第6話 ここから



 笹倉木乃香について俺が知っていることと言えば、可愛いということだけだ。

 当然だ。

 話したことなどないし、噂を聞くほど誰かと関わることもないのだから、情報を仕入れる手段がないのだ。

 しかし、そんな俺でも可愛いということは分かるし、そういう話くらいは耳に挟むことがある。

 芸能人顔負けのその容姿は多くの男子生徒の視線を奪う。

 可愛い女子は同性から嫌われることがままあるが、そういうこともない。と思う。

 もしも。

 そんな彼女と一緒にいるところを目撃されれば、最初はたまたまだろうと思われるだろうけど、徐々に疑われ始める。

 そうなると、必然的に注目を浴びることに繋がる。

 目立ちたくない俺的にはそれは何とか避けたいのだ。

 笹倉木乃香と付き合うよりというメリットよりも、皆から注目され非難されるというデメリットの方が致命的だ。

 やはり、俺は彼女とは一緒になれない。


「ねえ筒井くん」


「……」


 人のいない校舎裏。

 グラウンドで部活に励む生徒の元気な声が遠くから聞こえてくるが、それ以外に物音はない。

 俺と、笹倉の二人だけの空間だった。


「理由もないのに人を好きになることはないんだよね」


「ああ」


 もしかすると、そういうこともあるのだと思う。

 そんなの分かっている。

 どこかで誰かが、理由もなく惹かれ合い付き合おうと何とも思わない。

 でも、そこに俺がいるのであれば納得がいくだけの理由を求めてしまうのだ。

 理由なき好意など有りはしないから。

 俺は同じ失敗を繰り返したくない。


「じゃあ、言うね」


「あんのかよ……」


「そこまで求めるから、考えようかと思って」


 言ってから、笹倉は少し考える。

 言っていることが矛盾するが、考えなければ出てこない好きなところというのもどうなんだろうな。


「優しいところが好き」


「俺は別に優しくないよ」


「んーん、そんなことないよ。クラスの花瓶の水をよく変えてくれてるの知ってるよ」


「特に話すやつもいないから暇潰しにしてるだけだ。あんなの、優しさでしてるわけじゃない」


「この前迷子の子供のお母さんを一緒に探してるのも見た」


「あれは……妹がいるから、ああいうのは放っておけないだけだ」


「ごみ捨てもよくしてる。みんながしない、損な役回りを率先して引き受けてる」


「それは、たまたまであって俺は別にそういうんじゃなくて……」


 ほんとにそんなんじゃないんだ。

 たまたましていた行為をよく捉えられても、それは俺じゃない。

 そんなの、俺じゃない。


「まだ足りない?」


「……足りねえよ。今までのだって理由にはならない」


「筒井くんって欲張りなんだね」


 むう、と笹倉は顔をしかめた。


「ちゃんと理由だよ?」


「……信じられないんだ。俺は、誰も信じれない。どれだけ言葉を並べられても、俺はその言葉を受け入れられない」


「信じ、られない?」


「別に笹倉が悪いわけじゃないんだ。これは俺が悪いだけで……」


 俺の言葉に、笹倉は戸惑いを隠せないでいた。

 けれど、彼女のまっすぐな瞳は決して曇らなかった。戸惑った顔を隠すように顔を俯かせ、少しして顔を上げたときにはいつもの顔に戻っていた。


「なにがあって、筒井くんがそういうことを言っているのかはわからないし、教えてくれないならそれでもいい。でもね、それがわたしが諦める理由にはならないよ」


「笹倉……」


「信じられないなら信じてもらえるまで頑張る。わたしのことが嫌いなら仕方ないけど、そんな理由で振られるなんて納得できないもん」


「……じゃあ、お前のことが嫌いだって、言ったら?」


 なんで諦めない。

 なんで折れない。

 なんで止まらないんだ。


「好きになってもらえるように頑張るよ」


「……はあ」


 彼女の辞書に諦めるという言葉は存在しないのか。

 こぼれた溜め息は、果たして何の溜め息だろうか。


「もう勝手にしてくれ」


 どうやら俺の辞書には諦めるという言葉はしっかりと書き込まれているようだ。

 あそこまでまっすぐ見られると、どうしていいか分からなくなる。

 もしかすると、彼女を受け入れることで何かが変わるかもしれない。

 大事なものを取り戻せるかもしれない。


「それじゃあ、そうさせてもらおうかな」


 そして笹倉は笑う。

 その姿を見て、俺はハッとする。危うく大事なことを忘れるところだった。


「ただし、一つだけ条件がある」


 俺は声を低くする。

 笹倉は嫌そうな顔をしてくるが、これは俺にとって大問題なのでスルーはできないのだ。


「条件? それは全然いいんだけど、できればえっちなやつとかは勘弁してほしいかな」


「んなことじゃねえ」


 俺が冷たく言うと、予想通りの返事がきたからなのか、笹倉はくすくすと笑う。


「それで、その条件っていうのは?」


「お前と一緒にいるところを見られると注目を浴びる。どころか、殺意の視線を向けられるまである。だから、教室とか、ひと目のある場所ではあんまり話しかけてこないでほしい」


「殺意の視線? よく分からないけど、それは寂しいことだね……」


 残念そうに声を漏らす笹倉だったが、次の瞬間にはにぱっと表情を明るくさせる。ころころと表情が変わるやつだな。


「じゃあ、こっちも一つだけいいかな?」


「……聞くだけ聞くよ」


「えっとね」


 顔を赤くしながら、笹倉はちらと俺の様子を伺う。俺が今どういう表情をしているのかは正直よく分からないけど、視線が合うと彼女は目を泳がせる。

 そして、きゅっと唇を噛み締めてから俺の目を見る。


「放課後、デートしてください」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る