エピローグ

第32話 君とずっと



 バーベキューイベントから数日が経ったとある登校日のこと。

 昼休みになり、俺は昼飯を食べるために中庭に向かった。

 が、今日はやけに混んでいて残念ながら座れそうになかった。

 なので仕方なく別の場所へと向かう。

 行く先々なぜか今日に限って人が多くて落ち着けなかった。なので最終手段である屋上へと向かう。

 屋上といっても、漫画のように解放されているわけではない。なので屋上というよりは屋上前の階段が正しい。

 こんな場所にわざわざ来るのは相当なぼっち野郎くらいだろう。

 俺もここを見つけるのには苦労させられたことを思い出す。


「さすがは人気ワーストスポット。こんな場所には人は来ないな」


 最近は来ることなかったけど、静かで落ち着く場所ではある。

 お気に入りは中庭だった。あそこは若干騒がしいが景色がいい。それにあの騒がしさも校内にいるという実感が湧いて悪くなかった。あの騒がしさに慣れるとここはちょっと静かすぎる。

 けど、まあそれもいい。


「……こんなところ、よく見つけたね」


 呆れたような口調で言いながら、笹倉がやって来た。

 俺は座っていた位置から少しズレて笹倉が座る場所を作る。彼女が座る場所だと言わんばかりに、ハンカチを敷いてやる。


「や、いいよそんな。気にしないで?」


「……こっちのセリフだけど」


 人の好意は素直に受け取ってほしいもんだ。でないと段々とやさぐれてしまう。夜の中の捻くれものは元は優しかったのだ。その優しさを無下にされ、徐々に気遣うことに疲れてしまい、捻くれる。


「そっか、ありがとね。優くんはこんなこともできるんだね」


「褒めてんのか、それ」


「べた褒めだよ?」


 にこりと笑いながら、笹倉は俺の隣に腰掛ける。彼女が横に来た瞬間にふわりといいにおいが鼻孔をくすぐった。なんで女の子ってこんなにいいにおいがするの? 常時風呂上がりみたいなにおいだ。


「ま、漫画で見たことあったんだ」


「そうなんだ。その漫画はグッジョブだね、おかげでわたしは優くんのカッコいいところをまた一つ見つけてしまったよ」


「はは、そりゃどうも」


 未だに名前呼びは照れくさい。

 呼ばれるたびに背中の辺りがゾワッとするし、体が強ばる。やっぱりやめてと提案したけど却下されてしまった。

 彼女曰く『正式に彼女になったんだから、いいでしょ?』だそうだ。

 彼女、というワードは今でもくすぐったい。

 バーベキューのあの日、俺は自分の中で答えを出した。そして、その思いを笹倉に伝えた。

 もともと笹倉は俺のことを好きでいてくれたので、答えなど聞くまでもなかったのだけれど、あの日から俺と笹倉は恋人関係になった。


「じゃーん。今日は宣言どおりお弁当を作ってきました」


 言いながら、笹倉はお弁当箱を広げる。一人分にしては少し大きなお弁当箱で、これを二人で食べましょうということなのだろう。

 昨日の夜に電話で昼ご飯を作って行くねと言っていたので、俺は恒例のおにぎりはない。笹倉の料理を楽しみにしていた。

 前情報では料理が得意ということで、それはバーベキューのときに証明されたようなもの。

 彼女の手料理を食べる、それは男子の憧れるシチュエーションではなかろうか。


「前に約束したもんね。いつか手料理披露するって」


「そうだったっけな」


 笹倉が弁当を広げる。

 おにぎりに加え、色とりどりのおかずが詰められていた。


「これ全部笹倉が作ったのか?」


「…………」


 俺が聞くと、笹倉はまるで聞こえてませんとでも言いたげにそっぽを向く。あからさまにシカトきめやがった。


「あの、笹倉?」


「つーん……聞こえません」


「な、なに……」


「二人きりのときのわたしは笹倉ちゃんじゃないんですけど?」


 言って、笹倉は片目だけを開いてちらりとこちらの様子を伺う。

 ああ、そうか。

 そういうことか。


「これは全部……木乃香が作ったのか?」


「うんっ、そうだよ!」


 満面の笑みを浮かべて笹倉は答える。

 彼女が俺のことを名前で呼ぶようになったときに『わたしが名前で呼ぶんだから、優くんも名前で呼んでくれるよね?』と言ってきた。

 そもそも名前呼びをやめてくれと言っているのに無理やり呼んできておいて、それはどうなんだと思ったがそれは言わずにシンプルに断った。

 すると『じゃあ二人のときは名前で呼んで? おねがいっ』と言われこちらが折れた。可愛すぎたから。


「それじゃあ食べよっか」


「いただきます」


「めしあがれ」


 たまご焼きにウインナーといったお弁当の定番に加え、唐揚げやハンバーグのような男の好きな肉料理、そして健康と彩りを考えて野菜。バラエティに富んだお弁当はまるでピクニックにでも持っていく特別なもののようだ。とてもじゃないけど学校のお昼に食うものとは思えない。


「今日は特別。初めて優くんに披露するからはりきっちゃったんだ」


 俺の思考を読んだのか、笹倉がそんなことを言う。口にはしてないけど、俺ってそんなに顔に出やすいのか?


