第6話 反転する意識

 結局、朝になっても香菜から連絡が返ってくることはなかった。


 たまたま忙しい時期が重なったのかもしれない―――なんて、その時の僕はそこまで深く気にすることはなかった。


「どうかな、える?」


 僕は予備の制服をえるに渡し、洗面所で着替えて貰っていた。


 こうなれば正面から直接ぶつかるしかない。

 えるを生徒に紛れさせ、生徒会長室へと乗り込む作戦だ。


「え、えっと……その。ちょっとだけ、胸元が」


「悪かったねえ、貧乳用サイズで!」


 まあ、実際そんなサイズなんてないのだが。

 えるは僕より少し―――そう、少しだけ色々な部分が育っているのだ、うん。


「でも、着れないってことはない、と思います」


 生々しい着替えの音が聞こえてくることはないけれど、防音されている壁越しに彼女の声は微かに聞こえている。

 そのせいか向こう側の様子が想像できてしまうだけに、妙にそわそわしてしまうのは許して欲しい。


「ど、どうですか?」


 洗面所から出てきた少女は制服姿でそう問うて来た。


 やっぱり少しキツそうではある。

 学院に通えるようになった暁には、ちゃんと彼女用の制服を用意してあげないと。


「似合ってる似合ってる。まあちょいキツいかもだけど、少しの間は我慢して欲しい」


「わたしなら大丈夫です。その……頼ってばかりで、申し訳ないくらいで」


「あー、うん。まだまだ道のりは長そうだ」


「???」


 なんとも可愛らしい反応だったが、あえて説明はしないでおく。


 警戒心―――いや、遠慮だろうか。

 まあ、どちらもあるかもしれないが、彼女にとって僕は出会ったばかりの赤の他人でしかないわけで、いきなり信頼しろという方が難しいだろう。


 いやまあ、実のところ、信用されているみたいではあるのだけれど。

 どこまで純粋な子なんだと呆れつつ、やはり心配は尽きない。


 こういうところが保護欲、というか、母性をくすぐられる所以なのだろうか。

 まさか、よりにもよってこの僕が母性とか意識するなんて。


「さて、そろそろ行こうか。今はまだ早朝も早朝、こんな早くに登校する生徒も珍しいから、あんまり他の目につくことは少ないだろうし」


「あの……昨日言っていた、お友達の方は?」


「なんか連絡つかないんだよね。まあ香菜って家柄やら勉学やら友達付き合いやら、地味に忙しい子だから。まあ、香菜無しでなんとかしてみるよ」


「あっ、えっと……その……。いえ……ありがとう、ございます」


 なんだか良くわからない反応だったけど、えるなりに思うところがあるのだろう。


 それはそうだ、心配でないはずがない。

 自分のこれからが掛かっているのだから。


「もし万が一、誰かに話し掛けられたら『最近転校してきた三日月絵瑠です』とか言って適当に誤魔化すこと。僕も出来るだけ口裏は合わせるから」


「えっと、その……嘘、吐くんですか?」


 少し不安そうに。

 僕はどこまでもそういう彼女の在り方に、心の底から感嘆して、


「嘘なんかじゃないさ。えるにとってはこれから、本当にそうなるんだから」


 この言葉が嘘にならないように、なんとしてもこの作戦を成功させなければ―――そう奮起していた。


  ◆◆◆


 茨薔薇女学院、校舎―――生徒会室、目前。


 ここまでは何のハプニングもなく、すんなりと辿り着く事が出来た。


 道中で少数の生徒とすれ違いはしたが、誰も彼もがえるに対して特別疑問に思うような反応は見せず、お嬢様らしく礼儀正しい朝の挨拶を交わしてくれるに留まった。


 まずはほっと一息。 

 しかし、本番はあくまでここからだ。


「えるはこの辺で待っていて。これから会うのは生徒会長、さらには学院長代理まで任せられている人物だ。流石に全校生徒の顔くらいは覚えているはずだし、印象を悪くすることは避けたい」


