08話 正義感
+
あたしの名前は白鷺月夜。
薄暗い謎の屋内に拉致られ、柱に縛りつけられた状態で、口からよだれをだらだら垂らした謎のバケモノにガン見されて絶体絶命のピンチに高校2年生だ。
《『瞬間移動』ってやつは便利だな。一瞬で別の場所から場所にジャンプする能力は、汎用性が高くて便利だ。お前もそう思うだろ? 白鷺月夜》
生臭い悪魔の口臭が鼻腔の中に潜り込む。
あたしは顔を背け、お腹の底から迫り上がってきた気持ち悪い感覚を頑張って押し殺した。
ここはどこ?
トタンの壁に広い天井、舗装されていない土の地面に、剥き出しの鉄骨が屋根を支えている。壁際に油で汚れた機械が置いていて、使われた形跡はない。
廃工場?
でも、こんな廃工場、あたしは知らない。少なくとも、うちの近くにはないはず。
《おやおや、こっちの格好じゃ相手もしてくれねぇのか。仕方がねぇな》
べきべきべきっ。
まるで鳥の骨をめちゃくちゃに折ったかのような乾いた破裂音が聞こえた。
ふっと、悪臭と気配が消えた。
振り返ると、黒くて毛むくじゃらのバケモノはいなくなっていた。
バケモノの代わりに、水谷さんがいた。
「水谷さん?」
《ええ、そうよ。月夜ちゃん》
にこっと水谷さんが笑った。
ぞわっと鳥肌が立った。
──違う。
この人、いや、これは水谷さんじゃない。
「あなた……誰?」
《くくくく、さすがにわかるか》
水谷さんに似た女が、不気味な笑顔を浮かべた。
《エクソシストって映画……観たことあるだろ?》
ない。
聞いたことはあるけど、観たことない。
怖い映画は基本観ないから。
《んだよ、観たことねぇのか》
ちっと水谷さんに似た女が舌打ちをする。
《名作なのによぉ。おめー、なに観て育った? マジで現代人か? 教育を受けてない原始人のガキか?》
「ここどこなの? あたしを…どうする気?」
がっ!
突然、あたしの首を女が掴んだ。
《質問しているのはこっちだ。質問を質問で返すんじゃねぇ。礼儀に反してるだろうが》
がるるる。
獣が喉を鳴らすような音が聞こえた。
歯茎が見えるほど、女の口が歪んでいる。
水谷さんの顔の女が、血走った眼であたしを睨みつけた。
《400年前はシンプルだったぜ。いちいち自己紹介しなくても大概の奴は察してビビってくれたものだ。それがこのザマだ。こんなアホガキにいちいち自己紹介しねぇと伝わらねぇってのは残念極まりないぜ》
「あがっ」
強い力で喉を押さえつけられているせいで、息ができない。
やばい、このままじゃ意識が。
《あ? 勝手に死ぬんじゃねぇ》
ぱんっ。
平手があたしの顔面に飛んだ。
喉から手が離れたおかげで、息ができた。
危なかった。一瞬、景色が白黒に反転しかけたから、もう少しで気絶しそうだった。
《クソガキ。耳の穴かっぽじってよく聞け。俺様は『あすもでうす』。ソロモン72柱の爵位『悪魔王』の大悪魔様だ》
あ、悪魔王?
ソロモン72柱って?
一体、なんの話?
