9.「渡り鳥のように」

 6月6日 土ようび


 オレの住む街から電車で2時間、その町は海に面した小さな港町だった。

 梅雨入り前のこの日は、これから降りまくる雨のことなんか知らないように、爽やかな晴天を広げていた。



 加鹿さんに教えてもらった住所に着いたが、案の定、呼び鈴を押してもその家からは誰も出てこない。何か痕跡が残っていないか玄関前で歩き回っていると、何かに躓いた。見てみると、その“何か”は見えなかった。


 これは植木鉢か――――



「その家には、もう誰も住んでないよ。」


 顔を上げると、近所の人だろうか。50~60歳くらいのおばちゃんに声をかけられた。



 自分の身をに捧げることで透明化させてシャチを倒したオレだが、その後にから突き返されたことで再び普通の体に戻ってしまった。の「所有物」でなくなったオレは透明でなくなったし、透明になったものもまた見えなくなってしまった。


「あの……この家に、これくらいの背丈の女のコが住んでいましたよね?」

「アンタ、何だい? 見たところ高校生くらいだろうけど……」


 以前に妹が世話になったので、お礼をしたくて捜しているんだと、スマホに入っている妹画像を見せながら説明する。もちろんその画像にはの姿は映っていないが、それで納得したみたいでおばちゃんは色々と説明してくれた。


 ウソはついていない。

 汐乃がに世話になったのはホントのことだ。


 ◇


 叢雲むらくも 桃果ももか―――


 それが一条かもめの本名だった。


「どこに行ったかは知らん。」


「話したこともない。」


「あいさつも返さない、不愛想なコだったし。」


 それが、近所のおばちゃんが知っている叢雲桃果のすべてだった。

 この家についても、数ヶ月前に旦那がよそに女を作ったのが原因で、奥さんが心を病んで精神科に入院して、その娘もいつの間にか家を出ていった―――くらいしか知らなかった。そのくらいの話は加鹿さんから既に聞いているし、前後関係がところどころ間違っているみたいだった。


「表札はまだ残ってるけど、もう引っ越すんじゃないかな。家具もいつの間にかなくなってるみたいだし。奥さんはどうなっちゃうんだろうね……」



 そっちの家に同級生のコがいたはずと教えてもらったので、訪ねてみた。


「クラスが一緒になったことは何度かあるよ。」

「どんなコだった?」

「うーん、暗いコだったからなぁ。誰も話しかけたりしなかったんじゃないかな。」


 ちがう。



 また別の同級生の家を教えてもらう。


「人を見下しているみたいなところがあって、目が合うとにらまれた。」


 ちがう。



 また別の同級生の家を教えてもらう。


「小学校の最後のころからあまり学校に来てなかったから、引きこもりだったんじゃない?」


 ちがう。



 また別の同級生の家を教えてもらう。


「あー、万引きしたんじゃないかって疑われてたことがあったな。みんな“やっぱり”って言ってたのに、証拠が出てこなくて捕まらなかったんだけど。」


 ちがう。



 ちがう! ちがう! ちがう! ちがう! ちがう! ちがう! ちがう!

 この町はアイツが生まれ、アイツが育った町だが―――この町に、“本当のアイツ”を知っている人は一人もいない。


 よく笑って、よく怒って、人の気持ちが分かって、活発で、正義感が強くて、ゲームが大好きで、みんなで一緒に遊ぶのが大好きで、棒を持ったら部屋の中でも構わず振り回して、Splatoonで好きなブキはスパイガジェットで、スマブラで好きなキャラはディディーコングで、好きな食べ物はフライドチキンとかの肉で、野菜が嫌いで、風呂で体を洗う時は左の二の腕から洗っていて、ヘプタスロンでは菱川なぎさ推しで、ウチの妹を気に入っていて、オレのことを「大キライ」と言った彼女――――



 顔は見えていたかも知れない。

 透明になる前の彼女に会っていたのかも知れない。


 だけれど、この町のだれもカノジョの“本当のカオ”を知らないんだ。


 ◇


 この町で誰と話しても、もうあまり意味はないなと思ってボーっと海を眺めていた。クロスレビューだったら3点・4点・3点・2点みたいな評価だったが、そんなもので人間の価値は計れないことがよく分かった。やはりクロスレビューは悪い文化だ。



 ミャアミャアと鳴く海鳥が飛んでいる。


 叢雲桃果という名前を加鹿さんから聞いた時、「イメージとちがうな」と思った。慣れ親しんだ芸能人の名前が実は芸名で、本名が全然ちがうと知ったときのような違和感があった。ジーコの本名がアルトゥール・アントゥネス・コインブラと知ったときや、朝青龍の本名がドルゴルスレンギーン・ダグワドルジと知ったときのような感覚だ。


 桃果という名前から連想するのは、いかにも女のコらしいかわいらしい女のコだ。虫も殺さず、上品な言葉遣いで、趣味はハーブティーを嗜むことみたいな女のコだ。ちっとも彼女のキャラではない。



 彼女がかもめという渡り鳥の名前を自分に付けたのは、この町から、この海を見て、に行きたいとずっと願っていたからじゃないだろうか。

 だから、わざわざ20時間もかけてあの街にやってきた。そして、渡り鳥のようにあの街を去っていった。



 本当に彼女は存在していたのだろうかと、オレも疑ったりもした。この1ヶ月は夢を見ていたんじゃないかと思ったりもした。

 彼女の写真はない。顔も分からない。電話をかけてもメッセージを送っても応答はない。彼女が部屋に置いていたはずの透明な荷物は、いつの間にかなくなっていた。彼女がいた痕跡は、あの街にはもう何一つ残っていないのだ。


 でも、忘れたころに、コメントが付いて思い出した。

 彼女と二人でしたゲーム実況の動画に「面白かった!またやってください」というただそれだけのコメントが付いて、この街に彼女がいたことを再確認させてもらった。彼女の価値と可能性を思い出させてくれた。



 だから、オレは忘れない―――

 あの1ヶ月のことを―――



 オレの住むあの街で、彼女はたくさんの人を助けてくれた。

 秋由汐乃、菱川渚、シャチに操られた刑事さん達、オレ、そしてあれから被害に合ったかも知れない人達を、たくさんたくさん未然に救ったんだ。



―――アンタ、ヒーローにでもなりたいの?


 かつて、彼女がオレに言った質問。

 でも、言える。オレは言える。間違いなく、彼女はあの街のヒーローだった。


 誰も彼女に救われたことを知らないが、オレだけは知っている。オレだけは忘れない。



 叢雲桃果ではなく、一条かもめとして、オレの中で彼女は生き続けるんだ―――



 だれもカノジョのカオをしらない 了.

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だれもカノジョのカオをしらない やまなしレイ @yamanashirei

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