第5話 僕と彼女の恋愛事情

 ―――渋谷香菜しぶやかな

 僕と同じく茨薔薇女学院に通う二年生。

 祖母が会長を務める渋谷財閥の庇護を受けている正真正銘のお嬢様。


 茶色の髪をお団子のように纏めていて、同年代とは思えないほど幼さの残る顔と体型。初見だと小学生に見間違えてしまうほどである。


 成績優秀であり、同学年の中では常に順位トップ近くを維持し続けている。

 性格も人当たりがよく笑顔を絶やさない。誰とでも仲良くなれるコミュニケーション能力を持ち、学院内で彼女のことを知らない生徒はほぼいない。


 僕との馴れ初めは中学時代、同じ学校に通っていた時だったらしい。記憶喪失である僕にその頃の記憶はなく、あまり話を聞いたこともないので詳しいことはわからない。

 確かなことは、渋谷香菜にとって紅条穂邑は友好の対象であるということであり、


死の淵で諦めていた僕を身を呈して救い出し―――

身寄りのない僕を自らの貯金を崩して保護し―――

毎日のように僕と連絡を取り登下校を共にし―――

僕の身だしなみや生活態度を注意してくれる―――


 普段からこれが普通なのだと感じていたし、一年も共に過ごしてきた僕からしてみれば、過去の記憶がなくても彼女は間違いなく親友と呼ぶべき存在であった。


 けれど、最近になって気付いたことがある。

 これは目を背けていたわけではなく、本当にまったくもって察することができなかった事柄ではあるのだが。


 ―――香菜って、僕のこと好きすぎでは?


  ◆◆◆


 僕―――紅条穂邑こうじょうほむらは女である。

 それは紛うことなき事実であるが、それに対して心のどこかで嫌悪感がある。その正体は理解できないが、記憶を喪う以前に『私』になにかあったのではないかと推測している。


 女であるからには男を愛すべきだというのが一般的な常識だとう。それを間違いだとは思わないし、子孫を残すため―――生物としての本能としてはそれが正解だ。

 けれど、僕にとっては一年前から今までの記憶こそがすべてであり、それらによって形成されているのが今の自分なのである。


 一年前。

 謎の黒服達による襲撃の時、僕はもうひとつの『私』を知った。

 それはことだ。


 それから幸いにも男性と接することなく茨薔薇女学院へと復学することになり、今の僕の人生、その世界観において人間とは女性だけを指すものとなった。

 生徒だけではなく教師や従業員に至るまで、すべて女性だけで構成されている至高の楽園である。まるで僕のためにあるような場所だ、と心の底から喜んだことを思い出す。


 そんな場所でおよそ一年間。

 たまに敷地を抜け出して遊びに出掛けることもあるけれど、人混みの多い場所は避けてきた。

 僕のお気に入りは深夜のコンビニで、店員とやりとりすることなくセルフレジで会計を済ませられるので重宝している。


 さて。こんな僕ではあるが恋愛に対してまったく無頓着なわけではない。

 基本的には他人に興味がないので誰かを好きになったりすることはないのだが、ごく稀に好みな相手を見つけたりはするものだ。もちろん、女性限定で。


 そう、僕が恋愛対象にするのは同性なのである。

 可愛いとか綺麗だとか思うだけなら別に普通なのだろうけれど、僕の場合は完璧に性的な対象として捉えることができる。

 とはいえ未だに誰かと付き合ったりしたことはないし、この事実を明かしたこともない。


 それでも、他人から―――特に同じような趣向の人間からすると、なにか察するものがあるのだろう。そういう類の女子に何度か告白されたことだってある。まあ、すべて断ってはきたけれど。


