第2話 飛び越えるために
「あたしと一緒に住むうぅぅぅぅぅ!?」
僕の提案を聞いた香菜はひっくり返るぐらいの勢いで叫んだ。
そう、僕の考えた作戦その一。
それはレベル5のお嬢様である香菜と生活を共にすることで始まるのだ―――!
「ルームシェア出来るくらいの部屋の広さはあると見た。どうですか、お嬢様?」
僕は至って真面目なのだが、香菜はまるで珍獣でも見るかのような蔑みの込められた目を向けて、
「ムリムリムリー! あのねえ、遊びにくるだけならまだしも住むって! そんなの生徒会長が許すわけないじゃーん!?」
「ふむ。それなら生徒会長を説得すれば良いのではないでしょうか、お嬢様」
「誰が!? あたしが!? イヤです!!」
「それなら二人でやりましょう、お嬢様」
「っていうかさっきからその喋り方なに!?」
これでも精一杯、誠意を込めて接しているつもりなんだが、どうやらこのお嬢様はお気に召さないらしい。
「香菜は僕と一緒に住みたくないんだ……」
落ち込んだ様子を装うため、僕はその場に蹲る。そして、この時の為に用意した目薬をこっそり取り出して目元に付けた。
「そ、そんなことないけど……えっ、ほむりゃん……泣いてる……?」
ほれほれ、惚れた女の涙だぞ。これはもうクリティカルヒットに違いない。
「僕は香菜と一緒にいたいだけなのに……」
「あわわわ……えーっと、その……でも生徒会長はなぁ……いやでもほむりゃんがそこまで言うなら……」
「えっ、マジ!?」
「……おーい、嘘泣きなんて技術どこで覚えたのかなー?」
しまった、やらかした。
慣れないことはするものではない。
「はぁ……冗談じゃないってのはわかるけどさぁ、いったいどういうつもりなの?」
僕がこんな行動に出た理由。
もちろんちゃんとした意味がある。これから僕が進んで行くにあたって必ず重要なファクターとなる行為だ。
それを彼女に理解して貰うにはそれなりに長い話になる。なにより、ある意味これは
「香菜が好きだからだよ。愛してる。一緒にいよう」
「はいウソー、それぐらいあたしだってわかりますぅー」
「昨日の熱いキスを忘れたの……?」
「ここでその話持ってくる!? もっと大事な話じゃなかったっけそれ!?」
いや、決してふざけているわけではないのだ。それだけは理解しておいてほしい。
「……はじめて、だったのに」
香菜がそう呟きながら目を背ける。
昨日も思ったが、香菜って実は結構かわいいのでは?
「もしかして嫌だった? その割には舌とか普通に絡めてきたような……」
「あーあー、聞こえないー! その話はもうやめてぇー!」
よし、弱みを見せた。一気に攻勢に出るぞ。
「ところで、蜜峰さんとはどこまでヤった?」
「はい降参! わかったから、とりあえず真面目に話聞くからー! だからもうほんとにその話だけは禁止ーっ!!」
レベル5のお嬢様、撃沈。
ふむ、恥も外聞も無くしてしまえば僕もなかなかやれるじゃん。
◆◆◆
そうして、僕は香菜の部屋に案内された。
正直に言おう。
思っていた三倍は広いぞこの部屋、ふざけんな金持ちお嬢様。
それとも一階の部屋だけ極端に狭いのか?