《これだからアホなガキ相手にするのは疲れるんだ。いいか、シンプルに答えてやる。俺様は『悪魔』だ。この水谷っていうババアの体を乗っ取った、てめぇらの言葉でいうところの『超自然現象的存在』ってやつだ。スマホのパズルゲーとかにレアキャラでいるだろ?》
知らない。
課金ゲームはお金かかるからやったことないし。
《いちいち話の腰折るんじゃねぇ! 誰がてめぇのくだらねぇ財布事情を聞いた? ボケ!》
ぱんっ。
怒号と共に平手がまた飛んだ。
口の中を切った。
鉄の味が舌の上に広がって、嫌な気持ちになった。
「……悪魔?」
《そうだ。ようやく理解したか》
「悪魔なんて、この世にいるわけ……」
べきべきべきっ。
突然、女の体がめちゃくちゃに折れ曲がった。
折れ曲がった体のあちこちから、毛むくじゃらの太い腕や足が生えた。
一瞬だった。
一瞬で、女の体が毛むくじゃらのバケモノに変身した。
《ここにいるぜ? お嬢ちゃん》
あたしは目をむき、生唾を飲み込んだ。
ビビったあたしのリアクションを見て満足したのか、バケモノはふっと口元で笑った。
笑った刹那、バケモノの体から女の手足がにょきにょきと生えた。
にょきにょき手足が生えたバケモノの体が、ぷぅっと風船のように膨れ上がった。
膨れ上がったバケモノの体が萎んでいくと、バケモノから女の姿に戻った。
どういう原理?
目の前で見てたけど、何が起こったのかさっぱり理解ができなかった。
《俺たちにとって現世に行くことは『暇潰し』だ。何も特別なことじゃねぇ。400年前も今もそうだ。地獄の景色はうんこ色だし、亡者どものリアクションも今ひとつだ。何もねぇ退屈な場所なんだよ、地獄って場所は》
女が急に語り出した。
語りながら、あたしの体が縛られている鉄柱の周りを歩き始める。
《お前らの感覚でいうなら『ちょいっと夢の国テーマパークで遊ぼうかな』ってやつだ。こっちは楽しいぜ? ちょいっと俺たちが遊んだだけで人間どもはパニックもパニック。下手なお笑い芸人のドッキリ見せられるよりも超面白いなんの》
女はそういうと、くくくと思い出し笑いをした。
《昔の俺たちは『神様』だったんだ。お前ら人間にとって脅威だったからな。俺たちが暴れるたびに、お前ら人間は生贄だの供物だのなんだのって、俺たちに全面降伏していたんだ。それがよぉ……》
ぎりっと女が奥歯を噛んだ。
《いつの間にか、お前ら人間は『目に見えない神』っていうのを信じるようになった。いるのかどうかわからねぇよくわからねぇ奴を、無心に信じるようになった》
トタンの隙間から風が入ってきた。
さらさらっと土が舞い上がる。
《俺たちにはそれが何よりも我慢できなかった。俺たちを差し置いて、意味わからんもの崇め奉りやがって、くそったれが》
「……あ、あたしをどうする気?」
《うるせぇぞクソガキ! 同じ質問してるんじゃねぇ!》
どすっ。
鳩尾に女の拳がめり込んだ。
衝撃が下半身から上に一気に上ってきた。
痛いというより、息ができなかった。
内臓を無理やり突き上げられたみたいで、
《いいこと教えてやるよ、白鷺月夜。今の人間っていうのは、『人間』を辞めたがっている奴がウヨウヨいるんだぜ?》
辞めたがる?
どういうこと?
《疲れているんだ。人間どもは。生きることに……とくにこの水谷って女はかなり疲れていた。シングルマザーで2人のガキを育てることや、仕事がうまくいかないことで、相当疲れていたんだ》
水谷さんと同じ顔をした女が言った。
水谷さんが疲れていた?
あんな溌剌とした人が……。
そんな疲れているような様子なんてなかったのに。
《3日前、こいつが睡眠薬をどか飲みして自殺未遂をはかった。死ぬってんだから、俺が体をもらった。安い買い物だったぜ」
「そんな……うそだ」
《嘘じゃねぇ。おめぇの友達の美奈子ってやつもそうだ。この世はみんな死にたがっている奴多いんだぜ? 俺たちはこの世で好き放題暴れたいし、死にたがっている人間はいる。お互いウィンウィンの関係って奴だろ》
水谷さんだけじゃなくて、美奈子も自殺しようとしたことがあった……。
そんな。
どうして?
