第2話 喪ったもの
ベッドの上、未だ目覚めない少女。
早朝になって結局一睡もできなかった僕は、今日も今日とて学生としての本分を全うしなければならない。
彼女には悪いけれど、書き置きだけ残して登校の準備を済ませる。
もし僕のいない間に目覚めてしまっても、これを読んで貰えれば現状の理解には至るはずだ。
カバンを手に取って部屋から出る。
しっかりと鍵を掛けて、僕は寮を後にした。
◆◆◆
学生寮『
ここ一帯、『茨薔薇』と呼ばれる区域は
その名の通り女の子だけが通う女子校であり、お金持ちのお嬢様ばかりが集う由緒正しき学院だ。
そう―――何を隠そう、僕はこれでも生物学上で言うところの女性なのである。
「おっはよーぅ、ほむりゃん!!」
急に背中を叩かれて、背後から聴き慣れた声がした。
「いったーーーい!? こら、急に人を思いっきり叩かないの!!」
僕がそんな大袈裟な反応をしながら振り返ると、そこにはやっぱり見慣れた顔があった。
いつも通り明るくて元気な、親友とも呼ぶべき少女がそこに立っている。
小柄な体型に貧相な胸。茶髪をお団子みたいにふたつに纏めていて、とても同年代には見えない幼さの残る童顔。
ちなみに『ほむりゃん』というのは香菜だけが呼ぶ僕のあだ名である。
「お〜っ、今日もあたしが教えたメイクちゃんとやってんじゃ〜ん?」
「やらないと香菜が怒るから、仕方なくね」
香菜はこの学院に入学する前からの友人なのだが、常日頃から外見についてのダメ出しをされてきた。
幾度となく文句を言われ続けたので、つい最近になってようやく折れた僕が彼女に教わったのが基礎のメイク技術。
もうほんとにほんとの基礎らしいのだけど、僕はそんな事すら覚えていなかったのである。
「むーん。だってさぁ、素材は良いのに放ったらかしだし。あたし達だってこの学院の生徒なんだから、やっぱり舐められないようにしなくちゃ!」
「はは、なんだよそれ。舐められるだなんて……僕はともかく、香菜はあり得ないでしょ」
そう、あり得ない。
何故ならこの少女、こう見えて超名家の出なのだ。そして何より頭が良い。常に成績トップ3くらいに入っているほどである。
なんともまあ、見た目とは比例して中身や環境が恐ろしい人間だった。
「んー、まあそうかもだけどー。それ、ほむりゃんのおかげで差し引きゼロかも?」
「悪かったねえ、平凡が服を着たような人間で!」
「そこまで卑下しなくても良いじゃーん。こうしてあたしが一緒にいるんだしさ?」
「……はあ。まったく、どうして香菜みたいな人間が僕と仲良くしてるのか、いつになっても理解できない気がするよ」
わかりやすくため息をついて、僕は学院の門を通り抜ける。
この先は完全に生徒と教員のみが入ることを許される神聖な場所だ。実を言うと未だに場違いな気分になったりもする。
どうして僕がこんな学校に通うことになったのか、それは今の僕にはわからない。
「ごきげんよう。渋谷さん、紅条さん」
ふと見知らぬ生徒に声をかけられた。
いや、もしかしたら会った事があるかもしれないけれど、少なくとも僕の記憶に彼女の姿はない。
ただ単にうっかり忘れてしまっているのであれば申し訳ないのだけれど―――
「おはよ、
「あら、お分かりになって下さいます? この香水、私の友人が研究ついでにと製作したものなのです」
香菜が話し始めたので、僕は出来る限りの笑顔を浮かべつつ、彼女の隣で無言のカカシに徹していた。
船橋と呼ばれた少女―――やはり見覚えはなかったけれど、見た目はとても綺麗なお嬢様風の少女だった。
背丈は僕や香菜よりひと回り高く、艷やかな黒髪をおさげにまとめていて、その物言いや立ち振る舞いからは気品のようのものを感じさせる。
「ふーん、凄いねぇ。あ、その友達ってもしかして
「さすが渋谷さん、良くご存知ですね。彼女も一緒にご挨拶できればよかったのですけど、なんでも今日はすごいニュースがあったみたいで。科学研の方達と朝から盛り上がっていらっしゃるみたい。私、入り込む隙間もありませんでした」
「すごいニュース?」
「なんでしたかしら……確か人間の脳がどうとか。渋谷さん、何かご存知ではありません?」
「あーそっち系かぁ、あたしそっちは疎いからなぁ。でも興味はあるからまた紹介してよ、色々話も聞いてみたいし!」
「くすくす。ええ、かしこまりました。相変わらず渋谷さんは好奇心旺盛でいらっしゃいますね。それでは、本日も健やかにお過ごしなされますよう」
船橋と呼ばれていた少女はそう言いながら礼儀正しくお辞儀をして、優雅にこの場から去っていった。
