第6話

杏里は、大きな深呼吸をした。

「いい香り」

その先には、オンコの林が続くんだよ、と弘美がにこやかに笑う。

「でも、オンコの樹林からは香りなんて無いんだけどね」

「あら、そんなことはないわよ、私のお祖父さん、目をつぶってみて」

弘美は言われるままに目を閉じた。

そういえば・・・。

「どう?」

弘美は返事に窮したが、目を開け、

「本当だね」

と笑顔を浮かべた。

この島が気に入ってくれているというより、この子が楽しんでいる様子が嬉しいようだ。

杏里が振り返ると、島の周りが海におおわれているのが分かる。誰かの声が聞こえるか、

「波の音が聞こえるよ」

杏里は目を閉じ、耳を澄ませる。

「誰?あなたは、誰なの?」

ふっ、と彼女は口を押える。

「そう、そうなの!」

ちょっと間をおいて、

「いい友達になれそうね」

とつぶやく。

オンコの樹木は、弘美の言うようにずっと続いていた

「オンコさん、私を何処へ連れて行ってくれるの!」

返事はない。

「私、今日から、ここに住むの。あんり、って言うの、よろしくね。ええ、いいわよ、後で、じっくりお話をしましょ。そうだ、もう暗くなるから、明日からだね」

(この子は、誰としゃべっているのかな?人・・・じゃないな)

この島に生きている自然と話しているんだ、信じられないけど。島の人が見たら、変な女の子に見えるかもしれないね。

急に、

音が消えた。

静かだ。

静寂しいうのかな。

でも、杏里の様子を見ていると、何でも聞こえないという感覚ではないようだ。人の心の中に染み込むような音色が聞こえて来るような気がする。

「ああ、そうだ。ここだわ。私、見覚えある・・・」

杏里は振り返った。これで何度目なのか.ゆっくりと、弘美が歩いて来ている。

「元気だね、杏里の後をついて行くのに精いっぱいだよ」

杏里は歩くのを止め、お祖父さん待つことにした。

「ここだよね、ここだわ」

この時、杏里の顔は、現実の世界とごっちゃになり、彼女の心と小さな体は心地よく踊っている。実際、彼女の身体はラン、ラララン、ラン・・・と踊っているように見える。

「こんにちは」

と彼女は言う。

やはり、返事は聞こえない。しかし、彼女には聞こえるようだ。

弘美が追い付くと、彼女は歩き出した。

少し歩くと、また振り返った。

「私のお祖父さんなのよね。もちろん、知っているわよね」

と、彼女はみんなが納得しているのかな、と少し不安になったのか、もう一度確かめた。二度三度と、《私のお祖父さん》という言葉を、誰かに向かって彼女は発していた。

弘美は首を振り、この子にはとてもついて行けないなと思った。彼はこう思いながらも、明日からの生活は楽しくなるような気がしてきた。でも、その前に、この子は、お祖母さん・・・みさ江に会わなければならないのだ。それを想像すると、彼は気が重くなった。

(もう、すぐに)

「でも、いいや・・・明日から、みんなとずっと遊べるんだからね」

と、にここにしながら、また歩き出した。

オンコの樹林の中は、迷路のように伸びていた。

「ああ・・・」

杏里は、ため息をついた。

弘美は、

「待ちなさい、そんなに早くいかない」

と声を掛けた。そうでも言わないと、この子は何処までも行ってしまいそうに思えたのである。

「こっちだよ。そっちは、羊がいる草原なんだよ」

杏里は立ち止まった。

「えっ、羊さんがいるの?」

杏里はニコニコしている。

「ああ、いるよ」

「わたし、会いたい」

「だめだよ、もう、みんな寝ているから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る