぱんに言い負かして、冒険者としての身分を得た。当たり前だ。こんな中世晩期ヨーロッパ程度の書類仕事で生きてきたに違いない未開の人間風情が、日夜学会で舌戦を繰り広げた現代人様の僕に勝てるわけがないのだ。はっは、ざまあみたことか、部屋に籠って写字でもやってろ。

『まぁ、西町さんがそんなに冒険者になりたかっただなんて。感激です。私、あなたのことを誤解していたかもしれません。女神ガッカリポイントが1つ減りました』

「黙って……頼むから、黙って……」

 時間が経ち、目新しく印字された、最下級、緑青色の冒険者カードを見ながら、僕はひどい顔色で静かに後悔していた。実のところ、あの大立ち回りを組合長やほかの冒険者たちに見られていたために、いまさら考え直させてくださいとはいえない。その上、せっかく冒険者になったのに、情報収集をするにも、誰も僕に近付いてくる様子はないし、僕から話しかける気力もない。僕を噂する何人かのひそひそ声ばかりが耳につく。最悪だ。想定される限りほとんど最悪な結果だ。

「きみは、また無茶をしたんだね。一人じゃ危ないから、わたしとパーティーを組もうよ。わたしは身分のせいもあって、仲間がいないんだ。良ければ、どうかな?」

「はい……。すみません……お手間おかけします……」

「うん、もう大丈夫だから、そんなに泣かないで。ええと、拭くものは――」

 もはやこれまでという気持ちで半泣きになっていた僕に声をかけてくれたのは、あの少女だった。会館に入ったところで縄を解かれた、僕より五センチ近く背が高い彼女は、ぽんと頭の上に手を置いて、言葉をかけてくれた。いい加減慣れてきた女神の翻訳によれば、彼女を助けるつもりが助けられる形になってしまったようだ。賑やかな冒険者組合会館の端に置かれたテーブル。この世界に来て初めて得た真っ当な仲間の手の暖かさと、自身の情けなさに、僕はしばらく滂沱の涙を流すしかなかった。

 



 


 

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