第2話 都市に入れないんですが!?

 ランガナタンが言う通りにかは分からないが、本には、それを手に取るべき相応しい人がいると思う。それが、代えの利かない稀購本であるなら尚更だ。

 死んだ実感はまだない。しかし、僕の蔵書を含めた人類の遺産とも言うべき本たちがあのトンチキ女神によって別世界にばらまかれてしまったのなら、それは直ぐに回収しなければならない。

 本は人より脆い。時に一日野晒しにされただけでも死ぬのだ。

『トンチキって何ですかトンチキって!』

 耳元がやかましい。あの青髪の女神はついてきていた。いつの間にか持っていた肩掛けのカバンに収まって、文庫サイズの本の姿になっている。

『魔法を使うのには、基本的に魔導書が必要です。この世界では誰しもが持っているものなので、不審がられないように私が化けてついてきてあげたというのに』

 不満げな声を無視しながら足を進める。カルデラ湖の脇に沿った幅の広い馬車道をしばらく歩いていると、やがて巨大な石造りの壁面が見える。あの中に街があるんだろうということは何となく分かった。凛とした様子の門前には、衛兵とおぼしき人影が二人分見える。

『大陸東端の都市、エテロワ市です。大陸西の海上に浮かぶ島が魔王の根拠地なので、この世界で最も安全な都市の一つだと言えますね』

「僕は普通に入れると思っていいのか」

『確か、入市には他市で発行された市民票が必要なはずです』

「僕のは?」

『いやだなあ。異世界から転生してきたのに市民票なんてあるわけあたたたた』

 やかましい本を小突いてみるが、どうもこの女神は文庫本サイズ以下には変身できないし、市民票とやらを用立てることもできないらしい。

『こ、コミュ力の出番です。西町さん。勇者となるなら仲間たちとのコミュニケーション能力は必須! 衛兵たちを何とか説き伏せて、見事入市を果たして見せなさい!』

「……チッ」

『あー! 聞こえた聞こえた!! 舌打ちした舌打ーー』

「やかましい」

 一体何の役に立つのかいよいよもって分からなくなってきた女神をカバンにぶちこんで足を進めること数分。

 市壁に備え付けられた荘厳な木製の門の前に辿り着く。衛兵と思われる二人の巨躯の男たちは、僕の姿を認めると、手に持った槍でクロスするように門を塞いで言った。

「◯▲□◯□□△?」

「……はい?」

 意味が、分からなかった。

『いやだなあ。異世界から転生してきたのに言葉なんて通じるわけあたたたた』

「おいそこは普通何とかするよなぁお前おおん?」

『都市で魔法適性検査を受けるまでは魔導書を通じて先天的に授かっている魔法しか使えないので、通訳系の魔法とかはいまはまだちょっとムリです。欲張りさんめ、はじめから高望みしないでください』

「なら何でやれって言った!!」

 結局、どうにもならなかった。僕は必死のボディーランゲージの末、自分は無害ですということだけどうにかこうにか伝え、市壁から距離を取った。

『よし、野性動物を狩りましょう』

「次にいきなりトンチキなこと言い出したら千切ろうかなと思ってたから千切るね」

『ちょ、ちょっと待ってください! 鮮度が重要な食料品の運送にはいちいち市民票を確認しないことになっています! これで行きましょう!』

「市壁のセキュリティーが雑過ぎない?」

『ええー。こういうおおらかなところが良いんじゃないですか。それ、未来の英雄! 栄光の第一歩とも言うべき初討伐任務の時間じゃああい!!』

 急なハイテンションにそこそこ腹が立つが仕方ない。カルデラ湖畔を歩いていると、遠くて野犬かハイエナか分からないが、ともかく四足獣の姿が複数見える。どれも群れで活動しているようで、生身の人間が戦いを挑めば間違いなく餌にされそうだ。

「で、いまの僕はどれくらい強いんだ。転生してきたんだから魔力なんてあるわけ、とか抜かしたら、そこの湖に投げる」

『バッチリ最強です! とは言えません……転生させる時点でほとんど女神パワーを使い果たしちゃったので。でも、下の上くらいには強力な先天魔法を使えるようにしてありますし、魔法適性も普通の人の何と六割くらいの範囲はありますね!』

「よくそれで魔王倒してこいとか言えたなお前!」

『あまり怒らないで! 誉められた方が良く伸びる子なので!』

「じゃあ縮んでろ!!」

 どうやら、僕はこの世界では落ちこぼれの枠に収まる人間になってしまったらしい。それはそれで新鮮な感があるが、こと目先の目的に関して言えば望ましいことではない。非がこのふざけた女神にあるのなら尚更だ。

『西町さん。あっち、何かおかしいです』

 また何か言っている。無視しようかと思ったが、それはできなかった。遥か遠くに小高く盛り上がったカルデラ湖畔から、四足獣の群れが散り散りに逃げ去っていく。

 とても尋常の様子ではない。しばらく眺めていた僕の目が見開かれる。彼方、日の差す丘の上に小さな荷馬車を引く黒いフードを被った少女らしき人影。そしてそれに追走する、八本足の禍々しい蜘蛛のような怪物。人影は疲労のためにか、徐々に速度を落としている。捕まるまで間はなさそうに見える。

『ぎゃああ! 魔獣です、普通の野性動物とは強さが桁違い! 逃げましょう、いまなら市内に匿ってもらえるはず!!』

「しかし、人が……」

『あれは市間を通商する魔導書売りのキャラバンです。道中であの魔獣の襲撃に遭って、もう一人しか残ってないみたいですが、いまは見捨てるしかありません……』

「おい女神。とびっきり強力な魔導書に化けることはできるか?」

『できますけど、まさか助ける気ですか! 馬鹿も大概にしてください、いまのあなたはびっくりするくらいとんでもない雑魚です!』

「雑魚とか言うな! 本を護ろうとしている奴を放っておけるわけないだろ!」

 叫び、立ち止まる。遠く離れた市門の衛兵を呼んでいては間に合わない。

 距離にして二◯◯メートルと少し。足元の大きめの石を投擲すること三回目で、ようやく禍々しい蜘蛛に命中し、怪物が標的を変えて左九◯度転身、こちらへ向かってくる。

『ああもう! どうなっても知りませんからね!』

 僕のそれなりに駆け出し勇者かくあるべしという振る舞いに、女神はちょっと嬉しそうに声が上ずる。勘違いするなよ、と口に出そうとしたところで、僕はこの世界に来てはじめて好意的な意味合いで驚いた。

 とびっきり強力な魔導書と注文をつけられた女神が姿を変えたのは、冊子コデックスではなく巻物スクロールだった。

 年季で魔導書の質が決まり、この世界の著作物の形態変化が元の世界と同じなら、なるほどこれはとびっきり強力であるはずだ。

『魔法の使い方を教えます。魔導書の題号とランダムな一文を続けて読み、最後に発動したい魔法の名を唱えます。あなたは文字が読めないので、私の言葉を復唱してください』

 猛然と迫る禍々しい蜘蛛の怪物。

 巻物の姿となった女神は、それまでとは違った凛とした声で口を開く。


『魔法典拠『都市エテロワ奉献祭文ほうけんさいもんケーニッジ写本』』

「魔法典拠『都市エテロワ奉献祭文 ケーニッジ写本』」


『ーー高貴で美麗で英明なる女神エテロワにこの都市を奉献できることこそ、我ら永年の悲願であった。あ、ちなみにエテロワってのは二千年くらい前の私の変名です、可愛くないですか?』

「高貴? で、美麗(失笑)で、チッ、英明なる? ハァ 女神エテロワにこの都市を奉献できることこそ、クソ、我ら永年の悲願であった」

『あんまり文章を変えると発動できなくなっちゃうからやめて!! あとはじめから思ってましたがあなた私の扱い雑すぎませんか! 元に戻ればあんなに美人なのに!!』

 迫る怪物。距離一◯◯メートル。そもそも僕の蔵書を異世界にばらまいた時点で、どんな見てくれをしていようが、はじめからお前の好感度なんて地の底に決まってることを理解いただきたい。

 早くしろと抗議の目を送ると、羽衣にも似てふわっと空に舞い上がった巻物女神は、最後の魔法名を口にした。

『風属性魔法『月鳴王大覇刃げつめいおうだいはじん』!』

「風属性魔法『月鳴王大覇刃』!」

 腕を伸ばす。

 僕の足元を中心に、正面六◯度の範囲に収まるカルデラの岩場、草原のすべてを覆うように、青く輝く魔法陣が浮かび上がる。

 範囲にすれば数十キロ平方。とんでもない規模だ。風属性とか言ったから、この射線にも似た領域全体を竜巻や暴風が襲うということだろうか。荷車の人影が領域外にあるのを確認して、息を落ち着ける。

 光を浴びて僕の周囲を舞う巻物は、神々しく荘厳な空気すら感じさせる。

 なるほど女神が化けただけのことはあると感心した僕の耳に、消え入りそうな声が響く。

『あの、怒らないで聞いて欲しいんですけど……』

 噎せた。

 魔法陣が風に浚われて消えていく。

『良く考えたら私魔力枯渇してるんで、頑張っても一時的な術式陣を表出するくらいが精一杯なんでって、あ、西町さーーん!!』

 巻物女神の愉快な叫び声を聞きながら、僕の身体は蜘蛛のタックルによって弾き飛ばされ、草原を転がっていた。ずしんと腹に響く痛みとめまい。あぁ、これはいつか、二日酔いが祟って研究棟の階段を踏み外し、踊り場に顔面から激突したとき以来だ。頭がくらくらして、視界が定まらない。

『えー、二日酔いで階段から落ちるとかしょうもなー! 女神ガッカリポイントプラス1ですよ。ちなみにほかには、いままでのあなたの振る舞いから、女神ションボリポイントが5ポイント蓄積しています』

 こんなクソみたいなときに人の心を読んだ挙げ句中傷してくるんじゃない。

 ともかく、どうやらいま僕は魔法が使えないらしい。体長五メートルほどの禍々しい蜘蛛は、僕に一発入れて様子を伺っている。逃げようとすれば、直ぐに追い付かれるだろう。市壁は遠い。助けは呼べそうにない。どうする。どうすればいい。

 倒れたまま思考する僕の横に、何かが飛んできた。

 それは、上部に白い布が貼り付けられた木の棒だった。何だ。痛む身体をおし、立ち上がって確かめると、遥か彼方を走る荷車の少女がこちらに向かって叫んでいる。距離に関係なく、言葉は聞き取れない。その様子を悟ったのか、少女は腕を高くあげて激しく動かしてみせた。

 ーー振れって、ことか?

 僕はにわかに木の棒を掴むと、白い布がはためくように振ってみる。

 すると、いままでの沈黙を守っていた蜘蛛が口腔から鋭い一本の糸を飛ばし、僕の持っていた道具を掴み取って、身体を反転、いそいそと帰っていった。

「……えっと、何これ?」

『あー、これで魔王軍六◯◯万本目の『白旗』回収です。人類側は未だ四◯◯万本。二倍の差をつけられた時点で世界は魔王のものに!!』

「そんなフラッグ戦みたいなやり方で世界の覇権を争ってたの!!」

『うるさいです負け犬! ともかく、都市エテロワに入る! 仲間を集める! 旅に出る! 道中で魔導書を集める! 魔王を倒す! そーれ行ってみよーー!!』

「えぇ……ちょっともう一回死にたいんだけど……」

 結局、冊子体に戻した女神を一ページ千切って手近な木の棒に貼り付け、悲しげな顔でふるふると振ることで衛兵の慈悲を買うことに成功した僕は、魔物に追われた移民として見事に入市を果たした。

 ちなみにゴキブリを遥かに超越するしぶとさがあるのか、千切ったページは数秒後には生えてきた。寒いときには火にくべてみよう。言葉の通じない移民用の診療所で腹の怪我の治療を受けながら、僕は一人そう考えたのだった。

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