「でも、わたしも……」


「わかってる。機を見て呼ぶから、その時はお願い」


 僕も、生徒会長―――百瀬百合花とはこれが初対面ということになる。


 緊張はするが、失敗は許されない。

 まずは話が通じる相手かどうかを見極める。どうしようもない相手と判断したら、その時は仕方ないが別の手段を模索すべきだ。

 

 ここで初手からえるの存在を下手に晒してしまう事はとても大きなリスクでしかない―――とまあ、僕はそう考えたのだった。


「わかりました。よろしくお願いします」


「任せて。こう見えても女の子にはモテる方なんだ」


 軽口で気を紛らわせつつ、僕は生徒会長室へ向き合う。


「…………、よし」


 三度のノックをして、反応を待つ。


 そうして、しばしの静寂のあと。

 返事もないまま、その扉が開いて―――そこから現れたのは、黒スーツの女だった。


「ぐ、う―――!?」


 その瞬間、僕を襲ったのは激しい頭痛だった。


 その女性―――いや、少女だろうか。

 髪は長く、胸もあり、身体付きもしなやかだし、それになによりも、


「わたしを見ていきなりそんな顔するなんて悲しいわね。ああ……それとも、頭が痛いの?」


 それは、昨日えると初めて出会った時と同じ―――さらに言えば、最近になって多くなってきた症状だったのだが。


「ああ、そっか―――」


 そうだ。

 多分、これは■にとっての、


「■■■■■■、■■■■■■。■■■■■■■■■■■、■■■?」


 意識が暗転、フェードアウトする。

 最後に彼女が何かを言っていた気がするけれど、この時の僕には聞き取ることができなかった。


 ただ、わかることはひとつだけ。


 己の意識がそこで途切れてしまった、という事実だけだった。


  ◆◆◆◇◇◇


「あら、貴女がここへ来るなんて珍しいこともあるものですわね。お久しぶりです、と言うべきかしら」


「こんにちは、百合花さん。そうだね、一年ぶりくらい?」


「なるほど、そういうことですか。それで、なにかありまして?」


「うん、まあ。ここ最近はずっと任せっぱなしだったから。私がこうして動く必要もなかったんだけど、ひとつのケジメと言いますか」


「ケジメ、と言いいますと?」


「ちょっと任せたい子がいるんだよね。昨日からこっちに来てるんだけど、あの子は少し特殊でさ。連れ帰って貰ってもいいんだけど―――」


「なるほど。その方のお名前は?」


「ミカエルⅩⅢサーティーン。って言っても、これは本名じゃないんだけどね。まあ、会って顔を見ればわかると思うよ」


「なるほど。まあ良いでしょう、詮索は致しません。わたくしも貴女には借りがありますし、女の子ひとりくらいならなんとでもなりますわ」


「ありがと、百合花さん。これで当分の間は憂いなくゆっくりできそう」


「貴女も大変ですわね。こうしてお話するのも一年ぶりですし、とても久しぶりに出ていらしたのでは?」


「まあ、うん。私が出ると迷惑が掛かるだろうし、極力引きこもるようにしてるんだ」


「共存は……できませんの?」


「んー、どうだろ。共存していると言えばしているし。ただまあ、あれが自分の罪を認めない限りは無理だろうなあ。私が、と言うべきかもしれないけど」


「そうですか、残念ですわね。ですが、わたくしがこの学院を建てた理由……貴女をここへ呼んだ意味、それだけは理解して欲しいですわ」


「それはもちろん。ほら、実際こうして通ってるんだし、それで納得して欲しいなあ」


「……はあ、まったく。少しは変わったのかと思いましたが、貴女は相変わらずですわね。まあ、またいつでも顔を見せて下さいな。わたくしは、ここでいつまでも貴女を待っていますから」


「うん、そのうちね。それじゃあ、後のことはよろしく―――」

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