第7話 突撃!隣のお嬢様
今は無きレベル5お嬢様の十番目。彼女達の中である上下関係を表す『円卓序列』の十位。一年前の時点では一年生、つまり現在でいえば二年―――僕や香菜とは同期ということになる。
香菜はそれだけの情報を提示したが、それ以上は何も言わなかった。黒月という少女は何故この学院から姿を消したのか。そして、三日月絵瑠が彼女であると言い切った理由も。
もっと聞きたいことはあった。だが今日は予定があるということで香菜は一人で出掛けて行ってしまった。
気分の滅入る話が多かったので空気も張り詰めてしまっていたが、出掛ける直前―――
「夕方までには帰るから。夕飯も一緒に食べよーね!」
香菜は不意打ち気味に僕の頬にキスをして、それだけ言って行ったのだった。
お互いの気持ちを曝け出してから吹っ切れたのか。まるで恋人同士のやり取りだな、と僕はどこか冷静な視点で考えていた。
……少し早まってしまっただろうか。確かに香菜のことは好きだけど、こんなに急接近してしまうとは思ってもいなかった。
どちらかといえば、僕のどっちつかずで曖昧なこの気持ちを伝えることで誠意を示すつもりだったのだけれど―――
(まあでも、これはこれで悪くはない、かな)
正直に言えば悪い気はしていない。香菜はかわいいし、僕にとって一番仲の良い相手だ。利用しようとしたことに後ろめたさはあるが、それも彼女は受け入れてくれている。
僕に足りないものを補ってくれるし、誰よりも僕のことを第一に考えてくれる。大切な人だ。できることなら傍にいたい。それならこうなったことも、少し駆け足気味とはいえ必然だったのだろう。
ならば問題はない。
未だに僕は私のことを知らない。私が香菜に対してどんな想いを抱いていたかもわからない。そしてきっと、香菜の中には僕だけではなく、私の存在も含まれているはずだ。
それでも、今は彼女の気持ちを受け入れたい。そう思った。
◆◆◆
さて、それにしても暇になった。
今日は日曜日なので学校もないし、僕の休日の楽しみと言えば一人で部屋に引きこもって読書するか香菜と遊ぶかくらいのものだった。
友達がいないわけではない。
けれどまあ、連絡先を交換して休日に遊ぶほどの相手がいるわけでもなかった。
それって友達じゃなくない? ―――とは香菜の台詞である。
香菜の部屋はとても広く、一通り回ってみたが部屋の数も普通より多い。実際、使われていない部屋があって、そこを僕の部屋として使っていいと言われていた。
持ってくるべきものは大体持ってきたし、部屋に荷物は置いてある。掃除するほど汚れているわけでもないし、整理整頓もきちんとされている。
渋谷香菜という女の子の隠れた性質を垣間見た気分だ。一年間の付き合いでも知らないことはまだまだ沢山あるということなのだろう。
「さて……どうするかな」
思わず独り言を漏らす。
やるべきことはある。けれど何から手を付ければいいのかわからない。
これまでの自分と決別する。
今までの世界から飛び越える。
その為の第一歩は果たした。けれどまだ足りない。ここからが本番なのだ。これがファンタジー世界で僕がそこに転生したとするなら、ここはまだ始まりの町のようなものだ。
(そうだ、えるに連絡してみよう)
百瀬百合花の傍付きとなった彼女であれば、十分強力なパーティメンバーとなるはずだ。仲間は多い方がいいにきまっている。
僕はスマホを取り出して三日月絵瑠の連絡先へとメッセージを送った。
『今どこ?』
短く一言。
もし彼女が近くにいて動ける状態ならば、この部屋に呼び出して話をしたいところだ。
……しかし、返事はこない。
既読もつかないし、今は忙しいのかもしれない。
(……いやいや。大丈夫だろ。少し敏感になりすぎてる)
脳裏に、香菜が失踪した時の記憶が蘇る。
これだけの短時間で返事がこないだけでこれだ。焦りは禁物だとはわかっているが―――
(いや、どうせ暇なんだ。確かめるくらいなら別にいい……よね?)
