3.「残酷な“呪い”」

 5月25日 月ようび


「幼稚園、小学校、中学校で汐乃と一度でもしゃべったことのある女子をすべて調べましたが、ゴールデンウィークの前後で行方不明になっている者はいませんでした。」


 夜、加鹿さんから電話がかかってきた。

 2週間前、汐乃を通じて頼んでいた「突然学校に来なくなったり、行方が分からなくなったりしたコはいないか?」という調査だったが、ここまで大がかりにやってくれているとは。


「加鹿さんが汐乃と出会ったのは小4のころだよな……どうしてそれ以前の汐乃の交友関係まで調べられるんだ?」

「情報とは、人脈の網で流れてくるものですからね。調べようと思えばどんどん広げていけるのですよ。この街で私に調べられないことはありません。」


 “人脈”という点で言えば、この街で加鹿家に勝てるものはいない。加鹿さんに内緒で何かが出来るとは思わない方がイイってことか。これ、やっぱりかもめのことを相談するべきじゃなかろうか。その内にバレかねないぞ。


「ちなみに、先週の金曜日にお義兄さんがゲーム実況用のキャプチャーボードとマイクを買っていることも存じ上げていますよ?」

「迂闊なものを買えなくなっちゃうので、そういうのやめてもらえる!?」

「ゲーム実況を始める際にはチャンネルを教えてくださいね。この街の自警団を総動員して、ウソの攻略情報を書き込んで混乱させてあげますから。」

「そんなことに自警団を使うんじゃねえ!」


 良かった、まだオレ達のチャンネルはバレていなかった。

 オレの声くらいはボイスチェンジさせた方が良いかな。考えてみれば、キャプチャーボードを買ったタイミングが分かれば「新規に始めたゲーム実況者」を探すだけで見つかりかねないもんな。

 結果的に「ゲームが下手な兄を、女子高生の妹が助けてあげる実況」というタイトルにしたおかげで、加鹿さんにバレずに済んだのかも知れない。汐乃はオレ以上にゲームが下手でそれも当然加鹿さんは知っているから、加鹿さんの中ではオレら兄妹とはつながらなかったのだろう。


 ◇


「ということで、調査範囲を近県まで広げました。そうすると我が家の人脈だけではカバーしきれなかったため、少し時間がかかってしまったのです。」

「時間のことは構わないが、加鹿さんにそこまで借りを作るワケには……」

「硫酸事件の時―――犯人を捕まえたいという意志は、私もお義兄さんも一緒だったと思いますが、汐乃を危険に巻き込んでしまったのは私の軽率な判断が故です。お義兄さんには汐乃を守ってもらったという借りが既にあるのですよ。」


 それこそ、兄貴のオレの責任だろ。

 加鹿さんに落ち度なんてない。


 そう思ったが、そう言うのは“汐乃の親友”たる加鹿暁に対して失礼だと思ったので言わなかった。例えばオレも、“親友”菱川渚について友野さんに似たようなことを言われたらムッとするだろうからな。



「単に学校に行っていないというだけなら不登校だったり五月病だったりが含まれてしまうため、自宅からも姿を消した者という条件で調べました。家族から捜索願いなども出ていない者も結構いましたね。」

「家族……か。」


 かもめの口ぶりからすると、明らかに家族とは良好な関係ではなさそうだった。


「事情は詮索しません。この件は純粋にお義兄さんへの恩返しだと思ってください。それでは、この中から絞り込むためにも、何か限定できる特徴はありますか?」

「高校生ではないと思う。小学生でもないな。中1か中2か、ひょっとしたら中3かもってとこか。」

「ふむ……」


 あと、身長は……普段の“声”の位置からすると、142cmの汐乃と155cmの菱川の中間くらいな気がする。


「背は、多分148~152cmくらいかな。髪は短い。」

 オレが菜々香の長い髪を好きだったという話をした時、アイツは「アレは憧れる」と言っていた。長い髪の女性を憧れると言いつつ、自分はそうしていないということだろう。


「なかなか絞り込めてきましたね。有名人の誰に似ている、みたいなことはありますか?」

「顔は知らん。」

「事情は詮索しないと言いましたが、何なのですか、そんな断片的な情報は……身長は分かるのに顔を知らないとは。」


 そんなことを言われても困る。

 まさか「今は透明人間だから顔が分からないんだ」と説明するワケにもいかないし。


「あ、そうだ。ゲームが好きだな。」

「中学生くらいなら別に珍しくない特徴ですね。」

「『Splatoon2』でよく使っているブキはスパイガジェット、『スマブラ』でよく使うキャラはディディーコング、好きな食べ物はフライドチキンとかの肉、風呂で体を洗う時は左の二の腕から洗っているかな。」

「くり返しになりますが、本当、何なのですか、その情報は……どうして顔だけ分からないのですか。」


「あと、意外に胸がデカかった。」

「“意外”と言われましても、私には先入観も何もないんですけど。」


「一人っ子だとは言っていたな。ゲームは好きだけど、パソコンなんかの機器には疎いカンジだった。少女マンガが嫌いだって言っていたけど、これは本当かどうか微妙だ。ヘプタスロンでは菱川なぎさ推しだけど、多分周囲には隠している。」


「一件、合致した女のコがいました―――」

「棒を持つとテンションが上がって、部屋の中で振り回すとか。機嫌が悪くなると黙って人の脇腹を蹴っ飛ばすクセがあるとか。長い話には寝たふりをするとか。そういう情報は要らないか?」

「もう結構です。」



 加鹿さんが絞り込み検索でたどり着いたその女のコは、隣の県の小さな町に住んでいたらしい。中学2年生―――オレも汐乃も、その町には行ったことがないし、その町に知り合いもいない。