それにしても、なんともまあコミュ力の高いことだ。
僕は素直に感心しながら、そんな彼女達の会話を見守っていたけれど、とてもあんな風には振舞える気がしない。
渋谷香菜は成績優秀というだけでなく、こういった『人との繋がり』がとても強い。
だからこそ好かれるし、彼女を嫌っている人間なんて恐らくこの学院には存在しないだろう。
すごいなと思う反面。
どうして僕なんだろう、という疑問はやっぱりある。
「ん? どうかした、ほむりゃん?」
女生徒と会話を終えた香菜が、その無邪気な視線をこちらに向けて言う。
別に後ろめたさを感じてるわけではない。
ただ、純粋に知りたくなった―――
「ああ、うん……なんでもないよ」
―――いや、思い出したいと思った。
それだけのことだった。
◆◆◆
僕と香菜は残念ながら同じクラスではない。
というわけで、校舎二階まで上がると、階段の前でそれぞれのクラスへ別れることになる。
僕は自分の教室へと辿り着くと、扉を開けて中へと入る。
いつもと同じ時間、場所、同級生たち。変わらない光景がそこにはあった。
「おはよう」
僕は短く挨拶してそのまま自分の机へと向かう。
途中で幾人かの同級生たちが挨拶を返してくれるが、特別そこから会話に発展したりはしない。僕と彼女達はその程度の間柄でしかなかった。
僕はひと息つきながら椅子に座る。
この席は窓際の一番後ろとかいう最高の場所ではあるのだけれど、その代わりに、
「よお、紅条。今日も無愛想な
こうやって人に追い込まれてしまうと逃げられない、という点ではデメリットでもある。
「ああ、また君か。で、今日はどんなイチャモンつけにきたの?」
「ああ? イチャモンってなんだよ。オレは今日もヒマそうなオマエの相手をしてやろうってんのに」
さて、とりあえず説明しておこう。
短い金髪に赤いメッシュを入れた、明らかに普通ではないこの喧嘩腰な少女も、一応はお嬢様なのである。
当然だがここは女学院、こんなヤツでも女の子っちゃ女の子なのである。見た目はただのヤンキー、不良娘といったところか。
「あー、この前はなんだっけ。トイレ掃除やらされたっけ? はあ、今日はなにを押し付けにきたんだか」
僕が適当にあしらうように言うと、そのヤンキーは呆れたような表情を見せながら、
「適材適所ってヤツだろ。部活にすら入ってねぇ暇人のクセによ」
なんて、いつもながら失礼な物言いをしてきた。
まあ、それについてはまったくその通りなので言い訳はしないのだけれど。
「それに今日はそういうんじゃねぇ。ちっとばかし忠告しようと思ってな」
「忠告……?」
「オマエ渋谷と仲がイイだろ。けどな、アイツにはアイツの立場ってモンがある。オマエとアイツじゃ格が違うんだよ。オマエの周りに対する態度がそんなんじゃ、いずれアイツに愛想尽かされちまってもおかしくねぇと思うけどな?」
余計なお世話だ、と思った。
それに何より、ただのクラスメイトでしかない相手にそんなプライベートな話まで踏み込まれる筋合いはない。
「悪いけど、君のそれはただの杞憂だと思うよ」
「あ? なんだって?」
「そんなに気になるなら香菜に直接聞けばいいさ。確かに香菜は誰にでも等しく接するすごいコミュ力の持ち主だし、僕と釣り合うとは思えないくらいの人間だけど―――」
それでも僕は違うんだ。
未だに覚えている記憶の中―――彼女が涙を浮かべながら訴えてきた、あの時のことを思い出す。
それだけは忘れられない、忘れたくはない記憶のひとつだからこそ、僕は強く宣言できる。
「香菜は僕にとって特別な相手なんだよ。君みたいなのとは違ってね」
「っ、テメェ……!」
胸ぐらを掴まれる。
基本的には上品でおしとやかな女生徒が多いこの学院で、こんな暴行に及ぶ人間は本当に珍しい。
そういう意味では僕も彼女と接点を持てていることを光栄に思うべきなのかもしれない―――もちろん、皮肉だが。
「おやめなさい
ようやく見過ごせなくなったのか、このクラスの委員長である女生徒が口を出してきた。
「……チッ。オマエ、覚えとけよ!」
ヤンキー女は悪態をつきながらもその場を後にした。
僕は崩れた制服を正しながら溜め息を吐く。
「大丈夫ですか、紅条さん?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
ああ、そういえば―――
「ほりや……濠野、か」
―――彼女の名前、今まで知らなかったな。
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