第29話 ピンチ




 俺は森の中をただ走る。

 宛てもなく走り回る森はまるでどこまでも続く砂漠のようだった。少し戻ればバーベキュー場があるというのに、もうあの場所には戻れないような気持ちになる。

 それでも、俺はただひたすらに走った。


「こんな、ことなら、もうちょい体力を、つけておく、んだった……」


 自分のスタミナのなさを後悔する。

 羽島愛奈が俺と須藤のもとに来て言ったのは、笹倉が戻ってこないという事実だった。

 どうやら掃除を終えてゴミ袋をゴミ置き場へ持っていったらしい。そこまで遠くはなく、迷うはずもない。往復しても数分程度の道だというのに、笹倉はまだ一〇分経っても戻ってこなかったようだ。

 トイレじゃないのか、という俺の安直かつデリカシーのない発言に対しても、既に確認していたらしく即答してきた。

 何かあったのではないか、と心配するあまりテンパっていたらしい。

 ということで、俺と須藤がそれぞれ探しに行くことになった。

 あまり大事にしたくはないということで、とりあえず先生への報告はしていない。


「そういや、電話にも出ないんだっけか」


 羽島が何度かかけたらしいが応答はなかったようだ。とはいえ、今ならば出る可能性もあるので俺は一度笹倉へ電話をかける。

 が、やはり応答はない。


「はぁ、はァ……はッ」


 スタミナの限界を越え、俺は足を止めて膝に手をつき呼吸を整える。相当無理をしていたようで、呼吸が酷く荒れていた。

 しばらくの間呼吸を整えていると、どこからか声が聞こえたような気がした。

 どこから聞こえたのかも、誰のものかも分からない。気のせいとも思える微かな声だったが、俺は耳を澄ましてその声を待つ。

 すると、もう一度聞こえる。

 遠くはないのだと思う。

 俺は曖昧ながらもさっきの声を頼りに進み始めた。

 闇雲に探してもまたスタミナ切れで立ち止まるだけだし、何かを頼りに進むことは悪いことではないだろう。そう、決してしんどいとかそんなんじゃない。ただ、日頃からもう少し運動はしようと強く思った。


