第5話 苦悩と苦痛

「決めた、三日月だ。名前は絵瑠。と言う訳で僕はえるって呼ぶ事にしようと思う。どうかな?」


 僕のあまりに唐突な発言に、少女は唖然としていた。


「ええと……それって?」


「君の名前だよ、わかるでしょ!?」


 半ばヤケクソになりながら、僕は身を乗り出してそう答える。


 ミカエルだとかサーティーンだとか意味がわからない。どう考えても何かのコードネームだ。

 人間を番号で管理するなんてよほどブラックな施設とみた。そりゃ地獄でしょうよ。


 なので僕は彼女に名前を付けることにした。ようは偽名である。

 さすがにこれからずっとミカエルだとか呼ぶ訳にもいかないし、とりあえずの措置として。


 て言うか、なんだよミカエルって。

 確か天使の名前だった気がするけど、よりにもよって天使って。脳内メルヘンにもほどがあるでしょ。


三日月絵瑠みかづきえる。君はこれからそう名乗ること。もちろん記憶が戻れば本名も思い出すだろうから、これは一時的な偽名だと思ってもらえたらいい」


「なるほど、そういう……」


「ていうかさ。もしかして、それが自分の本名だと思い込んでたり、する?」


「そんなことは……でも、それ以外の名前を知らなかったので」


 流石にそれはそうか、と一安心。

 一年前からの記憶しかないとはいえ、あくまでもエピソード記憶だけが失われているだけであり、意味記憶の部分は残っているものとみた。


 ううむ、余計に親近感が湧く。

 まあ具体的にどこがどうとは言えないものの、僕と彼女は似ているようで違っているような気がしてはいるのだけれど。


「うん。じゃあ、これからよろしく。える」


「あ……えっと、はい。よろしくお願いします、ほむらさん」


 ほむらさん。

 ちょっと慣れない呼ばれ方をしたせいか、少しばかりこそばゆい。意外と名前で呼ばれることはあんまりないから新鮮ですらある。


「さて。それじゃあ、これからどうするかなんだけど」


 それにしても、このままこの部屋で匿い続けるのは不可能だと言っていい。

 寝食はともかく、寮監による月イチの定期検査など、色々と乗り越えなければならない関門が多すぎる。


 かといって彼女には身寄りがない。

 件の施設だかに還す選択肢がない以上、まずは警察に身元を調べて貰うべきか?


「あの。できれば、ここに居させて貰えたら……嬉しいんですけど……」


 そりゃそうだよな。

 自分で助けると決めて宣言したばかりだというのに、いきなり警察に放り投げるだなんて嘘吐きにもほどがある。


 この問題に、僕の意識はあまり関係ない。

 ようは、彼女自身がどうしたいかなのだ。僕はその要望に出来る限り応え、手助けする―――それだけの話なのだから。


「うん、それがえるの望みならそうしよう。でも、その為にはいくつかの関門がある。それを越える手段を見つけないことには何も始まらない」


「関門……ですか?」


「そうだなあ……話によると、僕も元々は部外者らしい。そんな僕がどうして学院に通い、この学生寮に住まわせて貰っているか、まあその辺は実はあんまりよく解っていないんだけど」


「…………?」


 少女―――えるは、よく分かっていないといった様子で首を傾げている。


「ああ、うん。やっぱり、それしかないか」


「何か思いついたんですか?」


 そんな期待を込められた眼差しを受けてしまい、僕はつい調子に乗って、


「初歩的な事だよ、える君」


 なんて、以前に読んだ小説の登場人物のセリフを繰り出してしまったのだが―――それに対して、えるは予想外にも食いついてきた。


「シャーロック・ホームズですね!」


「へえ、知ってるんだ?」


「書物だけは沢山ありましたので。それで、いったい……?」


 えるは僕の軽口には反応できたものの、僕が未だに何を言いたいのかは理解できていないらしい。


「簡単だよ、同じことをすればいいのさ」


「同じこと、ですか?」


「うん。僕がこの学院に外部から入学できたんだし、えるにだって同じことができるかもしれない」


 つまり、頼るべきは過去の結果。

 僕がここにいる理由は解らなくとも、その要因ならおよそ検討がついている。


「百瀬財閥の御令嬢、百瀬百合花ももせゆりか


 