僕はソファから立ち上がり、身だしなみを整える。
みっともなくても構わない。行動すると決めたのだから受け身になってどうする。自分から動かなければ何も変えられないのだから。
◆◆◆
僕は百瀬百合花の部屋の前へと赴いていた。
香菜の部屋へやってきた時とは比べ物にならない緊張感。
そもそもこの時間帯に部屋にいるかはわからないし、僕のような人間が応対して貰えるかもわからない。
(えるに会いに来ただけ……それだけなんだから……)
自分に言い聞かせながら、胸の高鳴る鼓動を抑え込んで、僕は勢いのままに呼び鈴を鳴らす。
百瀬百合花の姿を思い出し、あの高みから見下ろすかのような威圧感に耐えながら。
『どちら様でしょうか』
呼び鈴を鳴らしてから数秒後、まるで鋭利なナイフのように鋭く尖った声がインターホン越しに放たれる。
「こ、紅条です。三日月絵瑠はこちらにいますか?」
僕の声は少し震えていたが、思っていたよりはすんなりと言葉が出てきた。
『どういったご用件でしょうか』
どこまでも機械的。まるでアンドロイドのように冷たい口調。業務として必要最低限の言葉だけを放つ―――それは恐らく、あの金髪のメイドだろう。
「連絡しても返事がなかったので、心配になったんです。無事でいるようなら教えて下されば、このまま去ります」
仕事の邪魔はできない。歓迎されているようにも思えないし、これぐらいの線引きが丁度いいと踏んだ、のだが―――
『……は。いえ、ですが。……かしこまりました。紅条様、少々お待ちください』
何やら前半部分は聴こえ辛かったが、誰かと話していたように感じた。しかし、ここで待てということは、ひとまず厄介払いされてしまうことはなさそうだ。
僕は大人しく待っていると、一分も経たない間に部屋の扉が開かれた。
その先にいたのは金髪のメイド。確か名前はクリスさん、だったか。
「お待たせ致しました。百合花様が、お部屋へ案内するようにと仰せです」
「……え? 僕、部屋に入っていいんですか?」
思ってもいなかった展開に思わず動揺するが、冷静に考えればこれは
「……百合花様の気まぐれにも困ったものです。本来なら貴女のような人間を部屋に入れるなど有り得ません」
少し疲れたような表情で溜息混じりに呟く金髪メイド、クリス。どうやら彼女にも人間らしさというものがあるらしい。意外ではあったが、それもそうかと思い直した。
「大変ですね。自分からやってきて言うのもアレですけど、僕もあなたと同じ立場だったらきっと胃が保たないと思いますよ、クリスさん」
僕が同情混じりに言うと、クリスはハッとした顔をして、
「ワタシの名前を……?」
「え。いやだって、百瀬先輩が呼んでたでしょ?」
「なるほど、これは失礼を。では参りましょう。ああ、それと―――」
部屋へと招き入れられる直前、僕の見間違いでなければ、クリスは口元を緩ませ、眉を下げて、ほんのわずかに笑みを浮かべてこう言った。
「愚痴を漏らしてしまったこと、百合花様には内密にして下さりますよう」
◆◆◆
そうして部屋の中へと足を踏み入れた僕を待っていたのは、想像もつかない光景だった。
「ようこそ紅条さん。あら、渋谷さんは一緒ではありませんのね」
「ほむらさん! ごめんなさい、ついさっきメッセージを見たばかりで……」
そこには確かに二人の少女がいた。
百瀬百合花と三日月絵瑠。
顔を見ればすぐに判断がつく。
だが、僕が驚いたのは―――
「……? 紅条さん、どうかしまして?」
「いや、えっと……どこからツッコめばいいのか」
僕は今日、初めて百瀬百合花という少女の姿を目撃した。
だからこそ、この光景はあまりにも異様と言わざるを得ないもので―――
「ワタシはお茶の準備をして参ります。紅条様、くれぐれも粗相のないようお願い致します」
クリスは何も言及することなくその場から立ち去った。お茶がどうとか言っていたが、あれは間違いなく面倒になって逃げたのだ。今の僕にならそれくらいはわかる。
「どうしたんですか、ほむらさん?」
えるは呆然としている僕を見て少し心配そうな目をしていた。
……ああ、なるほど。彼女は記憶を失ってから今までずっと閉じ込められていたし、何を見たって驚くよりも感心するタイプの人間だ。
僕だって同じような境遇ではあるが、圧倒的に人との関わりは持ってきたし、学院に通う手前、それなりの一般常識くらいはある。
しかし、これは別だ。
こんなものが許されてたまるものか。
僕の中のお嬢様に対する常識、イメージがガラガラと崩れていく音がする。
「だってそれ……それさ……それはさあ……!」
僕は震える指先を百瀬百合花の下半身に向けて、
「なんでパンイチなんすか先輩―――!!」
―――そう、百瀬百合花はパンツしか穿いていなかったのだ!