 一般常識はわかる。女は男を愛するべきだとわかっている。でも無理なものは無理なので仕方ない。

 そういうわけでどこか後ろめたい気持ちがあるのだろう。これまで行動に起こしたことはなかったし、これからもずっとそうするつもりだった―――そのはずなんだけれど。


 つい最近、事件が起きた。

 蜜峰漓江みつみねりこうが作成した媚薬によって、僕は彼女に対して内なる性欲をあらわにしてしまったのだ。

 改めて思えば、初めて会った時からそのには気付いていた。人の五感が真っ先に反応するのは嗅覚だと言われている。つまり、あの時点で僕は彼女にやられていたのだろう。


 ただ、彼女自身に魅力があったのも事実だ。

 基本的に僕の好きなタイプは『女の子らしい女の子』なので、蜜峰さんのようなお嬢様の見本とも呼ぶべき女の子はハッキリ言えば好みだった。それが相乗効果を生んだ結果がアレだったと言えるだろう。

 なので、あの事件に関しては―――確かに媚薬によって後押しされた感はあるものの―――自分の性癖が招いた結果であったのだと今は自覚し、反省している。


 けれど、その一件によって僕は確信した。

 僕は確実に女の子を性的な対象として捉えている。そして今、それがとある人物に向けられているという事実に気付いてしまった。


 それはもしかしたら勘違いなのかもしれない。成り行きでそう思い込んでしまっているだけかもしれない。

 それが僕だけの感情であるならまだ抑え込むこともできた。けれど、そうではないかもしれないと思わせる要因があった。


 ずっと見ようとしなかったこと。真実を明らかにしたいのなら、僕はそれと向き合う必要がある。


 この胸に燻る感情の正体を見極めるために。

 そして、彼女の感じているものが同じものであるかどうか―――それを知りたいと思った。


 ◆◆◆


「というわけで、ルールを決めます」


 円卓会議直後、香菜の部屋にて。


「ルール」と僕は短く反復する。


「そう、ルール。ほむりゃんがあたしの部屋で暮らすのなら、ルールを守って規則正しい健全な生活をしなければなりません!」


 香菜はらしくもない丁寧口調で述べる。


「健全」僕はタスクを繰り返す機械のように相槌を打つ。


「まず初めにあたしは料理ができません。食事はいつも学食かレストランです。なのでこの部屋には食材とか一切ありません!」


「料理」懲りずに僕はインコのように真似―――って、「いやいやちょっと待って! 今なんて言った? レストランって言った!?」


「言わなかったっけ。この階にはレベル5専用のレストランがあるんだよー。自分で作って食べてる人なんかほとんどいないよー」


「あの噂は本当だったのか……っ! いやそんなものがあったら確かに甘えるのはわかる。けどこれはそういう問題ではなーい!」


 僕が激しく騒ぎ立てると、香菜は少し狼狽えて、


「じゃ、じゃあどういう問題なの……?」


「僕が香菜と一緒に住む以上、これからは自炊です。食材がないなら仕方ないので今日中に申請します」


 この学院は基本的に寮で生活することも学業の一環として扱われている。掃除、洗濯はもちろん、自炊も家事のひとつなのである。


 食材や機材に関しては、きちんとした手続きを踏んで申請すれば学院側から提供されるシステムになっている。

 かといって申請してすぐというわけにはいかないので、一週間は我慢しなければならないだろうが―――


「そ、それって、ほむりゃんが料理してくれるってこと?」


「同棲するなら役割分担しなきゃね。香菜が決めたかったルールってやつ、ようはそういうことでしょ?」


「そうなんだけどぉ……あたしのレストラン生活……」


 香菜はまるで叱られた子犬のように縮こまる。なんだこの小動物、かわいいかよ。


「炊事は僕が担当するとして……掃除、洗濯、書類整理……まあ色々とあるものを半分こして分担しよう。まあこれは香菜に決めてもらうとして―――」


 同棲に際する問題点。

 互いに許容できる範囲とそうでない範囲を認め、それを理解し合い、切り捨てるべきものは切り捨てる。

 ようは相手の嫌なところを我慢するのではなく、最初から無理なものは無理と伝え合うべきだということだ。


