第2話 もうひとつの可能性

「さて、ここでひとつ疑問点が浮かび上がりました」


 百合花は腕を組みながら口を開く。

 それは美咲、八代に向けられた言葉であった。


「というと?」美咲がそれに反応する。


「まず1つ目。鍵が掛かっていたかどうか、それを判別できるのは美咲さん、貴女だけであるということ。そして、第一発見者となったのも貴女です。つまり、貴女には密室トリックは成立しません。容疑者は渋谷さんだけだとおっしゃいましたが、実際のところ、もう一人―――つまり、美咲さんにはアリバイがありません」


「おい、アタシを疑ってんのか?」


「いいえ、疑う……というのは少し語弊がありますね。貴女には確かにアリバイはありませんし、ある意味、蜜峰さんを一番簡単に殺しやすい立場にいることは確かです。……が、動機がありません。わたくし個人の感情を抜きにしても、貴女を疑うに足る理由が存在していません」


「そうか。じゃあ、なんでそんな話題を?」


「まずはハッキリ申し上げておきましょう。わたくしは渋谷さんでさえ疑ってはおりません。動機がない……とまでは言い切れませんが、彼女は聡明です。このように、あからさまに蜜峰さんを殺害したりするとは考えにくい。他殺自殺といった話であれば間違いなく自殺だとわたくしも踏んでいます。ですが、それでおしまい―――とあっさり済ませてしまう訳にもいきません」


「なるほど。ようは容疑者となり得る人間のアリバイを確立させ、密室トリックなんていう空想を晴らし、、という確実な証拠にする―――ってわけか」


「その通りです。その為には音信不通となった渋谷さんを確保して、お話を聞かなければなりませんが―――まあ、それは紅条さん達にお任せしましょう。……さて、それでは、わたくし達がすべきことはわかりますね?」


「そこでアタシのアリバイ云々ってことになるわけか。しかしなぁ、アタシは嘘ひとつ吐いてないし、この目で見たものだけが真実なんだが」


 百合花と美咲が険しい表情で会話の応酬を繰り広げていると、そこに割り込むように八代が手を上げた。


「ひとつ、意見をしても?」


 ―――倉敷八代。

 黒髪ショートのおかっぱに細眼鏡。警視庁の長官である父親を持ち、本人もその方面に進むべく学問を納めている成績優秀な人物だ。


「どうぞ、倉敷さん。ふふ、普段は大人しくてあまり口を開かない貴女とこうして会話をするというのは、少し新鮮ですわね?」


「ご冗談はお控え下さい。それに私が言葉少ないのではなく、皆が騒がしいだけですよ。……話が逸れましたが、寮監である美咲さんが犯行に及んだ可能性は極めて低いのではないでしょうか?」


「あら。その根拠は?」


「美咲さんの格好ですよ。どこにも返り血を浴びていない。美咲さんは手ぶらでこの部屋へ訪れているのは監視カメラを見れば解ることですが、それにしては彼女の服装はそのままで何の汚れも見当たらない。バスルームには血が不自然なほどに飛び散っていたので、返り血を浴びていないということは、美咲さんが犯行に及んでいないこととイコールでは?」


「なるほど。それは確かにその通りですが―――」


 百合花は口元に指を添えながら少し考え込んで、


「彼女の死因が、本当は手首の傷によるものではないとしたら?」


「え……?」


「倉敷さん。貴女は何度か言っていますわね。、と。ではそれが実は工作されたものだとしたら? 本当は手首を切られて死んだのではなく、他に何か死因があるとすれば?」


「そ、それは……いえ。しかし、それらしい証拠は何も―――」


 倉敷はそこまで言って、ハッとした顔をする。


「お気付きのようですね。そうです。貴女は確かに見ているはずですわ。


「まさか……注射器か?」


 百合花の発言でようやく気付いたのか、美咲は目を丸くしてそう言った。


その通りイグザクトリィ。本来、そこにあるはずのないもの。なんの意味もなくあるべきではないもの。それが何を意味するのか―――わたくしは、そこが気掛かりなのです」


「けれど、注射跡のようなものはどこにもありませんでしたが……」


「注射器を使って蜜峰さんを殺したとして、それを隠す為に犯人が何を行ったのか? そして、カモフラージュと思われる行為はなにか―――蜜峰さんの手首の傷はつまり、その為のものではなくて?」


「―――! そうか、手首に注射した後にその部分をナイフで切って隠したのか……!」


 いち早く百合花の発言の意図に気付いた美咲が声を上げる。


「それで、あからさまにそれが死因であると欺いた……それがあの血塗れのバスルームの正体か!」


「恐らくは。ですが、そうなると話は変わります。」 


 空気が凍りつく。

 この場にいる三人の表情が青ざめる。

 自殺だと信じて疑わなかった美咲でさえ、この事実に戦慄しているのが見て取れた。


「じゃあ……なにか……? やっぱり、渋谷のヤツが殺した、ってのかよ……?」


「いいえ、そこまでは、まだ。ですが、この疑問を晴らさぬ限り、蜜峰さんが自殺であると断定することはできないでしょう。そして、これがもし殺人事件であったなら、手ぶらでこれらの工作を行うことはできませんので、美咲さんの容疑はひとまず解消された―――とみて良いとは思われます」


「いや、まあ……そりゃ、アタシからすればそんなもんはわかりきった事実ではあるが。だが、やっぱり渋谷がやった……なんてのは、にわかには信じられん……」


「わたくしだってそうですわ。蜜峰さんが殺された、などという事実は認めたくはありません。しかし、真実から目を逸らすわけには参りません。わたくし達は、この事件を必ず解決しなければならない。それがもし渋谷さんを疑い、その結果、裁くことになったとしても」


 そんな百合花の苦い言葉に、美咲は目を逸らしながら黙り込む。


「倉敷さん。わたくしにも現場を確認させて頂いてもよろしいかしら。素人ではありますが、この目で確認しないことには何も進展しないでしょう」


「いえ、しかし……現場の保全が―――」


「ならば貴女が先頭に立って頂いて結構です。わたくしも細心の注意をもって行動することを誓います」


 倉敷はしばらく考え込んだあと、渋々といった風に、


「……わかりました。くれぐれも死体や現場の物には触れないように、お願いします」


 その返答に百合花は満足げに頷いて、先導する倉敷の後ろから蜜峰の部屋へと足を踏み入れる。


 部屋は暗く、バスルームの中から漏れ出る光が目印となって彼女達を導く。


「……? なぜ、明かりが―――」


 ぼそっと倉敷が呟くと、百合花は何かに気付いたように、


「倉敷さん! 部屋の明かりを点けて下さい!」


「え……ええ、わかりました」


 倉敷は答えながら、手探りでスイッチを入れる。


「な……これは―――」


 目の前に広がったのは、バスルームからリビングに向けて点々と続いている


「まさか―――」


 倉敷の背後にいたはずの百合花は勢いのままに駆け出して、バスルームの中へと飛び込んだ。

 しかし―――そこには、


「おい、どうした? いったい何が―――」


 騒ぎに気付いて部屋へと駆けつけた美咲が、百合花のいるバスルームへと目を向けて、


「おい、百瀬。なにして―――いや、それより……これは。なんなんだよ、おい」


 何もないバスルーム。

 バスルームからリビングへと続く

 その先には、鍵の掛かっていたはずの窓が開いていた。


「蜜峰漓江の死体が、消えていますわ」

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