第8話 決意、変貌、証明

 あたしの記憶に間違いはないはずだ。

 たった一年前の出来事。

 あれだけ鮮烈で鮮明な事件があって、このあたしがあの女の顔を忘れ去るはずがないのだ。


 ―――黒月夜羽くろつきよはね

 かつて、あたしやほむりゃんと三人で学院生活を過ごしていた少女。


 、彼女は姿をくらませた。

 十人いた円卓に穴を空け、レベル5という地位や、己で立ち上げた科学研、それら全てをかなぐり捨ててまで。


 ほむりゃんが彼女に関わることで記憶喪失になった―――と、今のあたしは考えてはいるものの、確信に至る情報は何もなかった。

 けれど、それだけのショックを与えるほどの『なにか』があったのは明白だった。


 あたしが直接立ち合っていれば―――なんて後悔も、時は既に遅し。

 だからこそ、あのタイミングでいなくなった夜羽のことを絶対に忘れない、とあたしは心に誓ったのだ。


 あれから一年。

 あたしとほむりゃんは充実した学院生活を送ってきた。あたしと比べて奥手なほむりゃんはあんまり友達を作れないのだけれど、だからこそ、その分まであたしが色んな人達と接して仲良くしてきた。


 記憶を失ってしまったほむりゃんに寄り添えるのはあたしだけだ。それは自惚れなどではない。過去の後悔から来る償いなどでもない。

 ただ単に、あたしが紅条穂邑という個人を誰よりも愛していて、大切にしているからこその感情だった。


 しかし―――そんな平穏は、唐突に崩れ落ちた。


 ほむりゃんが助け出した少女、三日月絵瑠。

 彼女は百瀬百合花によって保護され、今やその傍付きなんて立ち位置にいる。


 あたしはその顔を見て確信していた。

 彼女のそれは間違いなく、黒月夜羽そのものだったのだ。


 だが、百瀬百合花はあくまで別人なのだと主張する。三日月絵瑠と名乗る少女自身もまるで本当に何も知らないと言わんばかりの態度。ほむりゃんに話を聞くと、彼女は記憶喪失なのだと言うではないか。


 ―――記憶喪失だって?

 なぜ、このタイミングでそんなものが?


 それも、彼女の記憶は一年前からのものしかないという。奇しくも紅条穂邑と同じ時期に重なっている。こんな偶然が果たしてあり得るのだろうか?


 ここで、あたしはひとつの仮設を立てた。


 


 それが原因となって夜羽は学院から姿を消した。

 あたしは彼女が紅条穂邑の記憶喪失の原因だと考えていたけれど、もしかしたら、


 ……嫌な予感がした。

 そんな記憶喪失となった彼女―――黒月夜羽が再びこの学院に戻ってきた、それには何か意味があるのだと。


 そして、事件は起こっていたのだ。

 蜜峰漓江が起こした生徒監禁事件。船橋さんを助け出す為にあたし自身が行動し、ヘマをして同じく囚われてしまった。

 その時に見た蜜峰さんの一挙一動に、あたしは確かに違和感を覚えていた。普段はとても大人しく静かで、研究だけに没頭する少女であると印象強かった彼女は―――あの時は、人が変わったかのように積極的で、誰も見たことのない裏の顔を見せていた。


 蜜峰漓江は、かつて黒月夜羽が立ち上げた科学研究部に所属している。

 あたしはこの異様な偶然の重なりを無視できないでいた。だからこそ、あの事件から部屋に軟禁されているという彼女に話を聞くべきだ、と踏んだのだ。


 しかし、百瀬百合花が保護している以上、彼女に自由はない。流石にあたしにでさえ手出しのできない領域だった。ならば、せめて事件の本質を探るだけの猶予を作らなければ。


 そうして、あたしはひとつの計画を立てた。

 蜜峰漓江と結託して彼女をあの檻から一時的に逃し、その見返りとして全てを明らかにする作戦だ。


 そう、これは百瀬百合花を欺く行為。

 下手をすれば、あたしの地位も危うくなる。

 けれど、それでも動かないわけにはいかなかった。


 黒月夜羽が関わっていると確信を得た以上、まずは百瀬百合花を出し抜いて、最終的にはあの少女―――三日月絵瑠を名乗る者の正体を必ず暴いてみせる。


 それは、ただ唯一。


 あたしを頼りにして、あたしを好きだと言ってくれた―――誰よりも大切な、あの人の為に。


  ◇◇◇◆◆◆


「それでは円卓会議もそろそろまとめに入りましょう。倉敷さん、渋谷さんがどのような理由で行動を起こしたのか。そして、貴女自身がそれに加担した理由―――それらを話して下さいますわね?」


 百合花が八代に向けて問い質す。

 それを受けた八代は、一息ついてから語り始めた。


「渋谷様がどのような理由で私に話を持ちかけてきたのか、その本意は図りしれませんが……私はただ、彼女が感じていた疑問点に共感し、それを解消すべく協力を申し出たまでです」


