第3話

 少女は定期船の乗り場にいた。岸壁から海を眺めている。

⌒どうするんだろう・・・)

子どもはひとりいた。エミである。その子も一年ほど前事故で死んでしまった。この子は、孫になる。生まれて間もなく離婚し、エミは一人で育てていた。

「こっちに来い」

とエミの父である老人は提案した。祖母であるみさ江は、夫の提案に反対した。老夫婦の話し合いは、それで終わった。老人は妻の反対を押し切って、娘に、

「こっちにおいで」

と知らせた。

娘は、うんという返事はしなかった。病弱ではなかったが、よく一人で育てたものだと老人は思っている。

「こっちに来るように、言うか?」

みさ江は賛成しなかった。母と娘は目に見えない所で対立していた。しかし、その娘はもういない。孫を引き取ることに反対しなかった。

 

だけど、幼い子供への接し方が分からない。あの子はよくしゃべったのか?どんな子だったのか、忘れてしまったようだ。思い出せないでいる。

(情けないな)

それだけ、年を取ったということか。

しばらく眺めていたのだが、一歩一歩少女にゆっくりと近づいて行く。そして、老人は歩みを止める。自分の声が、十分聞こえる所まで近付いたからである。

「あの・・・」

老人は言葉が詰まった。

が、老人の声は少女の声に打ち消された。どうやら、何かに話しかけているようだった。

「こんにちは、あなたのような怖い感じの海は初めてだよ」

杏里は海に向かって、話し始めた。その表情は話し出す前は強張っていたけれど、すぐにその緊張は取れ、笑顔が浮かんでいる。

「私、あなたの友だちを知っていますよ。ずっと南の海!」

少女は海と話している。

ほっと、老人の顔に笑みが浮かんだ。

「そうです。そうですよ」

杏里はこくりと頷いた。どうやら誰かに声が聞こえたのだろう、

「そう、そうね。そうですよ。えっ、聞いている?本当!私の言っている海さん、もっと南の方にいるの。とっても仲いいのよ。私、いつも遊んでいた。うん、夏も、寒い冬もよ」

「君は、寒くないのって、いうの!」

「そう、うん。少しも。私の名前、杏里っていうの。寒い冬に生まれたんだって。だから、寒くないの」

杏里のおしゃべりは止まらない。彼女の様子を見ていると、とっても楽しそうに見える。老人も、その一人だった。でも、この時彼女の周りにいたのは、この老人だけだった。

(エミ、こんな子だったのだ。いい子だったのだ)

たまらなく、

「おいおい、誰と話しているんだい!」

老人は、楽しそうに見える姿に我慢できずに、少女に声を掛けた。

少女の肩が、ぶるるっと震えた。

少女が振り向いた。丸っこく小さな顔が老人を見つめる。

しばらく、どちらからも声が出ない。

最初に声を出したのは、老人だった。

「ごめんよ。驚かしたようだね」

老人はぎこちない笑みを浮かべた。

「私は・・・弘美っていうんだ。君は知らないかも知れないけど・・・」

ここて、老人、いや弘美は言葉を飲み込んだ。本当のことを言っていいものなのか、戸惑った。しかし、言わなければならない。

「私は、君のお母さんの父親なんだよ。つまり、私は、君のお祖父さんなんだ」

というと、杏里の反応を待った。

老人は、こういう話は苦手だった。もともと無口だと自分で認めていた。こっちの家では、みさ江と二人だけ。何かと話すのはみさ江で、彼はほとんど口を開かない。

杏里の表情がくもった。だが、すぐに海と話していた目にもどった。

「お祖父さん・・・」

杏里は、目の前の老人を、頭の先から足先まで見つめる。

「君を迎えに来たんだ。話したいことがたくさん、あるんだ。とにかくいこう。船の便がなくなるといけないから」

杏里は微かに頷いた。

老人には、そう見えた。

そして、ふうっと吐息をもらした。どうやら市役所の人に、自分が何処へ行かなければならないのか、聞いているようだ。

(そうか)

老人は笑みを見せた。

(それなら、いい)

安心はしたが、こうなってしまったのは喜べない。

「それじゃ、行こうか」

杏里は先に歩き出した。

老人は後ろ姿の少女を見て、似ていると思った。

「あの島なの?」

杏里は、小さな指で島を指した。その指の先には、弘美とみさ江が生活している島があった。島の名前はヤンゲシリ島。今いる場所からは見えないが、その向こうにもう一つ島がある。チュウレ島という。

「そうだよ、ヤンゲシリというんだよ」

「どんな島なの?」

「行けば分かるよ」

「そうね、そうだよね」

杏里の目は輝いている。どうやら島での伊勝を楽しみにしているように、老人には見えた。

それでも、老人には心配だった。この子が、島の生活に慣れてくれるのか。

この子にはもうここに住むしかなかった。そう思うと、慣れるというより島が好きになって欲しい、そう望むしかなかった。。

定期船は、二人が乗ると、すぐに出向した。島まで五十分くらいである。乗客は二人のほかに二三人だけだった。

杏里はデッキに出て、風を小さな体で受け止めていた。この辺りでは、あと三か月程で厳しい冬を迎える

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