第9話 真実の在処
あの事件から一夜が明けて、次の日。
日曜日なので学院は休みだが、僕はいつもより朝早く目が覚めていた。
(ふう、それにしてもよく寝たなあ)
昨日はとにかく疲れに疲れた一日だったせいか、まともに食事もしないままベッドに倒れ込んですぐさま眠りについたのだった。
あれからみんなはどうしているだろう。
香菜、船橋さん、摩咲、寮監の人、そして蜜峰さん。
まさか今回の事件の犯人が彼女だったなんて、未だに実感が沸かなかった。
当事者である香菜や船橋さんにはまだ詳しい話が聞けていないし、摩咲ともあれから連絡を取っていない。
蜜峰さんの連絡先はまだ残っているが、本人は今頃なにかしらの処罰を受けているはずだ。消してもいいものだったが、どうしてか僕はそうしなかった。
だって腑に落ちない。彼女がどうして香菜や船橋さんを監禁する必要があったのか、それが理解できない。
研究の成果を試したかった。それが媚薬だった。だから他人を誘い込んだ。そして閉じ込めた。
それだけの単純な話には思えなかった。なにか別の要因があるのではないか、と。
(いつかもう一度、話したいな。彼女と)
とは言え恐らく退学で済めばいい方だ。もしかしたらもう二度と会うことはないかもしれない。
とにかく今日は香菜が部屋に来ることになっている。昨日までの出来事について色々と聞き出すつもりだった。
昨日の香菜との行為を思い出す。
その度に後悔の念が押し寄せる。
あんなことになったせいで今までろくに話もできていない。本当は今日ここで会うことにも抵抗がある。
けれど、真実は明らかにしなければならない。
そうしないと、どこまでいっても僕はずっと納得できないままだ。
(そういえば、えるは元気にしてるのかな……)
僕はふと思い至って、えるの連絡先にメッセージを送ることにした。
あの事件とは関わりのない彼女と話せば、少しは気が紛れるかもしれない。そう思った。
『おはよう。起きてる?』
短く、それだけのメッセージを送る。
すると既読がすぐに付いて、そのまま返信がくる。
『おはようございます。どうかしましたか?』
こうしてえるにメッセージを送るのは最初に連絡先を交換したとき以来だ。
『声聴きたい。電話してもいい?』
なんともまあ面倒くさいやつだな、と自分で思いながら送信。
『嬉しいんですが、今お客様がきてるんです』
お客様、だって?
まだ学院に登校すらしていないのに友達ができたのか?
『お客様って誰?』
しつこいとは思うが気になるので聞いてみる。
『百合花さんです』
「ええ!?!?!?」
思わず声が出た。
いやいや、どうして生徒会長がえるの部屋にいるんだ?
僕でさえこの一年間、会ったことすらないのに。そんなことが、まさか。
『なんで生徒会長がいるの?』
『今、それは言うなって言われました』
いやまあ確かにえるは特殊な立ち位置だ。僕よりも特別扱いを受けていると思ってもいい。百瀬百合花が直接関わっているのだとは思っていたけれど、やはりそうなのだろうか。
『ごめんなさい。大事なお話らしいので、また後で電話しますね』
最後まで丁寧な対応をしてくれたが、これ以上の追求は難しそうだ。
「はあ……なんなんだ、くそっ!」
僕は苛つきを抑えきれなかった。
もちろんえるに対してではない。生徒会長にでもないし、香菜や他の誰にでもない。
この状況。
何もわからない不明瞭な出来事が立て続きに起きて、それらがどれも納得できないことばかり。
(結局、僕はなにも……)
そうだ、僕だって気付いている。
えるが学院に通うことになったのも、香菜や船橋さんを助けたことも、全部上手くやれたつもりでいたけれど、それは決して僕の力によるものではない。
僕はただ流されていただけだ。
真実を知ることもなく、ただそこにいるだけの端役だったに過ぎない。
この苛立ちは、悔しさは、やるせのない憤りは、行き場のない感情は。
他の何者でもない、自分自身に向けているものでしかなかったのだ。
巻き込まれただけで、自分でなにかを解決したわけじゃない。今だって真相を知らないままなのだ。この焦燥感の正体はそれなのだ。
ミカエルと名乗る少女。そんな彼女が地獄と呼ぶ場所とはなんなのか。三日月絵瑠としてこの学院に匿われることになったが、根本的に解決できたわけではない。
香菜や船橋さんが被害を受けた事件、三峰漓江による犯行の真相もまだ僕は知らない。摩咲と寮監はなにかしらの繋がりがありそうに思えたが、それさえ知らないままだ。
学院にいた黒服集団のことも未だに謎のままだ。結局、昨日の事件とは関係なかったのだろうが、それが異常事態であったことに変わりはない。
そして、生徒会長である百瀬百合花。
彼女はどうして僕の前に姿を現さないのか。それとも僕はすでに会っている上で覚えていないだけなのか。
喪われたもの、過去の記憶。
香菜との想い出も僕には一年分のものしかない。彼女は変わらず接してくれているのかもしれないが、以前はどうだったかなんて僕にはわからない。
(いや、そうじゃない。そうじゃないんだ)
そう、違うのだ。
知らないのではない、ただ知ろうとしなかっただけだ。心のどこかで拒絶していたからこそ真実に辿り着けなかった。
目を背けていた。喪ったものを取り戻したその時、僕が本当に今のままでいられる自信なんてない。
―――興味がない?
―――今と昔は違う?
そうじゃない、怖いだけだ。
一年前。炎の中で死を受け入れた刹那、あの時は確かに恐怖なんてものを知らなかった。このまま死んでしまってもいい、なんて本気で思っていた。
けれどそうじゃない、僕はもうあの時とは違う。
短いとは言え、僕には一年分の記憶がある。自分がある。意志がある。確固たる己の意識が存在している。
だから、きっと。
僕がずっと感じているこの感情は、そういうことなんだ。
(そろそろ、覚悟しなくちゃいけないのかもしれないな……)
逃げ続けるのはもうおしまいにしよう。
まずは目の前にある壁を一枚ずつ乗り越える。そうして立ち向かわなければ、いつになってもこの気持ちは彷徨い続けてしまうから。
まずは香菜から色々と聞き出す。
それだけじゃない。
えるのことも、百瀬百合花のことも、わからないことは全部。
解き明かす。
すべてを識り尽くす。
その覚悟をしなければならない。
「見るべきものを見ないから、大切なものを見落とすんだ―――」
声に出して、それを己だけの言葉にする。
たったそれだけの行為ではあったが、それが弱い自分を変える原動力になるかもしれない、そんな願望があった。
そう、ここが本当のスタート地点。
紅条穂邑が、この物語の謎を解き明かす番だ。
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