「香菜に確認しておきたいんだけど、夜ふかししたりたまに外に出たりするのは許せる?」


「うーん……まあ、物音立てないなら……って、ほむりゃんそんなことしてんの?」


「お風呂上がりに真っ裸で歩き回るのは?」


「ええ……? いや、それはあたしがいない時だけにしてもろて……」


「香菜の布団に潜り込むのは?」


「それは! 絶対!! ダメです!!!」


 残念ながら駄目らしい。

 勢いで許して貰えるかも作戦は失敗である。


「ていうかさ、えーっと……ほむりゃんって、なの?」


「そう、とは?」


「いやっ、だからー! 昨日のこともそうだけど、さっきも……その……アレだよアレーっ!!」


 恥ずかしくて上手く言葉にできないようだ。


「アレじゃわからんなあ」


「ぐぬぬ……ほむりゃんのバカぁー!」


「冗談だよ。まあ香菜が何を言いたいかはなんとなくわかる。昨日のことについては僕が悪かった。ごめん」


「え、いや、謝って欲しいわけじゃないけど……」


「少なくとも今の僕はみたい。なんとも言えないことではあるけど―――はっきり言ってしまえば、僕は香菜が気になってる」


 それが僕の素直な気持ちだった。

 好きか嫌いかで言えば間違いなく好きだし、キスしろって言われたらできるくらいには愛しくも思う。けれど、それが本物の恋愛感情であるかどうかは―――


「こればっかりは僕にとって初めての出来事だから勘弁して欲しい。蜜峰さんがしたことは許されるべきではないけど、僕だけは彼女に感謝しなくちゃいけないかもしれない」


「でも、あたしとほむりゃんは……」


「うん。僕はともかく、香菜はそう簡単に受け入れられないと思うんだよね。だからすぐに答えを出して欲しいわけじゃなくて―――」


「あ、あたしはほむりゃんのこと好きだよ! ずっと、ずっと前から……!」


 その目は、僕の記憶の中にあるもの。

 決して僕自身に向けられることはなかった、それでも僕にとってはかけがえのない思い出で―――


「うん、嬉しいよ」


 僕は思わず香菜を抱きしめていた。

 とても小さな身体。華奢で繊細で、今にも折れてしまいそうなもの。尊き少女。僕は彼女を愛している―――それは、本当に?


「あったかい。胸の高鳴りが聴こえてくる。どきどき、してる」


「…………」


「好きだよ。本当に。僕にとって親友と呼べるのは香菜だけだ。それは偽りのない事実だよ。だけど―――」


 それでも、きっと。

 彼女の心はここにはなく、僕の想いは決して届くことのない虚ろなものだから。


「―――本当は、僕にもわかってないんだ」


 身体を離す。彼女はこちらを潤んだ瞳で見つめている。


「ほむりゃん……?」


「まあ、僕ってこんなだからさ。本当の自分なんてまったくわかんないし、今までずっと考えないようにしてきたんだよね」


「でも、それは記憶が……!」


「うん。だから、結局わかるのは今の僕としての気持ちだけなんだ。でもさ、僕は紅条穂邑だ。


 それが紅条穂邑という人間の本質。

 自分を知らない人間が自分を信じられないなんて、そんなのは当たり前のことだった。


「まあ、そんなに悲観的にはなってないんだ。香菜と一緒に住みたいと思った本当の理由はそれでさ。見るべきものを見る、知るべきものを知る。僕はこれからそうするって決めたから」


「それは……どうして?」


「どうしてかな、これもよくわかんない。単なる気まぐれかもしれないし。でもそれでいいでしょ? 僕にしてはめちゃくちゃ前向きだなって自画自賛してるよ」


「あはは、なにそれ」


 僕が笑いながら言うと、香菜もつられるように微笑んだ。


「でも……うん。それならせめて、あたしだけはハッキリさせなきゃダメかぁ」


 香菜はそう呟きながら、なにかを決意したようにこちらを見つめて、


「香菜、どうし―――んむっ!?」


 ほんの僅か、刹那の時ではあったけれど。

 香菜は僕の首に手を回し、頭を引き寄せるようにして、それから―――


「あたしはほら、ぜんぶ覚えてるからさ。だから、わかるんだ」


 ―――自信いっぱいに笑顔を浮かべて、そんなことを言ったのだ。

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