「疑問点、とは?」


「……、百瀬様。貴女は理解しているはず。解っていながら、それでもこの場で私に答えろ、と?」


「それは買い被りすぎ、と言いたいところですが―――まあ、概ねのところは。しかしながら、わたくしがただ淡々と想像を述べたところで、この場にいるほとんどの方は納得しないでしょう?」


 百合花の物言いには偽りの色はない。

 それを感じ取った八代は観念したように、やれやれといった態度で言葉を紡ぐ。


「渋谷様は、他の誰でもない―――貴女に疑問を抱いていた。それは私も同じです。そう、そこにいる彼女……三日月絵瑠について、です」


「えっ……わたし……?」と、絵瑠は思わず声を漏らす。


「ここで私がこの名を口に出してしまうことは憚られますが、百瀬様が語れと言うのであればそのように。三日月絵瑠……いえ、。私達は貴女に懐疑心を抱いているのです」


「くろつき……よはね……?」


 絵瑠が呆然とした表情でその名を復唱するが、八代はそんな彼女の反応を見つつも無表情のままに言葉を紡ぐ。


「百瀬様が『別人である』と主張したとしても、渋谷様は貴女が黒月夜羽であるという確信を持っていた―――それこそが、私が渋谷様に手を貸した理由です。表立って百瀬様に楯突くわけにはいきませんが、渋谷様が裏側で動くとなれば話は別。一年前にこの学院から去っていった貴女には、私も少しばかり因縁がありますので」


「ちょ、ちょっと待った! オイオイ、まさか本気でコイツが黒月だって思ってやがんのかよ!?」


 摩咲が思わず口を挟むが、八代は構わずに語り続ける。


? それも一年前から……それは黒月夜羽が学院を去っていった時期と重なります。しかしながら百瀬様、貴女はそれを隠した上で彼女を匿い、傍付きにするなどと強引な手段に出た。これを渋谷様は彼女が黒月夜羽であると云う証拠とした。そして、その真実を確かめる為に蜜峰漓江を救い上げ、最後のピースを掴もうとしたのです。―――科学研究部。黒月夜羽が設立したそれに所属している蜜峰様が引き起こした事件。唐突に現れた三日月絵瑠を名乗る少女。そのどちらもに共通する、記憶に関する疾患―――それらは決して偶然ではないと、私達は確信しました」


「けれどそれは―――結局、蜜峰漓江は記憶喪失ではなかったのだし、関わりとするには少しばかりこじつけが過ぎるのでは?」


 横槍を挟むのは穂邑だった。

 いつもとは少し違う、どこか冷淡さを感じる口調で。


「それは重要な部分ではありませんよ。結局のところ、そこにいる彼女が黒月夜羽であるのかどうか。私や渋谷様にとって、それだけが最も重要な事柄なのですから。記憶喪失であるというのは事実なのかもしれませんが、だとしてもそれをわざわざ隠してまで匿う理由がわからない。そもそも素性のわからない一般女性を傍付きにする意味がない。だとすれば、それは彼女が何かしらの関わりを持った存在であるという裏付けとも言えませんか?」


 八代の瞳は百合花を見つめている。

 この件において、彼女が問い質すべき相手はあくまで百瀬百合花ただひとりだった。


「つまり、貴女がたはわたくしを信用できない一心でこのような暴挙に出た、と?」


「端的に言えばそうなります。しかしながら、貴女に刃向かうつもりもありません。ただ知りたいだけなのです。事の真相を―――その少女の正体を。そして、それが蜜峰漓江を変貌させた原因であるのかどうかを。それさえ確かめられたなら、私達はおとなしく全てを認めるつもりでした。しかし、結果的に渋谷様は助け出した蜜峰漓江に裏切られ、その蜜峰様も、計画外の動き―――自ら手首を切るなんて馬鹿なことをした結果があの様です。本来はそこまでさせるつもりはなかったはずですが、リアリティを追求したのか、アレはあくまでも蜜峰様本人のアドリブだったのでしょう」


「本当は偽物の血で現場を装い、アタシがすぐにお前を呼び出すと計算していたってことか。まあ、確かにアタシなら傷口の有無なんて自分で調べようとはしない―――癪ではあるが、なにもかも渋谷の手のひらの上で踊らされていたわけだ」


 美咲は気分悪そうに納得する。

 そんなやりとりを見ていた穂邑は、どこか呆れたような表情で口を開く。


「……まったく。さっきから聞いていれば、本当にくだらない」


 その場の全員が、そんな穂邑の言葉に反応した。

 絵瑠は不安そうに、摩咲は意外そうに、美咲は睨みつけるように、八代は驚いたように。

 そして、百合花は何を思うのか―――無表情で。


「この子が何者か? それが事の本質だとでも? 結果的に事件を起こしたのは三峰漓江本人であることに変わりないでしょ。黒月夜羽が関わっているかもしれない? もしもそうだったとしても、蜜峰漓江が犯した罪が消えるわけじゃない。三日月絵瑠が黒月夜羽であるこということが、そこまで重要なの?」


 それはどこまでも穂邑らしくない、しかしどこか強い意思を感じる―――怒りのような憤り。まるで不出来なものを侮蔑するかのような嘲りにも似た物言いだった。


「ハッキリ言わせて貰いますけど、この子はただの三日月絵瑠です。それ以外の何者でもない。見た目が似ているから、ただそれだけで疑う愚かさに反吐が出る。―――うん、今回ばかりは香菜にも反省して貰わないと。どこまでも空回りしてしまったようだけど、それは私にも責任があるようだし」


 言いながら、穂邑は百合花に視線を向ける。


「ねえ、。そろそろいいでしょう。貴女が何を考えてるのかなんて正直わからないけれど、今回の真相は残念ながらとってもくだらない―――本当に馬鹿らしい、ただの児戯みたいなものだったようだけれど?」


 どこまでも挑発するかのような穂邑の口調。

 しかし、八代は彼女に反論することはなかった。ただ、百合花の言葉だけを待っている。


「ほむらさん……どう、したんですか……?」


 しかし。

 そんな場の空気を一変させたのは誰でもない、絵瑠であった。


「どう、とは?」


 短く一言。

 普段なら発さないような冷たく鋭い返答に、絵瑠はびくりと身体を震わせる。

 だが、それでも絵瑠は口を閉ざすことはなく、不安そうな表情で聞き返す。


「えっと、その……わたしを庇ってくれているなら、もう大丈夫です。わたし、自分のことがわからないのは本当ですから。その……黒月夜羽、って人の名前を聞いても、何も思い出せませんけど。もしかしたら、わたし―――」


「そこまでですわ、絵瑠。貴女は決して黒月夜羽ではありません。それはこのわたくしが保証します。そして……穂邑さん。無関係とまでは言いませんが、今回に関して貴女に口を出す権利はありません。感情の矛先を間違えないことです。?」


「……まあ、いいよ。今回は先輩の顔を立てておくとします」そう言いながら穂邑はその場から引き下がるように席を外して、「絵瑠、あなたは自分に自信を持たなきゃいけない。周りがどれだけ言おうと絵瑠は絵瑠なんだから。その為に私があなたを助けたってこと、それだけは覚えていて欲しいな」


 それだけの台詞を残して、穂邑はその場から去っていった。

 その背中を見つめながら―――絵瑠は胸に手を当てて、彼女の言葉を噛み締めるように、口を閉ざす。


「アイツ……なんだってんだよ、急に悟ったみたいな雰囲気出しやがって」


 毒づく摩咲だったが、百合花は構わずに口を開いた。


「―――さて。彼女の……紅条さんの物言いに従う訳ではありませんが。事を有耶無耶にして終わらせる訳にもいきませんし、円卓会議の締めとして、まずはわたくしの見解を述べましょう」


 百合花はちらりと絵瑠を見つめ、


「三日月絵瑠は、確かにかつてこの学院に在学していた黒月夜羽と似ています。それはわたくしも初見で得た印象ですが、これは間違いなく別人であると確証を得た上での決断です。確かな証拠もなく、説明もしないまま強硬手段に出たことは認めますが、それもやむを得ないこと。あくまでもイレギュラーですが、わたくしは彼女を保護すると決めました。それでも、疑われると解った上で円卓会議上にて紹介したのは、わたくしの最大限の譲歩……自分で言うのも何ですが、誠意を示したつもりです」


「なら、その少女の正体は―――」と、八代が問う。


「それを識る為に、わたくしが動いているのだとしたら?」


「なんだって……?」美咲が眉を釣り上げる。


「先日、わたくしが学院にいる間、とある来客がありました。本来ならば敷地の入口で通行止めとなるはずでしたが、あらかじめ連絡を寄越していたので特例として招き入れたものです。その集団……美咲さんは知っているでしょう?」


「まさか、例の黒服か……?」


「黒服だって!? ソイツはまさか、オレがあの時に見た―――」


 美咲が思い当たったものは、摩咲も目にしていた存在―――学院内をうろついていた、黒服の集団。


「それらの差し金は、いったい何者でしょう?」


「それは、まさか―――」八代が目を剥く。


。わたくしに事前にアポを取って直接許可を取りに来たのは、その財閥におけるひとりの御令嬢―――ここまで言えばおわかりでしょう?」


 百合花の問い掛けに、しかし誰もが口を開かない。開けない。

 理解しているのはきっと絵瑠以外の全員だったが、それでも誰もが百合花の言葉を黙って待っていた。


「―――。彼女はわたくしに直接立ち合っています。件の黒服達はただ彼女を連れ戻しにきただけ。すでに敷地から出て行っていることを確認していますし、そこにいる三日月絵瑠は確かに彼女とは別の場所で匿われていた。つまり、それこそ彼女達が別人であることの証明です」

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