「茨薔薇女学院、そしてこの寮、茨薔薇の園。それらを有する周辺の敷地一帯を管理する組織こそが百瀬財閥、らしい。そして、その百瀬の御令嬢が、今は学院長代理かつ生徒会長としてこの学院に通っているんだ」


 まあ、ほとんど香菜から聞いた話なのだが。

 つまりは、こうだ。


「その百瀬百合花に直談判する。僕の時は……親友の渋谷香菜って子がいるんだけど、彼女がやってくれたらしい。つまり、香菜なら百瀬百合花に会う手立てを知っている!」


「えっと、その……つまり……?」


「ああ。それじゃあ、めっちゃわかりやすく言うとだね―――」


 僕は勿体ぶるようにひとつ間を置いて、


「えるもさ、この学院に入学しちゃえば?」


  ◆◆◆


 茨薔薇女学院いばらじょがくいん

 創立三年目で新築同然、周辺地域を統べる百瀬財閥によって管理・運営されている、超が付いてもおかしくはない、お嬢様学校。


 この学院に通えるのは、原則として百瀬財閥と関連性のある財閥・グループ・家系のお嬢様のみである、らしい。

 そして、そんな百瀬財閥のお嬢様にして、この学院を管理する学院長代理、兼、生徒会長―――それこそが、百瀬百合花ももせゆりかである。


 そんな、まるで別世界とも呼ぶべき学院に通っている僕ではあるが、自分自身、特別そういった生まれではないらしい。


 平民かと言われるとそうでもないらしいのだが、実はというと詳しくは知らされていない。

 調べたらわかるのかもしれないけれど、ここ一年間ぐらいは学業に専念するので精一杯で、とてもそんな暇はなかった。


 まあ、今は別に知りたいとも思わないし、思い出して良いこともあれば悪いこともあるだろうし。

 なんとなく一歩を踏み出す気になれない、というのが正直なところだった。


 ―――さて、話を戻そう。

 ともかく、僕がそんな由緒正しきお嬢様学院に通えているのは、親友である渋谷香菜の助力によるものだった。


 渋谷財閥―――あのを管理・運営しているとまで噂されている超大規模財団のひとつ、その直系のお嬢様。

 あくまで噂なので真偽はともかく、それだけの地位にある家系の長女、それが香菜なのである。


 当の本人は『え、これほんとにお嬢様?』と全力でツッコミを入れたくなるような子なのだけど、性格面はともかく、学業に関して右に出るものは数少ない。

 コミュニケーション能力も高く、もはや全校生徒誰一人欠けることなく分け隔てて仲が良いレベルである。


 そんな香菜が、どうして僕と親友なんかをやっていて、僕をこの学院に入学できるように力添えをしたのか。


 その真意を聞いたことはない。

 いや、あるかもしれないけど、少なくとも今の僕は覚えていない。


 とにかく、そういう事情もあって、頼るべき相手候補としては最有力である。

 すぐにでも連絡を取り、なんとかして百瀬百合花にアポを繋げて貰うべきだろう。三日月絵瑠をこの学院に通わせ、身元の安全を確保する為に。


 なんて、そうしたいのは山々だったのだけれど、


「おかしいな、連絡がつかない……」


 スマホで連絡してみるが応答はなし。

 まあ彼女も常日頃から忙しい身だし、すぐに反応があるとは思ってないけど、一回目の連絡からすでに一時間以上が経過している。


 夕方を過ぎて今は夜の九時半。

 えるは少し眠そうにしているし、また明日にするべきだろうか?