上半身は少し大きめのシャツ一枚だけ。髪の毛なんて縦ロールがほどかれて乱雑になっている。
何よりソファに寝転んでこちらを上目遣いに見上げている―――!
「だってここ、わたくしの部屋ですわよ?」
「……、はい?」
すっとぼけた顔で、それが当たり前だと言うように、百瀬百合花は寝転んでいた身体を起こしながら、
「あー、まあ確かにこんな格好でお客様をもてなすのはナンセンス……いやでも面倒くさいし……」
ぶつぶつと独り言を言いながら、百瀬百合花は僕の傍までやってくる。フラフラと、どこか気怠そうに。
「ここはわたくしの領域、プライベートテリトリー。ですので、貴女もそれに従って頂くのが当然だと思いますけれど如何です? はい論破」
いやいやいや、ちょっと待て。
ジェットコースターで急降下するぐらいの勢いで僕の中の百瀬百合花像が崩落していくのだが。
「っていうかこの話し方も面倒くさい。堅苦しい会議の場でも公務の場でもないんだから、
「百合花さん、わたしもパンツだけっていうのはちょっと……ほむらさんの前だし……」
えるがこちら側に加勢するように口を挟む。
僕がいなければそれでも良いのか? というツッコミは抑えておくとして。
「わたくし、
ぎろり、とえるを睨み付ける百瀬百合花。
初見は精巧な人形のようだと思ったものだが、こうして表情豊かに話す彼女はどこまでも人間のそれだった。
驚きはした。今でも現実を疑ってはいる。
けれど、そんな彼女の姿は、僕からすればとても好印象で―――
「は―――ははは! なるほど、そっか。それが本当のあなたなんだ。……うん。なんていうか、良いと思うよ。僕は好きだな―――はははは!」
吹っ切れた。ありのままを受け入れてしまえば緊張なんかどっかに行ってしまった。
「穂邑さん―――」
そんな僕を、目を丸くしながら見つめている百瀬百合花。彼女がぼそりと何かを呟いたようだったが、自分の笑い声で相殺されてしまってよく聴こえなかった。
「いやでも、えるが無事で安心したよ。連絡返ってこないからさ。まあ、今思うと心配しすぎだとは思うんだけど。恥ずかしい」
「ごめんなさい。でも、わたしなら大丈夫です。百合花さんが一緒にいてくれますから」
えるが微笑みながら喜ぶように声を弾ませて言うと、百瀬百合花が得意げな表情をして、
「当たり前ね、わたくしを誰だと思っているの。貴女は絶対に守り通すわ。百瀬百合花の名にかけて」
なんだか、とても年上とは思えないほどに無邪気で―――けれど、持ち合わせた気品のようなものは決して薄れることはないようで、やはりこの人は百瀬百合花なんだ、と思わせる。
まあ、パンイチなのに変わりはないけれど。
「さて。それじゃあ、少しお話でもしましょうか。この子の心配をしにきただけではない……そうでしょう、紅条さん?」
そして一瞬でお嬢様モードへと切り替わる。
あまりに自然すぎて圧倒されてしまうが、それが彼女の本質なのだろう。
「そうだね。せっかくだから訊きたいことは全部訊いておきたい。お茶の用意もしてくれているみたいだし。……ね、クリスさん?」
背後に気配を感じていた僕が振り返ってそう言うと、案の定、そこにはお茶の用意を持って立っているクリスの姿があった。
「あら、来てたなら早く準備しなさいクリス。せっかく紅条さんが来てくれているんだもの、少しでも長くこの時間を楽しみたいわ」
「はあ……かしこまりました」
こうして。
僕、百瀬百合花、えるの三人による、どこか異質なお茶会が始まったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます