怨17 流行 新宿区

スマートフォンの操作は苦手だ。

手先がほんの少し狂っただけで、目的地までの到達に時間がかかってしまう。

それを1年間の無駄な枠にあてはめると、いったいどのくらいになるのだろう。

酒の席でのくだらない話題だった。

同僚というよりも、仕事上の知り合い数人で、新宿区歌舞伎町の居酒屋やキャバクラをハシゴして、最終電車をひとりでホームで待つ間、曽根の指先はスマートフォンに触れていた。

特に知りたい話題も、今見なくてはならない映像もないが、スマホは退屈しのぎと小遣い稼ぎの魔法の道具となっていた。

曽根の仕事は、都内の芸能プロダクションの人材発掘プロジェクトのリーダーで、企画開発部部長という肩書きも与えられている。

しかし、そんな立派なものではなかった。

街で若い女性に声をかけ、契約書を交わしてイメージビデオやアダルトビデオに出演させる。

成功報酬は3対7で、契約後の彼女達の人生などは知った事ではなかった。

それよりも-。

曽根はサイドビジネスと称して裏ビデオを販売していた。

趣味趣向は千差万別だが、盗撮ビデオは高い値がついた。

今日も靴先に仕込んだカメラで仕事をする予定だが、どうにも酒がまわってそれどころではなく、こうして新宿駅埼京線ホームで立っているのがやっとだった。

スマホの画面には、SNSのトーク履歴が残っている。

相手は皆10代の女の子で、自らわいせつな画像を曽根に販売したいと申し出ていた。

投稿画像の元値に上乗せをして販売する。

時には自ら出向いて、いかがわしい動画も撮影した。

罪悪感はない。

金が欲しい奴に金を渡す。

金が欲しいからその手段で金を得る。

サラリーマンよりも効率的で生産的な仕事はではないか。

そう思っていた。

曽根は今、横浜の少女と連絡を取り合っている。

タレント志望だという彼女に声をかけたのは先月末の事だ。

別のSNSの履歴に名前が残っていた。

曽根は指先で画面をスワイプしたが、酔っているせいか勢いがついてしまって別の画面に切り替わってしまった。

人気動画サイトのトップ画だった。


「火花が舞い落ちる闇夜の廃虚で、エレベーターから現れた悲しげな黒髪の女の謎」


濡れた黒髪の、綺麗な女性が映っていた。

曽根好みの華奢な体つき。

どこかの売れない女優。

曽根は女の裸を想像した。

横浜の少女の事は忘れていた。

アルコールと色情に汚染された頭は、曽根に残っていた理性を崩壊させようとしていた。

曽根の腕時計の針は23時45分を指していた。

最終電車まではまだ数分の時間が残っている。

このまま新宿で女を買うか、それともおとなしく自宅の戸田まで帰るかどうか。

頭がもやもやしていた。

それもこれもあの動画の女のせいだ。

好みの女と過ごす夜を想像すると、身体が熱くなるのを抑える事など出来そうもなく-かと言って酒でふらつくこの体たらくでは、ぼったくられて終わりだろう。

後は身ぐるみ剥がされて泣く泣く朝方帰宅するのかオチだ。

曽根は、電車待ちの乗客達を見渡した。

それは物色だった。


騒がしい学生。

陽気なサラリーマン。

遥か異国の観光客。

ひとりだけの若い女などいる筈もない。

城内アナウンスが聞こえる。


『間もなく-各駅停車-が、到着ー』


雑音の中に流れる、聞き慣れたアナウンスの声に混じって、かすかに何か聞こえた気がした。

繰り返されるアナウンスに聞き耳をたてる。


『間もなく、2番線に各駅停車大宮行きが参ります。黄色い線の内側まで下がってお待ちください』


曽根の背後で女の声がする。


「ねえ」


ぞくっとするような色気のある声だ。

耳元でささやく女の声は、息づかいまでもが聞き取れるくらいに近かった。

曽根は奇妙な感覚に囚われていた。

身体の自由が利かない。女を確認したくて振り返ろうとしても、重たすぎる頭とふらつく足元がいうことをきかないのだ。

すると冷たい感触-女の手が自分の尻を撫でまわしている事に気がついた。

不思議だった。肌に指先が直接触れているような感じだ。

長い爪は、曽根を弄ぶかの様に身体を愛撫していく。

尻から腰まわり。

股間から腹、胸、背中を伝って肩から首へと冷たい爪先が伸びていく。

曽根は悪くないなと思った。

『痴女』

この歳で遭遇するとは夢にも思わなかった。

欲望のままに人目も憚らず、この新宿というろくでもなく魅力的な街で果てるのも悪くない。

曽根は女に身を任せることにした。


「ねえ」


濡れた感触は女の舌先だろう。

耳たぶを舐められている。

曽根ははにかんだ。

周りの連中はどう思ってるのだろう。

気がつかないフリをしながら何食わぬ顔で、ただただ突っ立っているだけとは思えない。

本当は大好きな癖に。

女の手が曽根の手首から手の甲へと伸びる。

舌先が耳もとを撫でまわしている。


「-もな-番線にー参りますー下がってー」


城内アナウンスも、所々しか聞こえない。

しかし、どうでも良かった。

女の手が曽根の手を掴む。

冷たいが優しい手の温もりだ。

電車が近付いている。

レールを進む車輪の聞き慣れた不快な音。

駅員の警笛がけたたましく鳴り響く。

腐った街新宿。

何故だか悲鳴が周りから聞こえる。

駅員の声も聞こえる。


「下がって!下がって!下がりなさい!」


女の手はありえない力で、曽根の身体をホームから線路へと引きずり込んだ。

緊急停止する電車の車輪の軋んだ音と、曽根の身体が砕け散る音がいつもの新宿駅に響き渡っていた。

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