「ごめん、える。明日もまた学校があるんだけど、その時に直接聴いてみることにしたいんだけど、いいかな?」


「あっ、はい。わたしは助けて貰っている身なので。お任せします」


 えるは遠慮しがちな表情でそう言うが、その言葉とは裏腹に、どこか不安そうで震えた声をしていた。


 できればすぐに安心させてあげたい。

 そもそも学院に通えるようになるかどうかもわからないし、通えるようになったとしても身元が完璧に保証されるかもわからない。


「うん。今日はもう寝る準備、しよっか」


 えるにとって、今が一番精神的にキツい時期のはずだ。

 彼女を助けると決めた以上、僕がなんとしてもえるを安心させてあげなければ。


  ◆◆◆


 ……まずい、眠れない。


 元々この部屋は一人で住む前提の広さだ。

 名門お嬢様学校の学生寮、ここに住んで通っている生徒は全体の半分にも満たないらしいが、それでもその数は百人をゆうに超える。


 茨薔薇の園は四階建て、一階につき部屋は三十以上。

 個人のプライバシーを守る為に完全な個室になっているし、お嬢様が不自由しないレベルの内装と広さは有している。


 けれど、まあ。

 流石に二人となると多少の手狭さは否めない。というか直球に言うと部屋の数が足りません!


(寝室はひとつしかないし、布団は予備があったからよかったけど……ああいや、クソ。ダメダメ、邪な感情よ……収まれッ……!)


 黒く燻る邪悪なオーラを必死に抑え込みながら、ちらっと隣で眠っている少女の横顔を覗き込む。


(うん、やっぱり可愛い。芸能人とかモデルとか言われても違和感ない。スタイルも……まあ、少し痩せすぎだとは思うけど。女らしさなんて全く興味のない僕が、心のどこかで軽く嫉妬してしまうくらいの―――)


 こんな少女を酷い目に合わせていた施設というのは一体どんな場所なのだろう。


 彼女は逃げてきたと言っていたが、恐らく故意に逃されている、もしくは見逃されたかのどちらかだと僕は踏んでいる。


 その意図はわからない。

 けれど、ここでいつまでも保護し続けるのは難しいだろう。


 身元もわからない。

 追われている可能性がある。

 何かしらの事件に巻き込まれている以上、必ずそのうち何かしらの反動がやってくる。


 そうなる前に手を打たなければいけない。

 僕は学院に通えば良いと提案したけれど、あくまでそれは過程に過ぎず、本来の目的はまた別にあるのだ。


 百瀬百合花―――百瀬財閥のお嬢様。

 代理とはいえ、学院長を任せられるほどの人物なのだ。つまり、それなりの権力を所持しているということになる。


 その権力を利用する、と言えば聞こえは悪いが、僕が今からやろうとしていることはまさにそれなのだ。


 その為に親友でさえも利用しようとしているのだ、引け目がないと言えば嘘になる。

 だけど、決めてしまった―――えるを助けると。


 その本当の理由、それは今の僕にはわからないけれど。


「う……うぅ……」


 ふと、隣から呻き声が聞こえてきた。


「える?」


「う……くっ、あぁ……っ!」


 僕は勢い任せに被っていた布団から抜け出して、隣で眠っていたはずの少女のもとへと飛び寄る。


「くっ、うう……いや……いやぁっ……!!」


 えるは胸を抑えながら苦しんでいた。

 何が起きているのかわからないまま、僕は咄嗟に彼女の身体を抱きかかえる。


「える、どうしたの!?」


「離して……もう、いや……それだけは……っ!!」


 まるで夢にうなされているような様子だった。

 なにかを拒絶しているような、それでいて、なにかに苦しんでいるような―――


「助けて……誰か、誰か……っ! わたしを、ここから……この、地獄から……たす、け―――」


 がくん、と。

 僕の腕の中で暴れていた少女の身体は、まるで電池の切れた玩具のようにぐったりと項垂れてしまった。


「え……える……?」


 微かに聞こえる寝息。

 どうやら再び眠りについたらしい。


(なんだったんだ、今の……)


 過去の記憶がフラッシュバックしたのか。

 それにしても、今の暴れようは尋常ではない。

 精神的なものだけではなく、何かのに耐えているような―――


(僕が、守らないと)


 覚悟を決めて、すべてを背負わなければ。


 例え、この出会いが偶然だとしても。

 きっと、これは僕にとって大事なことだから。

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