「うまい」


 たまご焼きを一口。

 たまご焼きは簡単な料理に思われがちだが、簡単だからこそ難しい。奥が深いのだ。家庭によって味が変わると言われており、手料理の腕を知るにはもってこいなのだ。

 そして文句なし、一〇〇点満点である。


「よかったぁ、どんどん食べてね」


 緊張の糸が切れたのか、ほっとした表情で笹倉は言う。そんな緊張する場面じゃなかったろ。


「これで景色が良ければね?」


「すいませんね、こんな場所で」


「教室で食べればいいのに」


「いや教室はダメだろ。周りの目がある」


「気にしなくていいと思うけどなあ。特に今は」


 笹倉は残念そうに呟く。

 それでも嫌なものは嫌なのだ。とはいえ、以前とは少し気持ちが違うのは確かだけれど。

 あのバーベキューでの一件の後、俺が体を張って笹倉を守ったことはクラスメイトに知れ渡っていた。その発端は須藤だったことを後に知ったが。

 となれば奴らは騒ぐ。筒井は笹倉のことが好きなのか、と。翌日なんてもうそれは弄られまくった。

 俺の困った顔を見た笹倉がしびれを切らして『好きなのはわたしの方だよ!』と公開告白。

 その時既に告白を終えて恋人関係にあった俺達だけど、返事をしろという野次があまりにもうるさくて、返事をした。その返事を最初に催促してきたのも須藤だった。恨まれてんのか? と真面目に思った。

 それを言うと、須藤は『いや別に。俺は彼女が幸せならそれでいいんだ。だから、もし泣かせるようなことがあったら、許さないぞ』と最後までカッコいいイケメン野郎だった。

 なので、今では殺意の目を向けられることはなくなった(たまに感じるときはある)けど、今は冷やかしが凄い。笹倉がそれを悪く思ってないのがたち悪い。


「あんまり人前でいちゃいちゃしたくないんだよ」


 俺が言うと、笹倉は驚いたような顔をして弁当箱の場所をズラした。そしてハンカチを俺の真横に移したかと思えば、俺がリアクションを取る間もなく俺に密着するように座り直した。


「それはつまり、二人きりならいちゃいちゃしたいということですか?」


「密着してから言われても……それにこれじゃ飯が食えねえ」


「心配しないで。わたしが食べさせてあげるから」


 うきうきした様子で笹倉はお箸を持つ。いくら二人きりでも恥ずかしいわ。


「それはさすがに」


「はい、あーん」


「いやだから」


「あーん」


 パクついた。

 俺ってやつは、押しに弱すぎるぜ。こんな感じで尻に敷かれる人生を送るんだろうな。

 ……それも悪くないか。

 もぐもぐと咀嚼を続ける俺がどんな顔をしていたのかは分からないけど、気になったらしい笹倉は首を傾げた。


「どしたの?」


「え、なにが?」


「んーん、なんかすごい考え込んだ顔をしてたから」


「そんな顔してた?」


 こくりと笹倉は頷く。

 この幸せな時間を噛み締めていたのだ。こんな現実が存在していいのか、続いていいのか、と。もしかしたら今までの全部が夢で目を覚ますと、告白とか全部がなかったことになるんじゃないかと不安になることがある。

 不意に、そんなことを考えてしまうのだ。


「いや、まさかこんな可愛い女の子と二人でご飯食べれるなんて夢にも思ってなかったから。しかもそれが俺の彼女だなんてさ。夢なんじゃないかってたまに思うんだ」


「夢じゃないよ」


 俺の言葉に被せるように笹倉は短く言う。突然言うものだから俺は驚きの表情を笹倉に向ける。


「夢じゃない」


「笹倉……」


「だって、わたしも毎日思ってるもん。でも朝起きて、優くんとのメッセージを見返して、ホッとして、嬉しくなるの。この感情は全部現実なんだって安心する」


「そ、そうか」


 こいつ、たまにめちゃくちゃ恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言うから聞いてるこっちが照れてしまう。


「でも、優くんも同じこと思ってくれてたんだね」


「いや、まあ……」


「振られたあのとき、諦めなくてよかったなぁ」


 あのときのことを話題に堕されると俺は言葉を失う。今となっては、いや以前もだが悪いことをしていたと自覚しているから。

 だから俺は、これから出来る限りのものを笹倉に返してあげたいと思っている。

 彼女を、幸せにしたいと思っている。


「ありがとな」


「えっ?」


 突然お礼を言われた笹倉は驚く。そりゃそうだよな、俺だって驚くよ。でも、こんなときじゃないと言わないと思う。

 というか、言えない。


「あのとき、諦めないでくれて。こんな俺を好きでいてくれて」


 俺がそう言うと、笹倉はかぶりを振る。


「ううん、だって諦めきれなかったもん。家に帰って考えた、でもやっぱり好きだったから。だからね、わたしの方こそ、好きになってくれてありがとね。優くん」


 昼休みの、屋上前の廊下で何やってんだって話だ。けれど、そんな場所でさえイチャつけてしまうのだ。

 恋人というものは。

 この子を信じて、本当に良かった。

 おかげで、俺のこの夢のような時間はまだまだ終わりそうもない。





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