今年のインターハイ出るために、毎日頑張っているって美奈子が……どうして死にたいの?
死にたいほど、辛かったの? 美奈子。
《そうだ。辛かったんだよ。誰にも相談できなくて辛かったんだ。そしてお前もだ。白鷺月夜》
え?
《お前も疲れてるんだろ? ダメ親父に人生振り回されてよ》
脳裏にお父さんの姿がよぎった。
お酒を飲んで、泣いているお父さんの姿だった。
《本当はもっと楽に生きられるはずなのに、世渡り下手なてめぇの親父のせいで、いつも尻拭いをさせられる。家族のことを顧みないでてめぇのことばかり考えてる親父には、正直うんざりしてるんだよな?》
「そんなこと……あたし」
《おめぇの親父が天井画を修繕したところで、てめぇの懐に入ってくるカネはスズメの涙程度だ。親父の馬鹿な道楽に付き合ってやるほどおめぇには余裕がねぇはずだ。冷静に考えろよ、なんで16の娘が40過ぎた親父を説教するんだ?》
女はいった。
──なんで16の娘が40過ぎた親父を説教するんだ?
この言葉が、あたしの胸の中で何度も響いた。
《なぁ、いい加減スッキリしようじゃねぇか。忘れたわけじゃねぇんだろ? 酒を飲んだ親父に追い詰められたことを》
「……あの時のお父さんは……いつものお父さんじゃ」
《いいや、あれが『本性』だ。人間、追い詰められた時に本性を露わにするんだ。いいか? お前の親父は真性のクズなんだ。だから女房にも愛想を尽かされたんだ。とっくの昔に気づいていたんだよ、おめぇは。だけど、情けで気づかないフリをしていた。いい加減、目を覚ませよ》
ぽんと女があたしの肩を叩いた。
お父さんはクズ。
違う。
そんなことない。
あたしは声を大にして主張したかった。
だけど、なぜだろう。
それができない。
どうしても、違うといえない自分がいる。
《死ぬことは悪いことじゃねぇぜ? 遅いか早いかだけだ。案外、この現世の方が人間にとって『地獄』なんかもしれねぇな》
「地獄……」
《あの世にいきゃ友達はいるぜ? なーに心配するな、おめぇの親父も後を追いかけてくる。クズはこの世じゃやってけねぇからな。あの世で面白おかしく暮らせばいいんじゃねーか》
じゃきん。
女の手から鋭い爪が伸びた。
あたしは自分の足元を見つめる。
あたしが死んで、お父さんが死ねば。
少なくとも今の苦しみから解放される。
毎月の生活費をどうやりくりすることや。
バイト漬けで睡眠不足で苦しい日々から。
あたしは解放される。
水谷さんも美奈子もこの世にいない。
お父さんはクズで、あたしが死ねば後を追いかけてくる。
あの世で幸せに暮らすことが………………。
「逃げてんじゃねぇぞ! 白鷺月夜!!!!」
怒号が空間内に響いた。
はっとあたしは我に返り、顔を上げた。
トタンの扉を蹴破った神太郎が、あたしたちの目の前に立っていた。
制服がボロボロで、手足からポタポタと赤い血が垂れ落ちている。
「生きることに……逃げるんじゃねぇ!」
神太郎は前に進む。
足を引きずらせながら、苦悶の表情を浮かべている。
神太郎の上半身には、サラシのような白い布がぐるぐると巻かれていて、その上に制服を肩に羽織っていた。
白い布がじわぁっと赤く濡れている。
喫茶店で受けた怪我だ。
袈裟斬りで斬られたあの傷が開いて、血が出ているんだ。
《ほぉ、カクレキリシタン。なかなかてめぇは酷なこというな。この女が今の世の中にどれだけ生きることが辛いかわかっていってるのか?》
女があたしの前に立ち、神太郎を煽った。
神太郎は地面に唾を吐いた。
「知るか、そんなこと」