どちらにせよあからさまだった。
「テキトーに座っててー」
香菜は僕をリビングまで案内すると、そのまま隣の部屋まで消えていった。
初めて部屋に訪れたにしては、どこか居心地の良さを感じる。まるでここに住んでいたことがあるかのような安心感。
いや、違うのか。もしかして、僕は昔にここへ来たことがあるんじゃないだろうか。
僕は持っていた荷物を床に置くと、明らかにオーバー気味なサイズのソファに腰掛ける。僕の部屋にあるようなものとはまったく違う。
これが持つものと持たざるものの差、ということだろうか。
リビングの外側面には大きなガラスの窓がある。まだ朝の九時過ぎ。天気もよく、眩しい朝日が部屋の中を照らしている。
そんなリビング自体は特に散らかっているわけでもなく、テーブルの上にパソコンやプリント用紙が乱雑に置かれている程度のものだった。
(香菜ってキレイ好きなんだな。あの性格だし忙しいだろうしで、もっと汚いかと思ってたけど)
僕はそんなことすら知らない。
そう考えるとやっぱり苦しくてたまらなかった。
「お待たせ。とりあえずお茶持ってきた。好きなのアールグレイで合ってたっけ?」
そこへ香菜が両手にお盆を持ってやってくる。その上にはティーポットとカップがふたつ。さらに砂糖やミルクまで乗っていた。
「お嬢様!!!!」
「うわっ、ちょっ、ビックリさせないでよー!」
そうなのだ。渋谷香菜はお嬢様なのだ。
こんなのでもすごい家柄の御令嬢なんだ。
「なんか失礼なこと思ってない?」
「いえまったく、ははは。いただきます」
僕はテーブルの上に並べられたカップにお茶を注ぐ。そしてミルクを少量と、角砂糖を三つほど。
「あはは、甘党なのは相変わらずなんだねぇ。なんだか不思議な感じ」
「もしかして、以前の私ってこんな感じだった?」
記憶を失う前の『私』。
香菜がもしその面影を見たのだとすると、自分のことでありながら少しだけ嫉妬する。
「あれ、ほむりゃん、今『私』って……」
「ああうん、わかりやすいでしょ? いちいち『昔の自分』とか言うのも面倒だし」
「そっか。ふーん、なるほどねぇ」
「え、なに?」
なぜか香菜がニヤニヤしているのだが、まったく意味がわからない。
「いやー、あのほむりゃんがねぇ。うん、それならあたしも頑張らないとかぁ」
「なんのことかわからないんだけど……」
「まぁまぁいいじゃん。それで?」
姿勢を正し、こちらをまっすぐに見据えてくる香菜。その姿は普段とは一味違う。
「約束したんだし、真面目にお話を聞きましょう」
それは正真正銘、お嬢様としての立ち振る舞いというやつだった。
それなら僕も悪ふざけはおしまいだ。
ここからは真面目にいこう。
罪悪感を紛らわす為のお芝居はもう終わりだ。
「それじゃあ最初に尋ねたい。香菜から見て僕に
僕が淡々とした声色で言うと、香菜の緊張も増してきたのか、少し考えるような素振りを見せて、
「……女の子らしさ、とか?」
「いやまあ、香菜から見たらそうなんだろうけど。いつも身だしなみやらなんやらで注意されてるし。それについては否定しないけどさ」
僕が言いたいのはそういった外見的なものでもなければ、内面的なものでもない。
もっと大切で、これから行動する為になければならない要素だ。
「じゃあ言い方を変えよう。僕が知らないことを知るために、現状もっとも必要なものはなんだと思う?」
「……もしかして、そういうこと?」
香菜はようやく合点がいったように顔を上げて、
「
「それは聞こえが悪いから、せめて『頼ってる』くらいのニュアンスでお願いしたいなあ」
僕に一番足りないもの、それは立場上の
真相に辿り着くために必要な立ち位置。今の僕はそのレールの上にすら立てていない。
記憶もない。頼れる親族もいない。当然、財力も。学院でも勉学や芸術に富んでいるわけでもない。目立たない、そこらへんに転がっている小石、それが僕だ。
ならば手に入れるしかない。
僕一人でそれが不可能ならば、足りない部分を補う方法を見つけ出す。
その手段のひとつが渋谷香菜という親友の存在であり、彼女にとって僕が特別であるというのならそれを有効活用する。
「ふーん。その図太さは紅条穂邑らしくはないけど、それが今のほむりゃんってこと?」
「僕はさ、もうイヤなんだ。ずっと見て見ぬ振りをしてきた。興味もなかった。けど、時間が経つにつれて色んなことが浮き彫りになってきた。その度にイヤな気持ちになった。でも僕はそれを仕方のないことだって自分に言い聞かせてきた」
ああ、そうだ。親友を利用する。それはとても醜く浅ましい行為。下手をすれば縁を切られてしまうほどの賭けだ。
それでも、もう決めたことだから。
「僕がここから先に進むには今までの全部をひっくり返さないといけない。ずっと逃げ続けていた現実に立ち向かう為に、僕は、
せめて、彼女達と同じ視座に立つ。
そうしなければ変わらない。目の前にある壁を乗り越えられない。そのためには翼が必要だ。