 てっきり、以前からオレのことを知っていたからオレのところに転がり込んできたんだと思っていたが……完全に初対面だったのか? その割にはアイツは最初からある程度オレに心を許して、ヒョイヒョイとウチについてきたような気がするんだが。


 例えば、野球をやっていたころのオレが投げているのを見たことがあるとかだろうか。その割には、オレが野球をやっていたことも知らなかったみたいだしなぁ。


「そう言えば、その町からこの街まではどれくらい時間がかかる?」

「電車で2時間、車で2時間30分くらいですかね。」

「いや、徒歩の場合。」

「どんな状況を想定しているんですか……今検索してみたら、20時間弱と出ましたね。」


 初めて会った時、アイツは「2日くらい何も食べてない」と言っていた。20時間ぶっ通しで歩けるワケがないので、休み休み歩いてちょうどそのくらいか―――


「で、そのコの家は今どうなっている?」

「それは―――」


 ◇


 部屋に戻ると、かもめがさっさとゲームやろうぜーと声をかけてくる。だが、流石に今日のオレはそんな気分になれない。


かもめ……お母さんの病院に行こう。」

「え……?」

「このままでイイわけがない、オマエのお母さんを放っておいてイイわけがないだろう!」

「驚いた……こんなに早く私の素性までたどり着けたんだ。」


 近所の人の話では、その家は父と母と娘の三人暮らしだった。

 だが、今年の春くらいから娘を見かけなくなって、母親の様子がおかしくなったという。4月の後半、母親は精神科の病院に入院することになり、父親も帰らなくなった。近所のウワサによると、父親はよそに女を作って家をおろそかにするような男だったらしい。



「朝……ホントに、いつも通りのただの朝だったんだ。私の姿がお母さんには見えなくなった。」

「……」

「お父さんはその前からあんまり家に帰ってこなかったから、家には私とお母さんしかいなくて、最初はお母さんがおかしくなったのかと思ったんだ。私の声はする、でも私の姿が見えなくて、私が使ってたコップも、台所で私が座ってた椅子も、私の部屋にあるものもどんどん見えなくなって……」

「……」

「私からしたらお母さんがおかしくなったように見えたんだけど、お母さんからしたらたった一人の娘が突然いなくなって、家のものもどんどんなくなっていって、でも声がするって状況で怖かったんだろうね。」

「……」

「どうしようもなくなって私が119番したころには、もう完全におかしくなっていた。」


 オレは最初からかもめを「透明人間」として受け入れたが、もし自分の大切な人―――例えば汐乃の姿が「透明」になってしまって、汐乃のものがすべて見えなくなってしまったとしたら、同じように平静でいられたとは思えない。


 かもめの母親はそんな目に合い、かもめはそんな風に母親が狂っていってしまうのを横で見ていたのか。


「そしたら救急隊員が来て分かったんだ。ホントの原因は私だったんだって。その人達にも私の姿は見えなくてさ……私のせいでお母さんがおかしくなっちゃったんだって。だから、今さら会いになんて行けないよ。」


「私のせいで、」


「私がいなければ、」


「私なんていなければ、」


 その言葉は見過ごせなかった―――

 一条かもめの価値も可能性も、オマエ以外の世界の全部が証明してやると誓ったんだ。



なんて言うなよ! 汐乃の時も、菱川の時も、オマエはオレ達を助けてくれた! オレはそれを知っているぞ! オマエの価値はオレが分かっている!」

「知ったようなこと、言わないでよっ!」


 その声は、今まで聞いたかもめのどんな声よりも大きく、感情的で、必死なものだった。だから思わず、オレの方も何も言えなくなってしまった。



「私の顔も知らないくせに、」


「アンタさあ……私の顔、どんなだと想像してる?」

「なに……?」

「顔が見えないってのは都合イイよね、好きなように想像できるからね。ツリ目なのかタレ目なのか、鼻は大きいのか小さいのか、丸顔なのか面長なのか……“理想の顔”を頭に思い浮かべておけば、実物がどうであれ美少女ってことにしておけるもんね。」

「なんの話をしてるんだ……?」

「実況を観てくれてる人達だってそうだよ。女の声ってだけでチヤホヤしてくれるのは、私の顔が見えないからなんだよ。」


 そう言えば、

 “他人の望む姿”に擬態していた菱川に共感して、コイツは以前に言っていた。


 “他人の目を気にして透明になってしまった私”と。



 本当の問題は、母親が入院してしまったことでも、自分が透明になってしまったことでもないんだ。


「妹ちゃんとか、なぎさちゃんとかが横にいる人生を歩んできたアンタには想像もできないだろうよ。」


「顔 の 悪 い 女 に 生 ま れ ち ま っ た 気持ちなんて―――」



 何も言い返せなかった。


 オレのせいで“オレの理想通りの美少女”になってしまった秋由汐乃―――

 ファンのために“みんなの理想通りの美少女”を演じ続けた菱川渚―――


 それは、でも、女の可能性を“見た目”で判断して「美しいものにこそ価値がある」という外見至上主義から抜け出せないオレの、男どもの、この社会が生み出した歪みだ。

 例えばの話、ラ イ ト ノ ベ ル の ヒ ロ イ ン は 美 少 女 じ ゃ な く て も 成 立 す る の か―――



 その歪みが、を追い詰めたんだ。


「私が望んだんだ―――」


「私が、透明になりたかったんだ―――」


「だれにも、ワタシのカオが見えない世界に行きたいと願ったんだ―――」


 それが、名前を偽ってこの街に来たの根幹だった。

 あぁ、神様。よりによって、なんて残酷な“呪い”をかなえてしまったんだ―――

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