「あ」


 そして、少し歩いた先で俺は三つの人影を見つけた。

 一つは緑色のジャージを着た金髪の男。あそこまでチャラチャラした奴があんなイモいジャージ着ることはないだろうから、恐らくあれは学校指定ジャージ。

 つまり、他校の生徒である可能性が高い。

 もう一つは黒髪のほぼ坊主のような頭の男。青春を送る学生にも関わらずあそこまで髪の毛をなくすのは野球部くらいだ。


「あの、もうやめてくださいっ」


 そして、その二人に言い寄られるように囲まれているのは見覚えのある顔。

 そう。

 笹倉木乃香だった。


「……」


 遠目から見ても分かるが、明らかに笹倉が嫌がっている。あらゆることを笑顔で受け入れる笹倉が嫌悪感を全開に出している。

 そりゃそうか。

 あいつもただの女の子なんだもんな。

 天使でも聖人でもない、俺達と変わらない人間だ。それを勝手に美化して、彼女にその仮面を押し付けているのは周りの人達だ。


「なあいいだろ」


「連絡先教えてよ。今度一緒に遊ぼう?」


 平たく言うとナンパか。

 学校行事で来ていてよく他校の生徒に迷惑かけれるな。バレれば問題になることは明らかなのに。

 バレないとでも思っているのか。


「どうするか」


 笹倉の顔が今にも泣き出しそうなくらいに恐怖と不安に満ちていた。こんなことを言っていい立場なのかは分からんが、俺はあいつのあんな顔は見たくなかった。

 笹倉には笑っていてほしい。

 助けには行く。ただ行ったところで二人と喧嘩なんてことになれば秒で負けるオチが予想できる。

 ここは須藤にでも連絡するか。


「……」


 須藤の連絡先知らねえわ。

 どうして同じ班になったタイミングで聞かなかった俺。いや、俺にそんなスキルがないことを見越してなぜ聞いてこなかった須藤。


「しゃあないか」


 一言吐いてから覚悟を決める。

 そして俺は物陰からわざわざ音を出して登場した。その故意的な音の発生に三人が気づかないはずもなく、一斉にこちらを見てきた。


「筒井くん……」


 俺の顔を見た瞬間に、笹倉の表情が晴れる。ごめん、そこまで期待しないでほしい。ぶっちゃけノープランで出てきたので、漫画のヒーローのような劇的救出は出来そうにない。


「あ?」


「なにお前」


 出てきた俺に明らかな敵意の視線を向けてくる。睨みたいのはこっちなんだけど。そんな度胸ないけども。


「その子嫌がってるじゃないか。止めたらどうだ?」


 テンプレセリフを読むように言う。だって他に言うことあるか? この状況で。

 ここで引いてくれれば万々歳だ。

 こいつらは誰にもバレないという気持ちで割としつこめにアプローチをしていたのだろう。

 だから目撃者が現れた以上、この場から去るという可能性は十分にある。

 頼むぞ!


「はァ?」


「何様ですか?」


 ダメかー。

 さっきの可能性はどちらかというと低い可能性。あり得たのはこのパターンだ。

 お前は多くのことを知りすぎたってやつ。

 つまり、俺が絡まれるということだ。


「いや、だから言ってんだろ。その子が嫌がってるって。見てて分かんないの? なにお前ら、空気も読めないの?」


 言いながら覚悟を決める。

 さっき決めた出ていく覚悟ではない。

 こいつらに殴られる覚悟だ。

 これだけ言えばヘイトがこちらに向く。つまり二人の意識が笹倉から俺に切り替わる。

 そうすれば笹倉は逃げられるだろう。

 俺と笹倉が無事にここから逃げるという選択肢はもうない。無理だ。だからせめて笹倉だけでも逃がす方向にシフトしよう。

 痛いのは嫌だからできれば避けたかったけど仕方ない。

 これはきっと罰だ。


「お前なに言ってんの?」


「女の子の前だからイキってんじゃね? やっちまう?」


 分かりやすい奴らだ。

 すごくいい感じに予定通りだ。あわよくば俺が殴られずに笹倉と二人で逃げれるルートに行かないかなと願ってみたが、ダメだった。


「……」


 これ以上煽るとこっちも悪いみたいになるよな。理想的な構図はあくまでもこちらは悪くないというものだ。

 全力で被害者面するためにも、この辺が引き時だろう。


「いや、暴力はよくないよ。ここはおとなしく引いてくれればこちらも大きな問題にはしない」


「なにそれ脅しのつもり?」


「そんなことしなくても、しっかり口封じするから心配ないよ。お前は気絶しないかの心配だけしとけ!」


 言って、坊主男が俺に拳を振るう。

 俺は避けることもできずに思いっきり吹っ飛ばされる。まじで見えなかった。素人でこれとか、プロボクサーのパンチとか殺人起こるレベルじゃねえのか。


「筒井くんっ!」


 違うんだ笹倉。

 逃げてくれ。

 このままだとただ俺がボコボコにされてお前は男二人に乱暴されるという最悪のルートに向かってしまう。

 殴られ損じゃねえか。

 ただ、逃げろと言ってないのでそりゃ逃げないよな。助けにきた人ほっといて逃げるとか普通しないよな。ましてや笹倉はしそうにない。


「立てよ、一発で終わりじゃないだろ?」


「あんだけカッコつけてたんだから、一発くらい殴り返してみたら? このままだと女の子の前で無様な姿晒しただけになっちゃうよ?」


 痛くて立てないんだよ。

 喧嘩なんて小学生のときでさえしていなかったのでほぼ暴力を振るわれるという経験がない。

 高校生にもなればそれなりに筋力もつくだろうからダメージも相当だ。

 しかし痛い。どんだけ本気で殴ったんだよ手加減って言葉知らねえのか。


「い、いやあ暴力振るうしか脳のない人達と一緒にされるのはごめんなので」


 一発殴られた。

 これから何をしてもその事実が守ってくれる。

 俺がここで倒れれば再び意識が笹倉に向く。それはまじで殴られ損だ。

 何とかして意識をこっちに向けさせ続けるんだ。


「んだとテメェ」


「痛い目見ないと自分の立場理解できねえ猿のようだな」


 痛い目はもう見てますけどね。

 鬼の形相の二人に、俺は小さく笑い返すことしかできなかった。

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