「ほむりゃんの言いたいことはよくわかった。けど現実問題、あたしと一緒に暮らしたってそれが叶うかどうかはわからないけど?」
「もちろん。香菜の協力は必要不可欠だけど、それだけでなんとかできるとは思ってない。あくまでここはスタート地点なんだ」
「まぁ、正直に言えば頼られて悪い気はしないよ。あたしって甘いからさぁ、実際は利用されるんだとしても、それがほむりゃんなら全然オッケーだし。一緒に住むっていうのは、その、未だにちょっと抵抗あるんだけど……」
香菜はまた顔を逸しながらそう言った。
「い、イヤってわけじゃくて! なんていうかさぁ、心の準備ぐらいさせて欲しかったっていうか……」
「香菜は可愛いなあ」
「ちょっ、真面目な話してたんじゃなかったっけ!?」
冗談を言って緊張した空気をほぐす。
結局のところ、これは香菜の気持ち次第なのだ。
「ああごめん、でも誤解のないように言っておくけど、香菜と一緒にいたいのは事実。というか香菜以外と同居なんて多分ムリだし」
これは心からの本音だ。
えると少しの間だけではあるが共に暮らした感想としては、とても理性が保ちそうになかったし。
頼れる人間が他にいないのは間違いないが、香菜でなければこんな発想にすら至らなかっただろう。
「え……うん。それは、嬉しいんだけど―――」
香菜は頬を赤らめてぼそぼそと呟いて、
「あー、もうわかった! 負け負け、あたしの負けですー! というかほむりゃんの頼みとかフツー断れないじゃん、ズルいよねもう!」
「え……本当に良いの、香菜?」
「良いっていうか、あたしは覚悟決めたけど実際に許可を出せるのは生徒会長だからね。そこをクリアしなきゃいけないことに変わりはないんだから、それは理解してよ?」
「うん、もちろん! ありがとう香菜!」
僕は喜びのあまり思わず香菜の手を取る。
両手で握りしめていると、昨日の出来事が思い浮かんできて―――
「ちょ、ほむりゃん……近っ……」
香菜が目を丸くしてこちらを見ている。
頬は相変わらず赤くなったままで、どこか緊張しているようにも見えた。
もしかして、ずっと意識されてた……?
「香菜……」
名前を呼ぶ。
それだけでぴくりと震える香菜の身体。
なるほど、僕の親友はこんなに可愛かったのか。今までそんな目で見てこなかったから余計に新鮮な気持ちになる。
これもまた僕の知らないことだ。もしかしたら私は知っていたのかもしれない、けれど決して僕の知らなかった香菜の素顔。
好奇心が背中を押すように、僕の身体は香菜の方へと寄っていく。
「ほ、ほむりゃん……だって昨日のアレは……え、ウソ……だよね……?」
戸惑いながら身動きの取れない彼女の腕を掴み、こちらに引き寄せる。
僕は至って冷静だ。媚薬の成分が身体に残っているわけでもない。たぶん。
「あたしは……でも、それで……あなたは、本当に……?」
香菜がなにか言いたそうにしているが構わない。
僕の知らない彼女の隠れた部分。
それを、すべてさらけ出して欲しい。
「ほむら……ちゃ……」
二人の顔が近付いていく。
気付けば互いに目を見つめ合って―――
その時。
部屋の中にインターホンの音が鳴り響いた。
「あわわわ、ほ、ほむりゃん! お、お客様みたいです!」
何故か敬語になる香菜。
雰囲気は完璧だったのに。誰だよ邪魔したやつは。許さんぞ。
「はいはーい、どなたですかーっ!?」
香菜は逃げ出すように玄関の方へ走っていった。
うーん、やっぱり香菜って
「あれっ、まさきちじゃん。どしたのー?」
向こうで香菜が誰かと話している。
少し気になったので、せっかくだから同居人アピールよろしく挨拶のひとつでもしに行くか。
そんな軽い気持ちで僕も玄関へ向かうと、そこにいたのは見知った顔だった。
「大変だぜ、ついさっき連絡が……ってオイ、そこにいやがるのは紅条か?」
クラスメイトのヤンキー女であり、ついさっき素性を知ったレベル5のお嬢様。そんな彼女が訪ねてきていた。
「昨日ぶりだね摩咲ちゃん」
「ちゃんじゃねぇブッ飛ばすぞ! ああクソ、なんでオマエが……って、ああそうか。香菜とは
摩咲が茶化すように言うと、香菜は顔を真っ赤にして、
「違うからー! お願いだから、その噂だけはホントに勘弁してーっ!」
「そんなに強く否定しなくてもいいのになあ。さっきだってめっちゃいい雰囲気だったのに……」
「ほむりゃんは黙っててー!!」
なんともまあ、散々である。
しかし、いったい摩咲はこんな時間になにをしにきたのか。さっきの様子だと何かが起きたみたいだが―――
「ああそうだ、それどころじゃねえ! 大変なんだよ香菜!」
「た、大変って……だから、なにが?」
摩咲は深呼吸をして、まるで重大な報告だとでも言うように、少し間を空けて高らかに宣言する。
「―――
それは、聞き間違いでなければ。
僕にとって、決して見過ごすことのできない名前だった。
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