《ほぉ?》
「人間生きてりゃ辛いことばかりだ。楽しいことなんて数えるほどしかねぇ」
がくっと神太郎の膝が落ちる。
神太郎は「くっ」と奥歯を噛み、地面に踏ん張って地面に立った。
「……だからそこ、少ない楽しいことを大切にできるんだ。それが『生きる』ってことだ」
その様子を見て、女が鼻で笑った。
《なんだぁ? いきなり説教垂れるのか? クソガキ》
女が腕を組み、首を傾げて神太郎を見つめる。
神太郎は大きく足を広げ、握った両方の拳を顔の前に持ってきて、ボクシングのような構えをとった。
《ま、この女の体を乗っ取っててめぇを騙し討ちしようと考えていたが、その様子だと不要だな》
くくっと女が嘲笑った。
《まったく哀れだな、カクレキリシタン。こんな危機的状況だっていうのにテメェらの神様は一切助けにこねぇ。仲間がたくさん死んだ300年間も放置されている。それでもなお信仰するなんざ、アホを通り越して哀れでしかないな》
「いいてぇことはそれだけか? バケモノ」
ぺっと神太郎が唾と同時に吐き捨てた。
「能書き垂れるヒマあるんだったら、ケリつけようぜ。まだお前とは決着ついてないんだ」
神太郎が言い放った。
女は首を項垂れさせ、黙り込んだ。
肩と指先がぷるぷると震えて、ぎりぎりと歯を噛んでいる音が聞こえた。
《……くそが。くそは死んでも直らないな》
めきめきめきっ。
関節が捻れるような異様な音が、女の体内から聞こえる。
少しずつ、女の体が大きくなっていく。
《まったく不愉快極まりないぜ。見放されたことに気づかないバカを相手にするのは……おめぇらもカトリックも、どいつもこいつも肝心な時に出てこねぇ『神様』を信じて、俺たちに挑んできやがる。まったくむかつくぜ!》
服が破れ、露わになった皮膚から黒い毛むくじゃらの毛が生えた。
瞬間。
神太郎が地面を蹴った。
変身途中の女の顔面目掛け、神太郎が突進する。
どかっ!
突然、神太郎の体が壁に激突した。
「かはっ!」
トタンの壁に神太郎の背中がめり込んでいる。
なにが起こったのか。
あたしにはわからなかった。
わかったのは、女の体が黒い毛むくじゃらに覆われたバケモノに変身したことだけだった。
《決着をつけようといったな?! カクレキリシタン! そうだ! 俺はお前たちと決着をつけるために、地獄から舞い戻ってきたんだからな!》
びきびきびきっ。
バケモノの黒い毛むくじゃらの体の中から、岩が割れたような亀裂音が聞こえた。
びきびびきびきびきびきびきっ。
バケモノの体が、一回り二回りと大きくなっていく。
大きくなるにつれ、表皮が剥がれ、中から黄金色の『金属の皮膚』が表出した。
《くくくく、カクレキリシタンのお前に倒すことができるかな?》
バケモノの顔面が割れた。
中から黄金色に光る細目の『能面』が現れる。
あの顔は。
まさか。
うそでしょ?
「悪趣味だな……『観音様』に化けるなんてよ」
地面に膝を落とし、神太郎がバケモノを見上げた。
天井にくっつくほど、巨大化したバケモノが神太郎を見下ろしている。
いや、バケモノじゃない。
4本の細い腕に、冠を被った頭。全身金色にコーティングされた『観音菩薩』が、前傾姿勢で神太郎と対峙する。
《いいや、むしろ感謝しろ。お前らの大好きな『神様』に殺されることにな》
巨大観音菩薩となったバケモノの腕が、神太郎目掛けて振り下ろされた。
To be continued...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます