知恵の実

 ある日曜日の夜。ここは男のアパート。決して広い部屋とは言えないが、アパートとはそんなものである。彼は社会人二年目。ベッドに横になる男の隣には彼女。女はいたずらっぽく男に話しかけた。

「ねえ、面白いもの貰ったんだけど、興味ないかしら」

「なんだい」

 女は起き上がり、小さな鞄の中から取り出したのは、果物だった。不思議なのは、それが何の果物かわからなかったことだ。リンゴのようであり、ミカンのようであり、ブドウのようでもあった。

「どこの食べ物だい、それは」

「言っても信じてくれないわ」

「信じるさ。言ってごらんよ」

「天国の食べ物よ」

 男は目を丸くし、首を傾げた。

「君が冗談を言うなんて珍しい。それにしても、よくわからない冗談だな」

「冗談じゃないわ。本当に天国の果物なのよ」

「じゃあ、一体誰からその果物をもらったんだい。まさか天使からなんて言わないよな」

「蛇よ」

「蛇だって」

「ええ。昨日の夜、夢に見たの。蛇が出てきてね、私を追っかけるのよ。ずっと逃げ続けていたんだけれど、走るのに疲れて捕まっちゃったの。そしたらね、蛇は私を襲うことなく、ただこう言ったの。お前の鞄の中に、天国で育つ知恵の実を入れといたから、起きたら食えって。目が覚めて鞄の中を確認したら、本当に入っていたの」

「そんな話、信じられるか」

「信じてくれなくてもいいわ。とにかく、食べましょうよ」

 女は台所でその果物を食べやすい大きさに切り、皿にのせて持ってきた。その身はうっすらと光るように綺麗な黄色をしていた。

「さあ、食べましょう」

「食べるよ。でも、本当にこの世のものとは思えないな」

 女は「天国のものよ」とはにかみながら、男の口に果物を運んだ。男は少し咀嚼してすぐ飲み込んだ。すると、あまりのおいしさにたちまち笑顔を浮かべた。

「こりゃうまい。君も早く食べなよ」

 女も食べた。すると、女もたちまちそのおいしさに表情を緩ませた。

 二人はすぐに果物を平らげてしまった。しばらくは、こんなにおいしいものを食べたことがないと、他愛ない話を続けていたが、やがて二人は体の変化、いや、心の変化と言った方が適切かもしれない、それに気づいた。知恵を授かったのだ。それは、善悪の区別を知る知恵だった。二人は自分自身が孤立した存在であることを想起した。アダムとイブが初めて知恵の実を食べて以来、ゆっくりと忘れられていった感覚が、再び人にはっきりと降りかかった瞬間だった。その後、二人は自分たちが裸であることを知り、恥じた。人はいまだ、愛によって結ばれることはないのだった。

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