怨18 民事不介入
死んだ魚の眼。
高木はこのところ、鏡を見ていない。
仕事も手に付かず、健康面を理由に有給休暇を申請した。
会社側はすんなりと承諾してくれたものの、社長の一言は高木の神経を余計に逆なでさせた。
「休みの申請も早いんだな」
社長は高木と静子のカンケイを疑っていた。
静子が行方不明になったのも、高木との痴情のもつれとしか考えていなかった。
代わりはいくらでもいる。
新人女優を売り出すのも悪くない。
旬を過ぎた殺され女優よりも将来性は有望なのだから。
その時は、高木は辞めてもらおう。
社長はそう考えていた。
高木は何も言わず会社を後にして警察署へ向かった。
もはや処遇など気にもならなかった。
剃り残した無精髭も、目の下のクマもどうでも良かった。
静子を探し回ってはいるが、依然として手がかりは何もない。
気になっていたあの神社にも何度も出向いた。
竹林、裏山、神社、祠。
思い出の旅行先やホテル、静子の友達にも電話をかけたが静子の痕跡は見つからなかった。
「事件」か「自殺」か。
二つの言葉と重なるもう一つの文字。
「神隠し」
高木は目の前に座る二人の警察官に、その言葉は使わないでいた。
そもそも、警察を信用してはいない高木は、こうして警察署にいるのも不快だった。
高木はスマートフォンの画像を見せながら、淡々と平静を装って警察官に語り始めた。
「自殺とか家出とか、全く考えられないんです。事件に巻き込まれてやしないかが心配なんです。このスマホの写真を見てください!」
警察官は身を乗り出して、高木の差し出したスマホの画面を見入っていた。
二人とも、自分と同世代くらいだろうか・・・。
同世代であろう警察官に、高木は何故か安心した。
しかしそれは、銀縁眼鏡の警察官の一言で裏切られた。
「あのですね、これだけではどうも-我々も動けないんですよ」
高木の鼓動は激しく波打っていた。
冷静な言い回しにも腹が立った。
「何故ですか!おかしいと思いませんか?ちゃんと見てください。部屋中水浸しなんですよ!それに!」
高木は言いかけてやめた。
『神隠し』『神社』『女』
頭に過るのは、現実離れした言葉ばかりだ。
深呼吸をして冷静に努める。
それも精一杯だった。
「とにかく、捜索願いを出しますから探してください。一刻も早く」
もう一人の警察官が事務的に言った。
「あなたとこの女性の関係は?」
「彼女です」
「この女性のご家族は?」
「いないはずです」
「それは確かですか?」
警察官が言い終えるのを待って、高木は叫んだ。
「だから何だと言うんです!恋人がいなくなったから探してくれ!当たり前の事だろ!」
銀縁眼鏡の警察官がなだめるように続けた。
「まあ、ちょっと。あのですね、誰でも捜索願いを出せるって訳ではないんですよ。あ、この女性の会社の方に一度連絡を取ってみては」
「私も同じ会社です!」
「雇い主さん?」
高木の声は震えていた。
出来るものなら目の前にいるこの二人を殴ってやりたかった。
唇をギュッと噛んでから、高木は静かに言った。
「もう結構」
怒りとは、諦めと虚しさの塊なのだ。
高木は警察署を後にした。
その日の夜。
高木は池袋のショットバーで知人と酒を飲んでいた。
一安恵と瑞穂理沙に仕事を依頼するのが目的だった。
ふたりは昔からの友人で、一安は元警察官。
理沙はファッションモデルで、高木の事務所に在籍していた時期もあったが、今では一安の会社で働いている。
私立探偵と言えば聞こえがいいが、違法スレスレの手段で成果を挙げる裏探偵。
戸籍を閲覧するために街の金貸しと密約を交わしたり、情報を得るためにハニートラップを仕掛けたりとその手法はスパイ映画さながらであった。
成功報酬は3対7,
実に金になる商売だと、一安はドイツビールを一気に飲み干して高木に言った。
「ただ、こいつには辛い思いもさせてるけどな」
一安は理沙を見ながら言った。
ハニートラップを仕掛けるのは彼女の仕事だ。
身体の関係を求められるのもしばしば、拒絶の手段はいつも睡眠薬。
そんな女の笑顔は幼く見えた。
「その分、ちゃんと貰ってるからいいわよ」
高木は前金の入った包みをテーブルに置いた。
一安はそれを受け取り真顔で話し始めた。
「高木、家出をする自由ってのもあんだぜ。馬鹿馬鹿しいが、警察ってのもな、法律にがんじがらめなんだよ。よく聞くだろ。民事不介入ってな。あれで泣いた奴がどんだけいるのか、考えただけでも吐き気がする。クソだよクソ」
「だから警察やめたのか?」
高木の問いにかけに一安は静かに笑った。
そして理沙の身体を引き寄せて言った。
「俺はこいつと一緒になりたいんだよ。それには金がいるの。それとな高木! 早く寝ろよ。クマ五郎だぞお前の顔」
一安はそう言うと、万札を置いて理沙と共に店を出た。
高木は有難かった。
頼もしい味方が近くにいた境遇に感謝した。
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